小説を書くのは辞めようかな⑤



小説を書くのは辞めようかな①

https://note.com/piccolotakamura/n/nef4ce1cdf211


小説を書くのは辞めようかな②

https://note.com/hope0404/n/na6c305d0edfb


小説を書くのは辞めようかな③

https://note.com/piccolotakamura/n/nfdbfe9b1f8c5


小説を書くのは辞めようかな④

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小説を書くのは辞めようかな⑤


 神宮寺凌はやはりあまり変わっていなかったようだ。名刺を受け取ってくれた。また二人で文学を語る日が来るといいのだが。

 それにしても「漂着ちゃん」を神宮寺が読んでくれていたのは嬉しかった。私は神宮寺と再会したことで、また、書き続ける元気をもらった。

 三島賞をとっても、私は私のままだ。牛丼を食べながら小説を書く。机には神宮寺からもらった時計を置いている。この年になるまでG-SHOCKの時計しか身に着けたことがなかった私にはもったいないと思った。丈夫そうだが、汗で革が傷むのは嫌だ。また、ヤツと会うときまで、机の上に置いておこう。

 神宮寺が純文学に戻るのかどうかは分からないが、「ハムスター」とか「キンクマ」とか言ってな。漱石の「吾輩は猫である」のような作品を書くつもりだろうか?

 ラノベと揶揄してしまったが、確かに純文学に劣ることのない質の高い作品は多い。彼は彼のやり方で上を目指すのだろう。切磋琢磨しながら、頂点で再びお互いの考えをぶつけ合うのも夢だ。別に私が三島賞をとったからといって、凌のことは対等な話し相手だと思っている。『キンクマ』が本屋大賞でもとったなら、また神宮寺も私に引け目を感じることなく対等に話しやすくなるのだがなぁ。

 しかし、彼には彼の考え方がある。私は私の考え方がある。賞をとる・とらないというのは、文学の価値そのものには関係がない。作家たる者、頑固なところもなくてはならない。


 「漂着ちゃん」は一応、世間的には成功だったかもしれないが、私は満足していなかった。ファンタジー的な要素が強すぎたように感じている。次回作はもっと読者がリアリティを感じられる作品に仕上げたいものだ。

 しかし、今の時代は作家泣かせの状況にある。例えばミステリー小説や恋愛小説を書く場合、スマホの存在は邪魔だ。主人公たちのすれ違いの場面が書きにくくなった。いつでも気軽に連絡がとれることは便利だが、昔のように、家電しかなかった時代とは違う。待ち合わせ場所にたどり着いてもすぐに会うことができないとか、彼女の家に電話をかけたら彼女の父親が出て、二人の仲を潰されそうになったとか、普通にあったことが普通に表現できなくなった。だから、作家としては現代は描きにくい。必然的に時代設定を携帯電話が普及する以前の時代に設定することが多くなる。

 しかし、小説とは、時代の息吹を感じられるのが理想であり、またそうあるべきだという考えを私は持っている。現代を描いてこそ、リアリティのある小説になる。私は「漂着ちゃん」では、ある意味において、現代から逃げてしまったのだ。これからの作家としてのキャリアを考えたとき、次回作は現代を描く作品でなければならない。


 現代を描くとして、舞台にするのはどこがいいだろう?
 経済情勢をもっとも反映するのは、食である。光熱費の高騰によって、スーパーでは、ショーケースの棚の電気が消されていたり、店内の温度は以前に比べ若干抑え気味だ。牛丼屋だって円高の影響をもろに受けている。品質を平準化するために、アメリカ産の牛肉にこだわってきたが、現在ではオーストラリア産も使わざるを得なくなった。

 私が描きやすいのは牛丼屋だが、牛丼屋を舞台にするのは世俗的過ぎやしないか?
 それに加えて、小説というものはリアリティを求めつつもリアルそのものであってはならない。リアルな経済状態を知りたいときに小説など読む必要があろうか?

 商店街を歩いたり、タクシーに乗ったほうがリアルに景気を感じることができる。わざわざ小説を読む意味はない。

 私には夢がある。映像化できないような、小説でしか描けないような世界を構築すること。小説を映画化したり、テレビドラマ化したりすることは多いが、私は疑問に思っている。文字を追うことで、それぞれの読者がそれぞれの小説世界を脳裏に描くこと。それこそが小説のあるべき姿なのではないか?

 牛丼屋が悪いとは言わないが、私のまったく知らない夜の世界を描いてみるのはどうだろう?

 「あぁでもない、こうでもない」と考えているうちに再び神宮寺凌が頭をよぎった。

 そうか!凌に取材して書いてみるのはどうだろう?今までアイツにホストの仕事について根掘り葉掘り聞いたことがなかった。欲望の渦巻く世界で神宮寺凌は生きている。アイツの気まぐれであったとしても、純文学を捨てようとしたのは夜の街に、既存の小説を越えるなにかを発見したからではないだろうか?

 今まで神宮寺とは、古典的な名作の話ばかり語りかけていたが、彼、いや私の本当に書きたいテーマは、現代作家の小説の中にあるのだろう。

 私が今までの「三葉亭八起」の殻を破るためには、神宮寺凌の力が必要なのではないか?

 気が付けば、キーボードに向き合いながら、神宮寺凌のことばかり考えていた。アイツに会ってみようか?



…⑥へつづく


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小説を書くのは辞めようかな」の
①から④まで、収録しています。


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山根あきら | 妄想哲学者
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