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エッセイ | クリぼっち

 クリぼっち。そんな言葉があることを私は知らなかった。「ひとりぼっちのクリスマス」の意味だという。何でも短くすればいいというわけでもなかろう。
 クリと聞けば、クリスマスではなく、栗か女性器を想起してしまう私には、「クリぼっち」なんて聞くと、むしろ幸せそうに響いてしまう。

 そもそも、クリスマスの頃は、その年の間にやっておきたいことが思い浮かんで、浮かれた気分にはなれない。あれもこれもやらなくては、という焦燥感が強い。こんなくそ忙しいときに、ひとりぼっちだから寂しいなんてアホか?とすら思う。

 べつにいいではないか?クリスマスを1人で過ごしたって。1人でケーキをワンホールごと食べ、1人でシャンパンをあけて、1人で鳥肉を食い、自分の枕元に自分で購入した自分へのご褒美を置いておく。なんの不足があろうか?

 しかし、こんなふうに書くと他人には、サワーグレープのように響くかもしれないことを恐れている私がいる。世代によっても異なるのだろうが、クリスマスはカップルで過ごすべし、という意識が私の学生時代には確かにあった。

 私は大学時代は寮に住んでいたが、彼氏がいない学生は、イブの日に自分の部屋に明かりが灯っていることを極度に恐れたものである。
 部屋の灯りを消して、誰かの部屋にまとまってたむろするか、あるいは、早々に実家に帰ってしまう女の子が多かった。

 いま、二十代の若者では、付き合っている異性がいない人が多数派である。1人でいることや同姓の友達と過ごすことは、多様性という中で許される時代だ。どう過ごそうが個々人の判断に依る。そんな当たり前のことが認められるのは、悪いことではない。

 何はともあれ、「メリークリスマス」って言えることは良いことだ。1人きりでつぶやくにしても。


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山根あきら | 妄想哲学者
記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします

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