擬人法の思考にハマる
ちょっと前まで雨の日が続き、室内にいる時間が多かったです。
ようやく晴れ間がもどったとき、日課の散歩をしました。なにかほっとした気持ちになりました。
ずっと室内にいることは、人間にとって、かなり不自然なことなのかもしれません。
部屋の中にいても陽が射し込んだり、窓を開ければ風を感じることはありますが、やはり外に出る方がより多く自然を感じます。
太陽。風。植物。虫。土。石。川。空。
そして空に浮かぶ雲。
「雲ひとつない快晴」と言うと雲が少しかわいそうになります。
「暗雲」。「雲隠れ」。。
雲は普段あまりいいイメージとは結び付いていません。
それでも、私は雲ひとつない快晴より、いくつかの雲が
ポカン
ぽかん ポカン
ぽかん ポカン
と、浮かんでいるほうが好きです。
形を絶えず変えていくところも風情(雲情?)があっていいですね。頭の中の思考の流れを投影しているようです。
ゆく雲の流れは絶えずして、しかももとの雲にあらず。蒼穹に浮かぶ雲々は、かつ消えかつ結びて久しくとどまりたる例なし。
そんなことを考えながら、雲にシャッターを向けてみました。
しかし、雲だけを撮影したいのですが、なかなか「雲だけ」は難しい。電線や家屋の一部が入り込んでしまう。余計なところは編集して切り取ってしまえばいいか。
そう思っていたら、電線やガイシの声が聞こえたような気がしました。
至るところに存在するのに注目されることが少ないのは、「電線」も「ガイシ」も「雲」も同じ。同じなら、雲と同じ様に雄姿を撮ってあげようと思いました。
「ガイシ」はあまり有名ではないようです。
電線の「白い」部分の玉のようなもの。
外に出れば、必ずといっていいほど見かけます。「人の立場になって考える」という発想だけでなく、「物の立場になって考える」という発想もなかなか面白いものかもしれません。
「雲」も「電線」も「ガイシ」も、今のところ人間にとって不可欠なもの?です。
「擬人法」とは、「物の声に耳を傾ける方法」と定義できるかもしれません。
3年前の記事の再掲です。
たいして今と考えていることが変わっていないなぁ。