創作大賞で得たこと
創作大賞への応募で得たモノ、得たこと。賞状もトロフィーも賞金も、目に見えるようなモノは何1つも残らなかった。「自分のすべてを出しきった」とも言えないから、後悔もあれば、虚しさもある。
自己正当化する気もないが(いや、正当化も含まれることも否定しない)、私にとって本当に大切なモノは、目に焼き付くような具体的なモノではなく、記憶に刻まれるモノだったりする。
私のnoteは、そもそもいろんな偶然が重なって始めたモノに過ぎず、なにか確固たる目的があって始めたわけではない。
自分の好きな数学の話や英語を始めとする語学の記事を書くこと。
自分が面白いと思った何気ないことを書くこと。
そして、あわよくば、それを読んでくれた人が一瞬でも「楽しい」と思ってくれること。
いずれにせよ、他人を感化することは第一目的ではなく、自己満足と言えば自己満足が1番大切なこと。自分が納得できるモノを書けなければ、他人からいくら称賛されても心が満たされることはない。
比喩として言えば、賞状をもらったり金メダルを獲得することはもちろん嬉しいのだけれども、自己ベストが更新出来た時のほうがはるかに嬉しい。
だが、文章の良し悪しって、タイム・記録などの数字で計れるモノではない。だから拠り所とする基準は、心の中にしか存在しない頼りないものかもしれない。しかし、疑うことなく私の心の中には、基準のようなものはある。verbalizeすることは出来ないけれど。
ミリオン・セラーだって、すべての人に愛されているわけではなく、それを書いた人だって、1番売れた本が1番良く書けた本だとは必ずしも思っていないだろう。1番売れなかった作品に1番強い愛着を持っていることもあり得る。
私の書くことは、万人向けではない。別にpedanticに書いているわけではないが、「わかる人にだけわかれば良い!」と思って書くこともある。なるべく多くの人に伝わればいいな、という頭はどこかにあるが、読んだ人の数よりも届くべき人に届いたな、という実感を持てた時のほうがはるかに嬉しい。
いちいち名前を挙げることは差し控えるが、私の作品を単に読むだけでなく、感想を書いてくれた人がたくさんいた。
コメントであったり、記事としてまとめてくれた人もいた。別に公式な賞でも何でもないけど、他の作品にはない何かを感じとってくれたから書いてくれたのだと思う。
末筆ながら、今回の創作大賞で1番の収穫は「合作小説」を書いたことだった。
大まかな設定や登場人物の名前は事前に打ち合わせて決めたが、ストーリー展開はほぼノープラン。
相手が書いたパートが投稿されたら、それに続くパートを私が書くという感じだった。
細かい言葉遣いなど、おそらく整合性がとれていない部分はあるが、作品をやり取りしている間、お互いに登場人物になりきって書けたんじゃないかな?
執筆途中のグルーヴ感・一体感は、私と相手方にしかわからない感覚だろう。
他の人には、どんなに言葉を尽くしても伝えられる感覚ではない。
間違いなく、創作を通して心が1つになった瞬間があった。作品の良し悪しはともあれ、深く深く心に刻まれた。