エッセイ | 水に流す
「水に流す」とは、過去のことをなかったことにすること。
英語で言うと、
Let bygones be bygones.(終わったことは終わったことにしよう)ということわざが1番近い表現かな、と思っている。
「水に流す」というとき、たいてい、相手の不愉快なおこないを忘れて、関係を修復するというような文脈で使うときが多い。
細かいことを言えば、お互いに多少納得のいかないことがあっても、大目に見るというニュアンスがある。
相手が寛大な人ならば、水に流してもらえる時もあるが、どんなに謝っても許してもらえないときは許してもらえない。
こちら側に意図的に相手をおとしめようという意志がなかったとしても、結果として相手に不快な思いをさせてしまったら、恨むよりもひたすら謝るに限る。
とはいえ、どんなに謝っても相手に許してもらえないと、「なんでこんなに謝っているのに許してもらえないのだろう?」という反発にも似た気持ちが生まれてくる。
相手は私の非を責めつづけ、こちらは反省してるのに謝ってもダメ(場合によっては弁済してもダメ)となると、いつまで経ってもお互いに負の気持ちを引きずることになる。
こういう場合、たとえば法廷で争って勝訴したとしても、「どっちもどっちだね」みたいな判決になると、余計にモヤモヤが残る。ただ疲労感が増すだけだ。
第三者から見れば、不快な思いをした人も、謝っているんだから許してあげればそれで済むのに、なんて思ったりもするが、当事者だとなかなかすんなりと謝罪を受け入れることができない。
「水に流す」とは、起こった出来事を受け入れることでもなければ、必ずしも許すことでもない。今回だけは「なかったことにします」ということだ。
相手の謝罪を受け入れられないならば、水に流すというのは知恵のひとつだろう。
金銭的なこと、権利関係のことならば、気の済むまで争うのもいいが、水に流せば済むことを、いつまでもいつまでも思い出して、小さくなった火を意図的に大きく保とうとすることは、賢い選択だとは思えない。
全部許しちゃおう!、というのは結構よい解決策にも思える。