エッセイ | 愚行権
先日、銀騎士カートさんの記事(↑)を読んだ。「愚行権」という言葉が思い浮かんだ。愚行権とは、簡単にいうと、「他人に迷惑をかけない限り、どんな愚かに見える行為でも行なうことができる権利」のことである。
よく愚行権として挙げられるのが、喫煙。煙草を吸えば、カネがかかるし、健康にもよくない。しかしながら、一本吸うことで、気持ちが落ち着き、一時的にせよ、リラックスできる。飲酒もそうだろう。
休日にパチンコやゲームをするのも「愚行権」の範疇だろう。太平洋をヨットで横断しようとすることも、エベレストに登頂することも愚行と言える。
多様性ということがよく言われる。多様性を考える上で、愚行権という概念はとても大切なものである。
上で挙げた例の中で、例えば「喫煙権」について考えてみよう。
非喫煙者にとっては、煙草は存在そのものが悪に思えるだろう。健康にもよくない。だからといって、喫煙者本人にとってもメリットはない!、と決めつけることは多様性を認めない考え方である。
別に私は、煙草を吸わない人に喫煙を勧めたり、吸う人に喫煙をやめろ!と言うつもりはない。
ただ、非喫煙者が多数派だからといって、喫煙者の愚行権を全否定するのなら、それはおかしいと思う。喫煙しない自由と同じくらい、喫煙する自由が尊重されたほうが「多様性がある」。
仕事とまったく関係のない勉強をするのだって「愚行」と言えば愚行だろう。別に海外で働く予定もなく、まわりに外国人もいないからといって、英語を学んでも悪くないだろう。
不思議なことに、「勉強すること」は良いイメージがあり、「喫煙すること」には悪いイメージがある。
寝る間も惜しんで、徹夜して勉強することは大いなる愚行。
自分の価値観や多数派の価値観を、マイノリティに押し付けることは多様性を排除することにつながる。