4話
私と風花が駅を出ると、唐突に射した陽光に、思わず目が眩む。時刻は17:30、日はまだ暫くは沈みきらなそうだ。
「てかさ、咲ん家行くの久しぶりじゃない?」
風花がふと浮かんだ疑問を口にする。
「いや、先週もうち来たよ……」
「そだっけ?」
因みにその時は、暑くなってきたからとか言ってゲリラホラー映画祭りが開催された。ホラー物を持ってくるのはいいものの、いざ見るといつも怖がって抱きついてくる。なんで怖いのに見たがるかな〜。
「今日の夜ご飯なんだろなー?オムライスがいいなー、おばさんのオムライス超絶美味しいんだよね〜」
言いながらよだれを垂らしそうになる風花。というか垂れる。垂れた。
「もぉー風花ってば……、だらしないよー」
そうこう言ってる内に私の家に辿り着いた。二階建てのごく普通の一般家屋だ。
「ただいまー」
「たっだいまーーー!」
風花の大声が家中に響く。
「もぉ、風花声大きいよー!」
「そう?」
風花の大声に不満を漏らしていると、扉の開く音がした。
「おかえりなさい咲〜♪それにいらっしゃい風花ちゃん♪」
姿を現したのはエプロン姿の母だった。帰ってきた私達を微笑みながら出迎えてくれた。風花の騒音、もとい挨拶を特に気にする気配はない。
「おばさんおひさー!」
「ほんと久しぶりね〜」
「久しぶりじゃないでしょ、先週も泊まってったんだから」
「あら〜、先週って一週間も前よ?久しぶりじゃない」
「そう……なのかな……」
時間感覚は人それぞれだけど、週一での泊まりは果たして久しぶりなのかな?……少なくとも母の中ではそうみたい。
「おばさん!今日の夜ご飯って何ー?」
風花は久しぶりかどうかより今日の夜ご飯の方が気になっていた。……それはそうだよね。私も夜ご飯の方が気になる。
「今日は風花ちゃんが来るって言うからオムライスにしちゃった♪」
「おぉぉ……!!咲、聞いた!?オムライスだよ!オ・ム・ラ・イ・ス!あたしの願いが届いたんだよ!あたしの日頃の行いのお陰だよねー!」
興奮した風花が私の肩を掴んでガクガクと揺さぶってくる。
「あー……そうだねー……風花良かったねー」
(なんだかんだ風花が来る時はいつもオムライス作ってる気がするけど……)
好みを把握されてるだけ、その言葉を飲み込みながら私は揺さぶられ続けた。喜んでるんだからそれでいい。
「風花ちゃんが喜んでくれて、おばさん嬉しいわ♪ご飯の支度はあともう少しかかるから、先にお風呂に入っちゃってね」
「「はーい!」」
元気よく返事をして、鞄を置きに部屋へと向かった。
────────────
自慢じゃないけど、うちの浴槽はそこそこ大きい。私達二人が一緒に入っても余裕がある。
「ふぅ……、やはりお風呂は温まりますなぁ」
「そうだねぇ。疲れが抜けていくぅ……」
湯船に浸かると、二人揃ってダラァ〜とふやける。朝の遅刻ぎりぎりの登校に昼のスタビダッシュ、今日は本当に良く走ったせいか、凄く疲れた。体に溜まった疲れがお湯に溶け出していくような気がする。このお風呂の脱力感は堪らないなぁ……。
「しっかし、おばさんは相変わらずの若々しさだよね〜」
「まあね〜」
「あれ本当に40歳?」
「うーん……、その筈なんだけど………」
母は小柄で童顔、制服でも着れば女子高生と言ってもわからないかもしれない。もしかしたら私より制服が似合うかも………自分で言っておいてなんだけど、なんか複雑……。
「おばさんの若さの秘訣………気になる」
「遺伝じゃない?」
「羨ましいぞこのー!」
そう言いながら私の顔に目掛けてお湯をかける。
「ぷはぁっ!もう、やったなー!えいっ!」
仕返しとばかりにお湯を掬ってかけ、負けじと風花もお湯をかけてくる。そんな事をしてる内にのぼせそうになったので風呂から上がった。
「はぁー!めっちゃさっぱりしたー!」
「だね……、少しのぼせそうだけど」
そう言いながら私は自分の黄色い髪を乾かしていく。入念に乾かさないと後が大変なのだ。同じく髪を乾かしていた風花が何かに気づく。
「ん?───はっ!咲……これはまさか!」
「えっ…?何が?」
「匂いだよ!オムライスの匂い……しかもこれは…デミグラスソースの匂い!」
突然何を言い出したかと思えば、シャンプーの香りくらいしかしてなかったけど、よくよく嗅いでみると確かに美味しそうな匂いが漂ってくる。
「あー、本当だ……」
「あーもう駄目、匂い嗅いだら我慢出来ないよー!!」
今にも飛び出していきそうな風花を押さえ込んでドライヤーの電源を入れる。
「ご飯はちゃんと髪を乾かしてから!」
「うぇ〜、あたしのオムライスぅ……」
「ただでさえ風花は髪長いんだから、よく乾かさないとだよ。オムライスは風花を待ってくれてるから」
「あたしが待ちきれないんだよ……」
風花の泣き言をドライヤーの音で掻き消して丹念に髪を乾かしていく。その時の風花は、ご飯を前に待てをする子犬のようだった。
──────────────────
「おおおおおぉー!!!待ちに待ったオムライスだぁー!それに、あたしの好きなエビのシーザーサラダもあるー!」
目を煌めかせながら素早く椅子に座る風花。
「あら、喜んでくれてるみたいで嬉しいわ♪」
喜ぶ風花の姿を見て母の笑みが一層深まる。
「おばさんいつもありがとう!いただきまーす!あむっ!!」
いただきますと同時にバクバク食べる風花。相変わらずの痛快な食べっぷりだなぁ、本当に美味しそうに食べる。
「いただきます。風花ー、もう少し落ちついて食べなよ、こぼすよ?」
「あんぐ……うぇも…、あまんえきあくて…、」
「何言ってるかわからん……」
オムライスを口いっぱいに頬張って喋った言葉はまるで聞き取れなかった。
「相変わらず風花ちゃんは元気ねぇ〜」
ゴクンッと飲み込むと、
「おばさん!めっちゃ美味しい!やばいよこれ!」
言いたいことだけ言って、またもぐもぐと食べ始めた。これもいつもの事だ、もう気にすまいと私も自分のご飯を食べ始める。
「お母さん、今日もご飯すごく美味しい」
「あら良かった♪──ありがとうね」
そう言った母は優しく微笑んで席についた。
─────────────────
お腹を満たし、私の部屋へと向かう。
「ふぅー!食べた、食べた!……はふぅ」
部屋に入るなり、私のベッドにダイブする風花。満腹で眠たいのはわかるけど、まだ寝るには早い。
「こらー!風花寝ちゃだめだよー!」
風花の体を揺らすも、完全に眠ろうとしている風花の覚醒には程遠い。
「もう眠たいよぉ、むにゃむにゃ……すやぁ」
揺さぶりが心地いいのか、最早寝落ち寸前だった。これじゃあ泊まりに来た意味が無い。
「ビジネスやるんでしょー!本読むんでしょー!」
「あ!!!そうだよ!寝てる場合じゃない!!」
何度も揺さぶっていると、本来の目的を思い出して風花が飛び起きる。
「咲!勉強だよ!勉強タイムだよ!スタディー時間だよ!」
「英語と日本語が混ざってるよ……」
風花はベッドから飛び降りると、ゴソゴソと鞄を開け、ノートや筆記用具を机に広げる。──そして、今日買ってきた2冊の本を取り出した。
「ところでこれさ、どっちから勉強する?」
「うーん、どっちにしようかな。………先に選んだ風花の本にする?」
「うん、じゃあそうしよー!さて、この本から私達はお金持ちになる第一歩を踏み出すのだーっ!」
───3秒後───
「すやぁ……」
「踏み外しちゃったよ!?風花しっかりー、起きてー!!」
「……はっ!?これ文字ばっかで眠くなるよ咲ー!」
ぎっしり書かれた活字を見て思わず風花がうなだれた。
机に突っ伏している風花から本を取る。新しい本を読むのは好きだ。新しい事を知ったり、知っていた知識を更新するのは、世界も自分も変わっていくようでなんだかワクワクする。この本にはどんな事が書いてあるのか、期待を秘めて本を開く。
「風花見て、なんか凄そうな事がいっぱい書いてあるよ?」
「うーん?なにー?」
ちょっと興味を示す風花。
「企業の目的は、顧客の創造である………えっと、パート1はアメリカの鉄道会社はなぜ衰退したのか?だって」
企業の目的は顧客の創造である、かぁ……。うーん……、顧客の創造ってどういう意味なんだろう。
「顧客の創造ってどういう意味?」
「うーん……、多分、お客さんをどういう風に呼びこむかとかそんな意味なのかなぁ。多分そのやり方が書いてあるんだよ」
そう言いながら本を読み進めていく。
「これ、ラノベみたい……」
「何かわかったー?」
そう聞いてくる風花に、今わかっていることを説明していく。
「この本の話は会計ソフトを作ってる会社の話みたい」
「会計ソフト?」
「確か、パソコンで計算するアプリみたいな奴だったかな?」
「計算するアプリ……?電卓アプリみたいなの?」
「うーん、私もあんまりわからないよー」
頭に?を浮かべる風花の疑問を投げて置いておき、続きを読む。
「───なんかこの本、凄い事言ってるよ」
「え、なになに!凄い事って!?」
凄い事、という言葉に風花が前のめりになって顔を寄せてくる。
「えっと…ね、まず宮前久美っていう人が主人公で、営業部で働いていたんだって。凄く仕事が出来る人なんだけど、商品開発部っていう所に移動して来たんだって」
それを聞くと風花はノートに宮前久美(営業部ですごい人)、移動、商品開発部とノートに書いた。
「それでね、その商品開発部で今会議をしてるんだけど、その内容が『自社の事業とは何か』を考えてる、なの」
私の話を聞き、風花はノートにペンを走らせていく。
「うーん、自社の事業とは何か……むむむ……」
そう唸りながら考える風花。
「……ねぇ咲、ところで事業って何?」
キョトンとした顔で聞いてくる風花。根本的な所がわかっていなかったらしい。
「ちょっとまってね」
スマホを取り出し、『事業』と検索する。
「仕事の事らしいよ?なんか色んな部署とかをまとめて事業って言うみたい……。だからさっきの事を簡単に言うと、自分の会社の仕事って何?って事なんじゃないかな」
「なるほどー。それで、続きはなんて書いてあるのー?」
「えっとねー」
その続き、会議の内容の一部を音読する。
『企業にとっては、「自社の事業とは何か」と言う事をしっかり考える事が大切です。───なぜか?それは自社の事業をどのように定義するかで、企業の戦略が大きく変わるからです。何よりも大切なのは…この顧客視点です』
「なるほど、つまり……わからん!」
風花は考える事を放棄した。
「んーとね……。簡単に言うと、自社の事業とは何か?は自分たちは何をするかで、それに合わせて作戦を考えるんだけど、その作戦で一番大切なのはお客さん目線って感じかな?」
読み取れた事を噛み砕いて説明すると、風花が感嘆の声を上げる。
「ほぉ、なるほどー!それならなんとなくわかりそう!」
そう言いながら動き続けるペン、ノートが少しずつ埋まっていく。
「それでね、『自社の事業とは何か』に対しての久美さんの答えが、『お客さんのお役に立てる会計ソフトを開発して、提供する事』って答えてるの」
「えっ、すご!もうそれ答えじゃん。絶対に正解!」
風花は久美さんの答えで間違いないと確信しているようだけど、私は首を横に振る。
「うん、私もそうだと思うんだけど……」
「え、違うの?」
「──その答えだと0点らしいんだよね」
私の言葉に、風花はまるで理解できてない様子でぽかーんと口を開けていた。
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