かみさまへのてがみ
※これは、大昔に個人ブログで書いたレビューからの転載になります。
【かみさまへのてがみ】
谷川俊太郎=訳 葉祥明=絵
この絵本は、海外の子ども達が神様へ宛てた英語の手紙を、綴りや文法の間違いも正さずに、そのままの書体で掲載しています。それに、谷川俊太郎さんが素敵な訳を添えてくれ、また葉祥明さんのメルヘンチックな挿絵で、ほのぼのした雰囲気が演出されてます。
しかし、やはり何と言っても主役は子ども達です。
そのあまりにも純粋で素朴な疑問は、子供ならではの発想から生まれたもので、ついつい目尻が下がり、口元が緩んでしまいます。
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「かみさま
あなたは きりんを ほんとに あんなふうに つくりたかったの? それとも あれは なにかの まちがいですか?」
「かみさま
どうして よる おひさまを どけてしまうのですか? いちばん ひつような ときなのに」
「かみさま
あなたは おかねもち? それとも ただ ゆうめいなだけ?」
「かみさま
あなたは どうして じぶんが かみさまだって わかったんですか?」
*
さて、子ども達の無邪気で天真爛漫な疑問を読んでいると、童心に戻るような錯覚に陥るとともに、少しだけ恐怖も感じるのです。子ども達の疑問が、あまりにも本質的過ぎるのです。
確か、自分も子どもの頃にそう思ったことがある……そんな手紙に出会うと、ドキッとします。
いつから、その疑問が疑問でなくなったのだろう?
大人に答えを教えてもらったことは、あっただろうか?
何故、純粋で素朴な疑問だと感じるのだろう?
人は、大人になるに連れ、知識と経験は一方通行で増加します。それに伴い、大切なものを喪失しているのではないでしょうか?
子どもならではの発想、子ども特有の感性……
これらは、大人にとっては、かつて持っていたはずだけど、いつの間にか失っていたものなのです。そして、ひょっとすると二度と手に出来ないものなのです。
だからこそ、懐かしく感じたり、子どもの頃を思い出したり……優しい気持ちになれるのですが、果たして、この本の意義はそれだけなのでしょうか?
「かみさま」へ宛てた手紙とは言え、それは子ども達の純粋な感性から生まれた疑問に他ならず、回答するのは私たち大人なのです。
さて、どう回答すれば、子ども達に納得してもらえるのでしょうか。
少しだけ感じた恐怖は、大人が子どもの感性にどう向き合い、受け止めるのか、それを試されている本だという気もしたからです。
勿論、絵本としても非常に楽しめる一冊です。