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かみさまへのてがみ

※これは、大昔に個人ブログで書いたレビューからの転載になります。

【かみさまへのてがみ】
谷川俊太郎=訳 葉祥明=絵

 この絵本は、海外の子ども達が神様へ宛てた英語の手紙を、綴りや文法の間違いも正さずに、そのままの書体で掲載しています。それに、谷川俊太郎さんが素敵な訳を添えてくれ、また葉祥明さんのメルヘンチックな挿絵で、ほのぼのした雰囲気が演出されてます。

 しかし、やはり何と言っても主役は子ども達です。
 そのあまりにも純粋で素朴な疑問は、子供ならではの発想から生まれたもので、ついつい目尻が下がり、口元が緩んでしまいます。



「かみさま 
 あなたは きりんを ほんとに あんなふうに つくりたかったの? それとも あれは なにかの まちがいですか?」

「かみさま
 どうして よる おひさまを どけてしまうのですか? いちばん ひつような ときなのに」

「かみさま
 あなたは おかねもち? それとも ただ ゆうめいなだけ?」

「かみさま
 あなたは どうして じぶんが かみさまだって わかったんですか?」



 さて、子ども達の無邪気で天真爛漫な疑問を読んでいると、童心に戻るような錯覚に陥るとともに、少しだけ恐怖も感じるのです。子ども達の疑問が、あまりにも本質的過ぎるのです。
 確か、自分も子どもの頃にそう思ったことがある……そんな手紙に出会うと、ドキッとします。

 いつから、その疑問が疑問でなくなったのだろう?
 大人に答えを教えてもらったことは、あっただろうか?
 何故、純粋で素朴な疑問だと感じるのだろう?

 人は、大人になるに連れ、知識と経験は一方通行で増加します。それに伴い、大切なものを喪失しているのではないでしょうか?

 子どもならではの発想、子ども特有の感性……
 これらは、大人にとっては、かつて持っていたはずだけど、いつの間にか失っていたものなのです。そして、ひょっとすると二度と手に出来ないものなのです。
 だからこそ、懐かしく感じたり、子どもの頃を思い出したり……優しい気持ちになれるのですが、果たして、この本の意義はそれだけなのでしょうか?

「かみさま」へ宛てた手紙とは言え、それは子ども達の純粋な感性から生まれた疑問に他ならず、回答するのは私たち大人なのです。
 さて、どう回答すれば、子ども達に納得してもらえるのでしょうか。

 少しだけ感じた恐怖は、大人が子どもの感性にどう向き合い、受け止めるのか、それを試されている本だという気もしたからです。

 勿論、絵本としても非常に楽しめる一冊です。

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