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読むことはやはり大事

リズムが正しく弾けない

次男がヴァイオリンを練習していました。その曲は私もメロディーはある程度覚えているものなのですが、聴いていてリズムがスッキリしないと感じました。複合拍子の1拍を3分割する感覚に乗れていないのです。
これをそのまま弾いていても改善しないなと判断し、次男に「楽譜を声に出して読む」ことを指示しました。そもそも学校の音読など「一人で声に出して読む」のが嫌いな次男、若干の抵抗をしましたがどうにかやってくれました。

その後弾いてみると、そのスッキリしない部分がきれいに弾けています。歌わなくても読むことで、歌い方までなんとなくわかったような印象も受けました。

歌わずに読む

歌うとなると、声をその音の高さに出すというスキルが必要になります。音の高さがわかるということと声をその高さに出せるというのは別のスキルになるので、譜読みのために歌うというのは、脳のリソースを不必要に使うことにもなり、読むことへの集中力が減ります。
演劇の練習の時、台本の読み合わせと同時に立ち稽古はしませんよね? 譜読みで歌うということは台本の読み合わせと立ち稽古を同時に始めるようなものです。台本をある程度理解してから立ち稽古するように、楽譜の読みもある程度読めてから歌うのが大切になります。

では、新曲視唱の試験は?

これは先ほどの譜読みとは違います。視唱試験の目的は、楽譜が読めるかということではなくて、楽譜から読み取った音楽をどれだけ表現できるか、ということです。それだって読みながら歌うのではなくあらかじめ読んでから歌うので、いきなり歌うのとは違います。
新曲視唱は初見でサッと読んだものを、いきなり演奏するとしてどれだけの音楽を作り出せるか、ということになります。ですからこれは「譜読み」の試験とは違います。フレーズ感や裏に潜んでいる和声感も瞬時に読み取れることが理想となります。
新曲視唱の試験は読めればいいというものではなく、音の高さが正しく出せればいいというものでもないのです。

そもそもなぜ歌う必要がある?

声は人類が持っている最も素朴な楽器です。プロの声楽家はプロとしてのテクニックの訓練が必要ですが、その他一般の音楽家が自分の音楽表現をするために歌うというのは、さほど訓練を必要とせずにできるものです。もっといえば一人で歌う場合、試験ではない場合には「ド」の高さが一般的に用いられている楽器でのドと同じである必要もなく、相対音として音と音の間の関係が正しければ歌として正しいことにもなります。その楽器を利用して自分の音楽表現を磨くことは、それはそれで大切なことです。

でも、まずは読めることが大切

歌うことは大切とはいえ、歌えるためには正しく読めることが前提となります。読めるためには歌うために必要なテクニックが、読むことへの集中力を妨げることにもなり得ます。
まずは「音程をつけずに読んでみる」ことが必要です。

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