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モーツァルトの意外な転調

昨日のディヌ・リパッティの話の続き。

リパッティが弾くモーツァルトのC-durのピアノ協奏曲(KV. 467)を聴きました。この曲は中学生の時に習って発表会で(オケパート第二ピアノで)1楽章だけ弾いたので、思い入れのある曲です。

今回聴いて改めて感じたのは、弾いた時に気づいていたとは思いますが、無視したというか「そういうものなのね」とサラッと受け流したことの一つに多彩な転調が挙げられます。

第一楽章はともかくとして、第三楽章のC-durからAーdur(近親調ではない!)に至る和音の使い方など、当時何気なく当たり前のように弾いていたって自分で信じられない思いです。

当時、C-durのこの曲のある部分がAーdurになっていたことは流石に理解していたはずですが、その転調の手法を、今改めて聴くと「え?こんななの?」と新たな発見に満ちています。

C-durから偽終始を重ねてAーdurに至る辺りの和声ってなんて美しいの!
その美しさを感じられるようになったということは私も成長したということですね。

聴くだけでこのようなことがわかるようになると、じっくりと分析する時に非常に強い武器を得られます。フォルマシオン・ミュジカルでは小学生からの積み重ねでこのような聴き方ができるように育ちます。


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