キーボードを叩き続けていたら、私の苦手な家族(母親)の話になってた
2024.11.05(当時)
正確には、まだ寝てないので2024年11月4日。
31歳になった。
高校生の頃の私は自分が30を超えてもまだ生きているなんて、本当に思ってなかった。
病気にでもなるか、親から逃げるように一人で生きて、それで人とうまくいかずに淋しく死ぬんだと思ってた。
こういう話をするとある一定数の人から「どうせ嘘」とか「大げさ」とか、自己肯定感の低い人からは「構ってちゃんか」「私の方こそ…」とネガティブの逆マウントを取られたりするけど、私は別にそんなことをしたいのではない。私は私の話がしたいだけ。誰かや何かを下げたりするつもりもないし、別に知らないあなたのことなど、私には関係ない。
イラつくならそっとアプリを閉じるか、私のSNSをブロックするか、各々で自分の機嫌を取るくらいの対応はしてほしい。
ーー
そう、それで最近、「31歳だし前髪を伸ばしてイメチェンもいいな」と思って色々調べてたら、
「運気はおでこから入ってくる。前髪を分けた方が運気が上がりやすい(諸説あり)」という話を見かけた。
忘れかけていたけど、私も昔、前髪を伸ばしていた時期があった。けど、いつの間にか切って、結局いつも通りの眉の高さに戻っていたんだった。あれは何でだったか。
ついこの間朝ご飯を食べながら、引き出しを開けるみたいに過去の記憶をたどってみたら、ひとつ思い当たる出来事があった。
高校の時、「罰ゲーム」と称して部活の友達(一応そう言っとく)に前髪を綺麗さっぱり切られたんだった。
何でだろう。「似合わない」「変」みたいなことを言わた気がする。あまり覚えていない。
けどはっきり思い出したのは、私は前髪を切られる最後まで「やめて」と拒否していたし、泣いていた。それでもその友達は手を止めずに、私の前髪を切った。
「髪は女の命」だとか言うけど、別に女とか男とか関係なく、他人が好き勝手に人の髪を切るものではないと思う。何でかは分からないけど、切るものではないと思う。
「やめて」と言ったのにそれでも切ることをやめなかった当時の友達もどうかしている。周りにいた止めなかった友達もみんな、本当にどうかしている。
世の中の学校には「スクールカースト」なるものが存在するけど、私がカースト上位の陽キャラなら、きっと「前髪を切ってやろう」なんて思われなかったと思う。
あの時の私は多分、あの中で誰よりも下で、誰よりも「どうでもいい、何をしても面白味に欠ける存在」だった。だから切られた。悔しいけど、多分そう。
今の私なら、そいつからはさみを取り上げて、押し倒した挙句に顔にはさみを顔に突き刺す勢いで寸止めするくらいのことはできる気がする。もう友達とも思っていないから。
その当時は翌日からの友人関係、部活、学校での立ち位置などを考えて、「自分が素直に髪を切られること」を選んだのだと思う。人の目ばかり気にしてバカみたいと思うけど、当時の私にはそれが最善だったし、それが生きる術だった。
それから、というわけではないけど、なんとなく部活での(というか学校での)自分の身の振る舞いを考えるようになった。この人たち全員、多分人の気持ちが分からず善悪の判断もつかないんだろうなと、少し冷めた目を持つようになった。だから「群れの中に居続けないと」という執着も薄れ、一人でいることが怖くなくなった。
そこまで思い出して、はっと気付くと、自分はいつもの朝ご飯屋さんにいた。
31歳になってもなお、何かをきっかけに昔に嫌だったことや言い返せなかったことを思い出してしまう。
誰が悪いわけでもない。別に誰を恨みたくもないけど、なぜか「ああやって言い返したかったな」と悔しがる自分もいる。
「分かるよ」とそれぞれの当時に共感してくれる味方が欲しかったのかもしれない。
当時の私には圧倒的に「共感者」がいなかった。
私だって誰にも共感していなかったのだから、いなくて当然なのだけど。
ーー
「分かるよ」と共感してくれる人は、一体どこにいるのか。
どこかにいて、出会えたとして、「分かるよ」と言われたとして、私はその言葉を素直に受け取り、信じられるのか。
そして私も誰かに共感を向けた時、その共感はどう受け取られ、一体何が起こるのか。
今でも、親から言われる「分かるよ」でさえ信じることができない。
親はおそらく、私のことを半分も分かっていない気がする。
だから親に「分かる」と言われたところで「何が分かるの?」と返したくなる。
というか、私は「この家にいてはダメになる」と実家から逃げた人間なので、親に何かを分かってほしいとも思っていない。
生まれてから実家を出るまで、相当なお金も手間もかけてもらったというのに、なかなか親不孝な子どもだと、自分でも思う。
でも好きじゃないから、仕方がない。とにかく好きじゃない。居心地が悪い。
だけどそんな親も年老いて、いつかは絶対に死ぬ。多分普通だったら私より早く死ぬ。
年に何回かは会うけど、特に母親は会うたびに小さく、細くなっているように感じる。
ああこうして私は親とも別れていくんだろうな、と思うと一応少し悲しくはなる。あんまり好きじゃないのに。
ーー
母親が好きだというバンドがある。Mrs.GREEN APPLEというバンドだった。
知らない人のほうが少ないと思う。私ももちろん知ってるし、好きな曲もいくつかある。
「声が綺麗で好きなの」と母は言っていた。
私の母親は小さい時からピアノを学び、音大でもピアノをやっていた。だからなんとなく母の言った「声が綺麗」の意味には「音楽として綺麗」が込められている気がして、母親が言うなら本当に美しい演奏をするバンドなんだと思った。
それで、家の中でもイヤホンをして聴くのが趣味なんだと、昨年実家に帰った時に教えてくれた。
スマホに有線のイヤホンを繋ぎ、手作業をする母。私が実家で暮らしていた時には見たことがない景色だった。「母親にも好きな音楽や歌手…そもそも『好き』があったんだ」とその時、初めて思った。
私は好きなバンドや歌手のライブには一人でも軽率に足を運んでしまう人間だから、
「ライブとか行けばいいじゃん、生歌すごく綺麗だと思うけど」と言ってみたら、
「もう年だから無理よ。一人で行く勇気もないし、チケットの取り方も分からないし」と少し笑いながら言っていた。
そういえば私の母親は特に機械が苦手なんだった。一人で行動するのも苦手なんだった。年齢を理由に行動することを諦める人間なんだった。
私が一人で海外旅行をすると言った時、日本を出て暮らすと言った時、母親はいつも「一人で大丈夫なの?」「そんなことして大丈夫?」「あなたはいつも一人でも平気だからね」と余計な一言を加えるような人間だった。
ある時には、「私も若ければやりたかった」と付け加えることもあった。
私が大学を出て、幼稚園教諭の免許を取った時にも言われた。
「私も幼稚園の先生になりたかった」
その時は「じゃあ、なればよかったじゃん」と返した気がする。けど詳しいことは忘れた。
なぜ母親が幼稚園教諭の道を選ばなかったのかも、申し訳ないけど忘れた。
そんな母親だから、私は苦手だったのだろうと思う。
あれこれ理由をつけてやらないくせに、その当時自分が選ばなかった道について、「あの時やりたかったな」を口にする母親が。
母親も実家の周りも、みんなそう。
あの空間は、私が大学時代にいた時間のまま、何も変わらず、何も変えず、何かを変えることを常に嫌がりながら、でもものすごく時間が経ったあとに「やっぱやればよかった」と口だけは関心があったかのように言う。
あの空間こそ、私が最も苦手な場所だった。
ーー
人間は、今日たまたま運よく死ななかっただけで、明日はもしかしたら死ぬかもしれない生き物だと思う。
命も時間も有限で、私が生きていたとしても私の好きな人たちが、私と同じ時間に生きているとは限らない。
だからお金を払って応援できるのなら、可能な限り応援していたい。
時々耳にする「推しは推せるうちに推せ」みたいな言葉の意味はそういうことだろうと、私は勝手に解釈している。
死んだ後に、解散した後に、「会えばよかったなあ」という人は苦手だ。結果の変わらない「たら/れば」話なんかに意味はない。
「会えばよかった」より「たくさん会えて楽しかった」と思える人生の方がいい。
どうせ死ぬなら、「死ぬのは嫌だけど、まあいっか、楽しんだし」と後悔を口にせず死にたい。
そんなことを考えているうち、「あ」と思った。
そうだ、私も母親も家族も、いずれは死ぬんだった。
彼らが死ぬときに後悔することがあるとしたら、何だろう。
ーー
つい最近、そのMrs.GREEN APPLEが実家の近くでライブをすることを知った。
私が一時的に帰国する日程とも被るので、まさかと思ったら、一般抽選でチケットが出ていた。何かの運命だと思って何も迷わずに2枚応募し、事後報告で母親に連絡した。
「ミセスのライブあるからチケット申し込んだ、行く?」
これでもし母親に予定でも入ってたらどうするんだ、順序を間違えたかもな、と思った。
でもどうせ、実家という小さい鳥かごの中に暮らしているような母親なので、ほぼ空いてるに決まってる(失礼ながら)。
「行ってみたい、よく聞くから」
母にしては珍しく早い返事だった。その時の母親がどんな表情をしていたのかは知らない。
当たるかどうかは分からないけど、母親が一つでも知らない世界を知れたらいいと思う。
「知れたらいい」というのは別に、母親の要望ではないし、どうせ私のおせっかいでしかない。
ただ、これでもし私が近く死ぬとして、「母親の好きな歌手のライブ、連れてけばよかった」と、この私が、後悔することがなくなった。ただそれだけで、少し気持ちが晴れた。
相変わらず母親も家族も実家も全部、苦手なのだけど。
ーーー
キーボードを叩いていたら、全く意図しない話を書き始めてしまった。
本当は「31歳になったので、ちょっと大人っぽく前髪伸ばしてみようかな、えへ」くらいなことを書きたかったです。
ではまた。