きっと、もっと、自由だ。
周りの目
誰かの言葉
世間一般的な正解・正義・正論
そんなの、どうでもいい。
そう思ってしまっても、いいと思うの。
周りを気にして
傷ついて
傷つかないために本音を否定して隠して…
挙句の果てには
隠した本音が自分で分からなくなって
本音を探すために自分探しの旅に出て…
周りの目
誰かの言葉
世間一般的な正解・正義・正論
そのせいで
自分が自分じゃなくなるぐらいなら、
そんなもの、無い方がいい。
この短い人生
長くて100年
短くて今日
何のために生きているんだ。
周りを気にする、ことは、自分をつくる上である種大事なことだと思う。
けど、この人生、他人のため、より前に、自分のための人生であるべきだと思う。
だから、周りの意見を尊重しすぎて、苦しくなるぐらいなら、耳を塞いだ方がいい。
Aさんの正解は、Aさんにとっての正解であって、私にとっての正解じゃない。何か言われたとき、なんでも共感しようとしなくていい。口では「分かるよ」って言いながら、心の中では「違うと思うんだよな」って思ってもいい。共感は正義じゃない。
だけどもし、Aさんの正論が、私にとっても正論だったとき、逃げられずに傷ついてしまうかもしれない。相手の言葉が心にそのまま刺さってしまうかもしれない。そんな時は、落ち込む前に一歩下がって、正論は正論と割り切ってみる。そして冷静に、正論を受けて自分を見つめ直しても良いし、正論(正しさ)よりも他に自分が大切にしたいことがあるのなら(正論は正論として置いといて)自分の心地よさを優先してもいい。
Aさんと私の正論が同じだったとしても、正論を優先するしないの選択はそれぞれだ。
まぁそうは言っても、
どこかの誰か、たった1人の言葉に、簡単に揺さぶられてしまうのが常で…ましてや世間一般的な正解・正義・正論は、信じている人が多いからこそ簡単に影響を受けてしまう。そして気づいたら支配されてしまう。
だから対策として
「やばい!」「周りの目が怖い!」「自分が自分じゃなくなる!」って思ったら、その瞬間、自分の半径1mに透明な壁を作ってみよう(イメージしてみよう)と思う。
周りの目(相手)から、意識的に自分を遠ざけてみると、今まで絶対的だった正解が、単なる1つの答え(数ある答えの中の1つ)でしかなかったんだと思えるかもしれない。
この広ーい世界に、ただ1つの正解なんてものはなくて、正義だって人の数だけある。その全てを尊重しようとすると自分が苦しくなるし、積極的に周りを尊重しようとしていなくても、自分の正解に自信が持てないうちは、強い意見に惑わされてしまう(流されてしまう)。
正解は1つじゃない。
テストで○✕判定できるほど、単純じゃない。
当たり前だけど、大切なこと。
これを忘れないでおけば
きっと…
自分の正解を認められるようになる(自分の正解を認めても良いのかもしれない、と思えるようになる)し、周りの正解と自分の正解が違って傷ついたり、正論を真に受けて傷ついたりしなくて済む。
あとは、自分の本音を自分で認めた上で、本音を自分の中に持っておくこともできるかもしれない(本音に絶対的な正解がないんだと思えれば、周りの目に怯えて本音を隠す必要がなくなるかもしれない)。本音が分かっていれば、自分探しの旅、なんてのに出なくても、今の自分のまま進んでいける、よね。
(本音を自分で否定するから、本音が分からなくなるのであって、きっと本音は誰もが持っている。その本音を活かすか、殺すかは自分次第。本音を否定せず尊重するところから。(いくら自分探しをしても、本音を見つける度に否定してたら埒が明かないよね。))
私は
きっと、もっと、自由になれる。
周りの目から
誰かの言葉から
世間一般的な正解・正義・正論から
自由になれる。
そして
自由になったところから
私の人生が始まる。
自分の人生を自分でつくっていけるようになる。
(頭で分かっていても、実際問題難しいよね。)
そろそろ、自分の選択(正解)に自信を持てるようになりたいな。