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ハレの日の特別感とケの日の安定感②

前回は、私が食に対しての概念がガラッと変わるきっかけまでを綴りました。
今回は、ガラっと変わってからの私の心の動きを綴りたいと思います。


娘が生後半年の時、複数のアレルギーを持ってることが検査結果でわかった後、私は絶望感に包まれていた。
なぜなら、これから離乳食を始めるという時に
卵・乳製品・小麦を全て除去した食事にしてくださいと先生からサクっと言われ、ただでさえ料理を作るのが苦手なのに、その主となるであろう食材を使わないで料理するなんて、、と、頭の中が真っ白。

それまで普通に料理に使ったり食べたりしていたものが、今日からやめてくださいと簡単に言われる状況にまずは気持ちが追いつかず。。パニック。

そして、それよりも私の心がボロボロになっていったきっかけが、娘の重度の猫アレルギーの発覚。
その強い猫アレルギーに引っ張られて食物アレルギーの数値も上がっていると先生は言っていた。


我が家には、娘が生まれる前から猫がいる。
大切な大切な家族。
その想いが誰よりも強かった私は
1番聞きたくなかった言葉をその後聞くことになる。

それは
「娘さんと別々に暮らした方がいいですね」
その一言。

言うのは簡単。
きっと誰が見てもそうした方がいいと言われるぐらい、娘の検査結果は悪かった。

いろんな感情が私の中で渦巻く。
後悔や怒り、悔しさ、絶望、悲しみなどなど。
その時はもちろんすぐに答えを出せるはずもなく
正直、目を逸らしたくなるような
現実逃避したくなるような状態だった。

かといって時間をかけることもできず
家族で話し合い、一定期間別々に暮らすことになる。

私はそこから何度自分を責めただろう。
そして何度アレルギーを憎んだだろう。

離れて暮らし始めてからは
娘の肌の状態も良くなり始めた。
娘の状態は良くなっているけど、心の底から喜べない私はどこかずっとモヤモヤを抱えていた。

それからも食物除去はしばらく続き
気をつけなきゃ、ちゃんとやらなきゃと思い過ぎて
過度な神経質になっていった私。
当時が1番きつかったなぁと、過去を振り返ると思うことが多い。

食物除去が解除されたのは娘が2歳になる頃。
幼稚園に入ると同時に解除となった。
そこからは、ようやく親と同じ物が食べれるし
外食に行ってもそのお店のメニューから選んで食べれるという生活が始まった。
親からすれば、これはかなり嬉しいこと。
当時の私も一つ肩の荷が降りたような、そんな気持ちが強かった。

でも、あの時からずっと消えない心のモヤモヤ。
周囲から
「よかったね!ここまでよく頑張ったね!」
と言われたけど、私はどこか素直に喜べないでいた。

そう。私のゴールは娘の食物除去が解除になることではなく、娘のアレルギーが治り、また家族皆で暮らせることだったから。
そこに行くまでには、あとどのくらいかかるのだろう…本当にその日がくるのだろうか…と
一つ大きな山を超えたのに、心はどんより途方に暮れていたあの頃。

そんな絶望感に包まれていた時にある人に
「あなたはどうしたいの?」
と問われ
「私は、また家族皆で暮らしたい」
と答えると
「だったら自分を信じよう。誰も未来なんてわからないんだから。誰も未来の保証はしてくれないんだから。だったら自分を信じよう。」
そう、強い気持ちで私に伝えてくれた。

この時からスイッチが入ったように
それまで食についていろいろ調べながらやっていた事にプラスして、食が心身に与える影響や心身を整えることの意味や重要性など、アンテナをはって日々過ごしていった。

その日々は
知れば知るほど恐ろしい現実や
私たちが置かれている環境に対しての絶望感や
ゴールまでの道のりが見えない大きな不安など
たくさんの気持ちと向き合うことになる。

何度も挫けそうになり
何度も何かを恨み
その度に罪悪感を常に抱き
自分に対してダメ出しをしまくっていた。

ふぅ。。こうして言葉にすると
そんな状況で本当によく頑張っていたなと思う。
当時は自分の頑張りは認められず
何でもっとちゃんとできないの!?と常に自分を責めることを頑張っていたように思う。

そしてそれは娘に対しても厳しい想いが向けられ
思い通りにならない現実を、娘にぶつけていた。
なんてダメな母親なんだと
こんな母親じゃ娘が可哀想だと
何度も何度も何度も何度も自分を攻め続けた。

そこからは何も生まれないのだということも
その最中にいるとわからないことが多い。
まずは自分に優しく。と言われても
そこから生まれる〝本質的なもの” には
当時の私は到底辿り着くことができなかった。

出口のない暗闇を彷徨っているような
苦しみの中で生きていたような気がする。
そんな状態だったから、必死に自分を守っていたんだろうと、今になるとそんな自分を受け入れることができる自分がいる。

そしてこの時の暗闇を彷徨っていた私がいなければ
今のわたしは絶対にいない。
そうはっきりと言えるのは、その時のわたしより
〝自分に優しくできている” からなんだろうな。


たくさんの情報の中で、わたしにフィットするものに出会うのは容易いことではないけれど
時間をかけて、その目を養って、感覚を取り戻していけば、力を入れずに容易くできることに変わる。
ジャンプするんじゃなくて、一歩一歩進むことが確実に本質に近づく。コツコツに勝るものはない。


そう思えるまでに、そして今でも探求し続けていることだし、これからもずっと続くことだけど
『自分にできることは未知ほどある』
そう思うことが果てしなく彷徨う絶望から
大いなる期待と希望に溢れているという意識に変わったのは私にとって大きな変化。
何よりそれは
私自身がわたしの可能性を広げているという証拠。


溢れる想いが多すぎて、、
さらに次回に続きます。

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