『私』とは?《自我》編
(´_ゝ`){たにぐちです!
「たにぐち」とはいったい何者なのか?
精神科の病院や精神科の訪問看護で働き
このようにして精神アセスメントの技術をnoteで共有しているが、いったい何が目的なのか?
正直わかりません。なぜ自分がこのようにして行動しているのかも。
何故かはわかりません。
只使命のようなものを感じるのです。。。。(-"-)!!!
(*´Д`){話が大きくなりそうだ。。。
というわけで、「私」を定義する《自我》編!
いってみよー!!!
《自我》の定義
MSEにおける《自我》とは
意識、記憶、認知、感情、意欲、思考、知覚という7つの精神機能を現実に即して実行させ、それらを「私」として取りまとめる主体となる精神機能
といわれています。
普段は意識されることはないですが、この《自我》によって「私が私である」「私が存在している」「私が行っている」という実感を持つことが出来ます。
私たちは普段、現実の状況にもとづいて判断や行動を自然に行っています。
それと同時に「自分が自分である」ということを当たり前のこととして、意識することなく活動をしています。
しかし精神障害においては、その当たり前が不確かになり、自分が脅かされるという体験をすることがあります。
もしも、自分が自分ではなくなり、他人に操られているという感覚を覚えたらとても恐ろしい事ではないでしょうか?
そんな僕自身も、小学生のころからずっと感じ続けているものがあります。
「自分とは何だろうか?」
小学生の頃に、ふと頭に浮かんだ疑問。
この問いに対して応えてくれる人や、解決するための材料は持ち合わせていませんでしたが、「妄想力」は人一倍強かったので、いろいろと頭を巡らせていました。
その時の自分が出した答えは
自分やみんなの脳はどこか、研究施設みたいなところで管理されており
施設内の試験管のなかで、脳にあらゆるケーブルがつながれ、培養され、外にいる科学者によってあらゆる刺激を与えられている。
そして、自分が今見ている世界は、きっとその人に見せられているのではないだろうか?
または、
この世の中は「ゲームマスター」という人が世の中を支配しており、一人ひとりはそのゲームの主人公で「ゲームマスター」によって操作されている
という妄想でした。
いやーイタイ妄想ですねwww
もちろんそんなわけもないとその後、一般社会に紛れて過ごしていましたが
指導をいただいている博士に出会い、認知科学という学問を習ってみると、あながちその考えは間違っていないのかと感じています。
この世はまるで映画「マトリクス」のような世界かもしれません。
そんな《自我》が障害されると、どうなるのでしょうか。
《自我》の障害は
「自我機能の障害」ー精神機能を実行させ取りまとめる機能が低下した状態
「自我意識の障害」ー体験を意識する主体としての自我機能が脅かされている状態
に分類されています。
ここで、「自我機能」と「自我意識」というものが出てきました。
それぞれを観てみましょう。
自我機能
自我機能は、力動精神医学において定義されています。
自我は
「超自我とエスの間に介在して、その要求や批判を調整し、防衛機制を働かせて内界の平衡を保たせ、一方では、外界を認識・判断し、主体を現実に適応した行動に向かわせる機能を果たす心的装置をさす。」
とされています。
「自我異和性」「自我親和性」「自我のスプリッティング」といった用語は力動精神医学から説明されています。
その後、理論家が推し進められ、それを発展させた”ベラック”によって、自我機能が12に分類されました。
1、現実検討
2、判断
3、現実感覚
4、感情や衝動等の規制
5、対象関係
6、思考
7、状況への適応
8、防衛機制
9、こころのフィルター
10、自律
11、人格の統合と統一
12、環境の克服
臨床でよく聞かれる「現実検討機能の低下」「病前性格の尖鋭化」などは「自我機能の低下」として説明されています。
自我意識
一方の自我意識とは記述精神病理学で定義されています。
「自我意識とは様々な体験を主体としての自我の意識の事
と定義
つまり「自分自身を認識する意識」ということです。至ってシンプル。
自我意識が障害されている状態を4つに分類しています。
1、能動性意識の障害
2、単一性意識の障害
3、同一性意識の障害
4、外界に対立する自我意識の障害
「離人症」「非現実感」「二重人格」「させられ体験」といった用語は記述精神医学から説明されています。
アセスメントポイント
「自我機能」や「自我意識」
これはいずれの学派においても
自我は意識、記憶、認知、感情、意欲、思考、知覚という精神機能を現実に即して実行させ、それらを取りまとめる中枢的役割を果たしています。
その為、自我に障害が見られた場合には、その他の精神機能に強く影響を及ぼします。
「自我機能」については比較的、客観的にその違和感や障害に気づきやすいのですが、「自我意識」については、クライアント本人の主体的な体験によるものが大きいため、客観的に捉えることが難しい場合があります。
症状に苦しみ、また周囲に理解されない苦しみが生じていることもあります。
その為、先入観で判断せず、また孤立感を与えないような関わり方が必要になってきます。
終わりに
みなさんも、ぼーっとすることはありますよね?
極端に言えば、それはある種一時的な自我の障害とも言えそうです。
かく言う僕も
( ゚Д゚){ぼーっとするな!!!
っと怒られてきました。
この場合、ぼーっとしているというよりも
実は異次元に行っているという感覚が正解何ですね。僕にとっては。
こんなこと言うと
(;´_ゝ`){変な奴・・・。
と思われてしまうかもしれません。(というか実際に言われてきた。)
でも、実際瞑想していると宇宙まで行く感覚ありません?
俺だけ?
この変な体験はあまりわかり合えたこともないので、意外と、孤立感を感じて育ってきました。
いやー寂しい時期もあったが
ここまで来るとむしろ開き直ってきています。
時々、変な記事を書くかもしれませんが、そこらへんの感覚でお付き合いできる方は是非コメント下さい(笑)。
そしてMSE精神症状については、一応一通りご紹介していきました。
これからはディティールを詰められればいいかなと思っております。
その他にも《心理反応》という項目もあるので、随時ご紹介していきますね!!!
(´_ゝ`){ではまた!!!