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涙が消えた夏へ

雑多な私生活。
これ以上近づいたら壊れる。
これより離れたらここで終わる。

どうしてそんなものばっかりなのかな。


褒め言葉じゃないこと、気づいてるよ。

これは喧嘩というのか。価値観の押し付け合いというのか。
分からないけれど、複数人でそんなことがあった。

そのとき、「君は、優しいからね」と言われた。

ねぇ、そんな言い方ならその言葉要らなかったよ。



今まで受け取った「優しい」という言葉。
そのほとんどが心から「優しい」と思って言ってくれている言葉じゃないこと、知ってるんだ。

そのほとんどは、
負の感情から出たもので、
都合いいの言いかえで、
「だったら、わがまま言えば」
「いい子ぶらないで」の言いかえで。

いつから、「気づいてないふり」「知らないふり」「傷ついてないふり」をするのが上手くなっちゃったのかな。

私を表す「真面目だね」って言葉がいつの間にか、「ふり」を繰り返しているうちに、予期しない「ふわふわしてるね」になっていた。


小話・・・セルちゃん

いつの間にか「ふり」が上手くなった私は、「ふり」ができないセルちゃん(大学の同級生)を眩しく感じる。

かれこれ2年半、セルちゃんの隣で授業を受けている。そのセルちゃんはなぜか最近突然私を呼び捨てで呼びたがった。少し照れながら名前を呼ぶ練習をしてた。「いや、付き合いたてのカップルかよ」って突っ込んだ。

セルちゃんは語気が強い。ゆえに勘違いされやすい。あまり多くは語らない。容赦なく私にも物を言う。嫌なことはびっくりするくらいはっきりと嫌だって言う。内に秘める想いがきちんと存在している。


私はセルちゃんのことがなんだか愛しくて、少しだけ私も思ってること言えるようになった。



理解できない君はきっと私を理解できない

私は、君はどうしてそんなことができるのか、と思った。

せめて、私の考えは伝えようと、「自分の心」を「特定の誰かに向ける言葉」として文字の羅列をつくった。
良くも悪くも人よりは文学的に言葉を書けてしまうことを知ってるからこそ、それを使って思いっきり砕けたことがあるからこそ、再度読み直した時凄く苦しくなった。
すべて、削除した。

そんなとき、「理解できないと思っている相手は、きっと同じようにあなたのことを理解できないと思っている」という内容のツイートが送られてきた。

腑に落ちた。


そうか、きっと、君も私のこと理解できないと思ってたんだね。


人の価値観は長い年月をかけて形成されるものであり、その人固有のものであると思うからこそ、それが他者により大きく変わることの方が珍しいと思う。それを踏みにじりたくもない。
寄り添えないと思ったら、境界線を引いてしまうのは私の弱さでしょうか。

人間関係において、そっか、仕方ないね、って諦めることは得意だから、どうか幸せでと祈りながらその場を退いた。


孤独を手放せないって

映画「ちひろさん」に出てきた「孤独を手放さない」という言葉があれから私の中をぐるぐるしていた。


孤独、ひとりでいること?

私は物理的にひとりでいることじゃなくて、精神的にひとりになることが「孤独」だと思う。例えば、自分の決断を応援してくれる人が誰もいなくなったとき。例えば、周りの人がみんな敵に見えるとき。例えば、一歩身を引くとき。

そうやって半ば意図的に、「孤独」になろうとすることがある。


その「孤独」が最終的には「強さ」に、

なるのかなぁ。




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