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「へん」な子の変遷

梅雨とは思えない程からっとして、太陽が全力を出している朝のこと。

同級生とすれ違った。


あ、おはよう。

うん。おはよう。

ねえねえ、-1さんって変な子だよねってこないだ友だちと話してたんだよ。


?????

ん?
え、変な子?
、、私認知されていたの?
、、、ちゃんと話した記憶ないけどなぁ?
たくさんのクエスチョンマークが浮かぶ。


あまりにもさらっと言うものだから、あ、ふ〜んとしか言えなかった。
頭の中ではたくさんの疑問が飛び交っていたけれど。

ありがとう!褒め言葉として受け取っておくね!そうとも答えたから、変な子レベルがアップしてしまったかもしれない。


ただね、私は凄く嬉しかったんだ。
何にも囚われずに、「わたし」を生きていたいから。
良い意味で言ってくれたのか、そうじゃないのか、真意は分からないけれど、人と違うって私は素敵だと思う。

そんな1分にも満たない会話にまつわるnote。


片な子

私の身体の半分はいつもぷかぷかしていた。

ここにあるはずなのに、ない。

そんな気がしていた。


私が何なのか、誰なのか、分からなくて分からなくて、私の良いところも悪いところも分からなくて、出口が見えない闇でもがいた。



そんな時期があった。
その時期、私はこの世の誰よりも私が嫌いだった。大嫌いだった。
どれだけ泣いても叫んでも晴れない心に、何度も挫けた。

これ以上誰にも嫌われたくないよ。
誰かに嫌われたくないよ。
私はどんどん人の顔色を窺うのが上手くなっていった。
笑顔を振りまく私と、自我が芽生えたばかりの幼子のように泣き喚く私を完全に分けて生きるようになった。


編な子

片な子を抱えつつも、15になって新しい類の優しさを知った。
何も聞かず、ただ受け止めてくれる人がいる温かさを知った。
友情は頑張って繋ぎとめようとするものではなくて、お互いが寄り添うことで成立し、続いていくものだと知った。

ずっと昔から傍にいてくれた友達に、優しさを教えてくれた友達に、私の幸せを心から願ってくれる友達に、溢れんばかりの感謝を伝えたい。
ただ幸せでいて欲しいと願える相手がこの世界にいること、それだけで凄くあったかいんだね。

片な子から、私は編な子になった。
ちょっとずつ人に編まれていった。
言葉に編まれていった。


それから、人は環境に影響されるとは言い得て妙で、17の私はありとあらゆる環境に良くも悪くも吞まれた。

あったかい気持ちの裏で、知りたくもない思い出したくもない真っ黒い感情があった。
そのなかで、必死で私を保とうとあがいた記憶がある。

編な子の加速

18の春、今までとは桁違いに広い海に投げ込まれた。

大学生になり、突如自由の世界が到来した。

私の中の片な子と編な子が大きく衝突していたのもこの時期だった。
何が私なのか分からないなかで、人の波に潜り込んでいった結果、私を編む糸は元に戻せないほどに絡まり私の身体を縛るものになっていった。
出会いには感謝している。だけど、それだけでは上手くいかないことがたくさんあった。
何も鎧を身に着けず、人の嵐に飛び込んでいくことは危険だと知った。

それからの私は嵐から遠ざかり、時間をかけて絡まった糸をほどいていった。
どうしてもほどけない糸はひきちぎった。
骨の折れる仕事だった。
心が無くなることもあった。

だけど、不思議と、糸の絡まりがほどけるほど、片な子が消えていった。

幼い頃から芯が強いと言われることはあったけれど、片な子が消え始めたときから確かにぶれない太い軸がめきめきと形成された。

ひとつの私になった感覚がある。

そして、今が一番幸せだと胸を張って言えるようになった。

変な子

私は長い時間をかけて、変な子になった。
ありのままの姿を、私が受け入れて自然体で過ごしている。
私のことを私がいちばん大切にしている。
そのうえで人に接することができるようになった。

スミレのような紫色の大きなリュックを背負って、自転車を漕いで、好きなことは好きだと誇りを持ち、美味しい、楽しいという感情には純粋に生きる。楽しい時は笑う。泣きたい時は泣く。しんどい時はやっぱりしんどい。
そんな私はもしかしたら、「変」なのかもしれない。大事なのはそこじゃない。
人からどう思われるかではなくて私がどうあるか、でありたい。



辺な子

変な子はたまに、辺な子もやっている。
組織の片隅で、総合的に判断し、ありとあらゆる方向から降ってくる問題を裁いていく。
そんなことも出来るようになり始めました。



ねえ、今がいちばん楽しいよ。


以上。
まだまだ、成長過程の「へん」な子でした。

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