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乾杯
その日死んだ五十川麻里子という人は私のダチだった。
この映画を見たとき、私は何を思ったのだろう。
去年の日記のページを捲る。
しかし、映画を見た記録はあっても感想は一切書かれていなかった。
それならば、記憶を辿ってみる。
1回目。街の大きな映画館で見た。ひたすら涙を流した。今思えば私は大破損してたから、そのせいもある。
2回目。友達と地元の小さな映画館で見た。胸がぎゅっとなった。見てよかった。泣かなかった。ああ、やっぱりこの映画好きだ、と思った。
3回目。アマプラで見た。泣けなかった。
泣けなかったと書くと泣きたかったみたいになってしまうが、そういう訳でもなく、ただひとつひとつのシーンをどの時よりもぎゅっと抱き締めていた。やっぱり好きだった。
1回目見たとき、溢れんばかりの感情を抱いたはずなのに、どうしてあのときの私は何も文字として残さなかったのだろう。
残せないほど、心から溢れ出していたのだろうか。そんな気がする。上手く言葉に出来なかった気もする。今となっては、私すらも分からない。
可哀想だと思われたい時期があった。
可哀想だと思われたい時期を過ぎて、
可哀想だと思われないようになりたくなった。
でも可哀想になりたくなる名残はあって誰かにこんなふうに辛くてねって話してしまった。
私の辛い話なんてどうでもいいよな。
私が飲み込めばすべて済むのに。
私が踏み込みすぎるなよって。
申し訳なくなった。
後悔した。
抜け道のない環状レールの上を走ってる気分だった。
そんな話を出会って2年経つ友とした。
彼女の腕に刻まれた彼女が生き抜いた証について2年という時を越えて初めて語った夜。
漫画NANAの更新を待ち続ける彼女を親しみを込めてここではキューと呼ぶことにする。
その夜、私はちょっと力を込めすぎてたのかな。たくさんの人間に触れたことで、HPがマイナスに振れていた。
花火をしようと盛りあがる人影を横目に
「うわあああもう無理だ〜」と心が叫んでた。
頭が痛いから帰りたいのか。
帰りたいから頭が痛いのか。
卵が先か鶏が先か論に近い議論が脳内で行われた。
どっちにしろ、とりあえず帰りたい。
うん。私がいてもいなくても変わらん。
帰ろう。
次の日、3時起きという大学生しまくっているキューを助手席に乗せて1時間。帰った。
夜とドライブの積はどうして、私たちに心の奥底を語らせるのだろうか。
ふたりきり。夜。ドライブ。
私たちは初めてキューの腕について語った。
「え、-1さ、気づいてたの?」
「うん。キューが、あの授業で隣の席に初めて座った時から気づいてたよ。」
「え、それいつだよ笑」
そんな風に始まった会話。
キューは躊躇いなく語った。
キューが語る言葉遣いは少し荒くて、可愛くて、声が普段より高くて、きゅるっとしていて、甘えていて、期待していて、諦めていて、言葉の裏にある本心が見え隠れしてた。
私はキューから出てくる言葉としてでしか知ることが出来ないけど、キューから見たその世界のすべてを知ることは出来ないけど、そのことについて向き合って、語り合えて良かったよ。
「このキズが無かったらさ、多分ここにいなかったと思うんだよね。
だからさ、大事な歴史なんだよね。」
愛でるように腕を擦りながらキューは言った。
「ねえねえ、キュー?
私たちが生き抜いた夜に乾杯だね」
きっとさ、キズをつける理由も心に抱えるものも、その明暗も、重さも人それぞれでさ、分かることは出来ないんだよ。
私の心はキューには分からないし、
キューの心は私には分からない。
特別深く仲良くなることもないのかもな。
でも、辛さを、放つことはできるんだね。
ずっと、自分のもとに置いとかなくてもいいんだね。あ、ここかもな、って場所見つけたらさ、そこくらいには放とうかな。置いときたいものリュックに詰め込んだら、もうそれでいっぱいだもんね。
キューを家に送り、帰路につく。
その間、椎名林檎を大音量で流した。
髪をショートにした次の日くらいさ、
椎名林檎の気分でいさせてくれないか。
万歳(Hurray)! 万歳(Hurray)!
日本晴れ 列島草生きれ 天晴
乾杯(Cheers)! 乾杯(Cheers)!
いざ出陣 我ら 時代の風雲児