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2024・7・7開催 声に悩む人のための写真教室


はじめに


キクチヒロシ、といいます。
一児の父、そして、吃音です。声に悩む人です。

仕事は福祉施設で、障がい支援の職についていて、写真を撮る人してます。
妻はフリーでウェディングのフォトグラファーやっていますが、僕はプロでもなんでもありません。
僕の場合は、自分のやっていることの、スナップ撮影や以前は吃音ポートレート(吃音の当事者の撮影)など好きなことのをXに投稿したり、その延長で、イベントの撮影やマッチングアプリなどでのプロフィール写真撮影もしました。こちらは、お金をもらって撮影させていただくこともあります。

なんでも、やってみたいと思うことであれば、タダで喜んでいきましたし…というわけで、妻と違って、プロでもなんでもないので、好きなことしかしません。

『声に悩む人×写真』という観点で、自分自身本当に救われて来たので、どうやったら写真で自分を幸せにできるのかってことをお伝えできればいいなと、そんなことでやってみたのか、先日、声に悩む人のフリースペースで、声に悩む人のための写真教室開催でした。
結果20人近くの方が参加してくださり、本当に感謝です。ただ、個人的には反省の多い結果となり、どうしたら良いかを考えた結果、ここで記事にして公開することといたしました。

改めてここで記事にすることによって、僕のお伝えしたかったこと、伝わりずらかった部分、お伝えできたらいいいなって思っています。


そもそも僕はなにを撮っているのか

写真をやっている、と言うと、何を撮っているのかとよく聞かれます。景色?人?どんな写真?と。いつも説明に詰まります。いつもはなんとなく誤魔化すのですが、とりあえず、みてください。少しだけ載せますね。



わかりやすい言葉で言うならば、スナップ写真になると思います。
でもスナップ写真て…なんですか?

僕的な言葉で言うと
日々の、あ!にシャッターを押した写真、といことになるでしょうか?
日々、出会う景色に、ただ、僕はシャッターを切ります。つまり、なんの特別感のない日常です。


なぜ声に悩むひとのための写真教室なのか。

私は先にもお伝えした通り、声に悩む人です。
悩みなんて、人それぞれある。でも、ぼくはその声の悩みに絶望していました。でも、写真はそれを変えてくれる力がある。それに後々気づいていくのです。


僕は吃音で中学生以降、大きく悩むことになります。

だから、とは言いません。
引越しで環境が変わったり、そんな要因はあっったものの、中学生生活はなんとなく馴染むことはできません。うまくいかないことも多く、誤解を招くこともありました。そんなことが重なり、僕は吃音だからなにもできないんだ。全て、吃音のせいにして、ただ絶望していました。ネガティブな方にしか考えられなくなっていたのです。

悩む人に届け、写真の魅力

そもそも、写真の1番の魅力はなんなんか。
カメラを持つことで、写真を撮ろうとするだけで、ちょっとでもよく撮りたい!と言う感情が湧き、世界が美しい面もある、と無理矢理にでも(笑)教えてくれる、というところに尽きると思っています。
悩む人は、悩みにだけ着目しがち。でも、ちょっと、世界に目を向けることができるようになるって考えるとどうですか?

と、いっても、どういうこ?となりますよね。
これでも人生の半分以上は写真を撮ってきています。ぼくなりの説明で、どういうことかお伝えしていきます。


少しだけ、僕のはじめての旅の話を

少しだけ、ぼくの話をしたいと思います。
中学生の時、うまくいかないことを全部吃音のせいにして、絶望した、という話は先に書きました。

そのあと僕は高校を卒業し、写真学校にいくもなかなかうまくいかず、学校に行かなくなって自分の進むべき方向も分からなくなっていました。吃音も悩みの種としては大きなものでした。そして、19歳、初めて一人旅に出ます。バイトはしていたので、上司に相談すると、アルバイト先は2週間のお休みをくれた。結局21日間のおやすみとなりましたが。僕が、旅に行きたいんです!そういったその言葉を受け止めてくれた。
19歳の時にはじめて海外一人旅に出ることにしました。そんな勇気よくあったね、なんて言われますけど、何も考えていませんでした。

それをきっかけに、ホテルやいわゆるリゾートバイトというので少し働いては、旅という生活に数年なりました。
旅にカメラを持って行ったり、持っていかなかったり、盗まれたり・・・・
そうは言っても生きていかなくてはいけません。色々なことがゆっくりと着実に運び、だんだんと旅をしなくなりました。ある意味、旅をすることで、自分自身働かなければならない、と言うところから逃げていたのかもしれません。でも、それじゃいけない、と言う思いもあり、会社員として働き、彼女との結婚の話が具体的になっていく流れになったのです。そのまま旅はしなくなるのかもしれない、そう思った矢先、それが崩れてしまいます。
結婚を前提にしていた彼女が部屋から出ていきました。


それをきっかけに、できなくなるかもしれない、と思っていた旅を、またするようになりました。5年ぶりにラオスへ旅をしました。
そこから年に1.2回は海外を旅するようになった。ある種、旅をして写真を撮ることがライフワークのようになりました。ラオスやタイ、ミャンマー、台湾、フィリピン、イタリア・ドイツ、アメリカ、ペルー。スペイン。いろんなところに行きました。

そんな風に書いていますが、あれから自分の環境の変化、結婚、子供が産まれ、コロナ禍を経て、ライフワークとまで言った旅と写真もいつの間にかもう5年も旅をしていませんでした。、最後のひとり旅は5年前のクリスマス、台湾に行ったこと。最後の海外は、新婚旅行、スペインだったと思う。


旅がしたいとずっと思い続けてきた

旅をしなくなって、写真もあまり撮らなくなり、いったい僕は何がしたいんだろう。そう考えるようになります。
でも、また、旅がしたい。ずっとそう思って来ました。そのために、何ができるだろうか。
そうだ、いつかまた旅に出る時のために、毎日写真を撮ろう。なぜかそんな結論に至っていた。

そうして、ぼくの新たな旅は始まったのです。
それが冒頭の、僕のとった写真たちです。
毎日の通勤を、子どもとのお出かけを、家族との時間を、人生の旅、として、再定義し、もう一度、写真と向き合うことになりました。

それが、僕の今の写真になったのです。



写真の持つ力


写真を撮ろう、そう決めてから、日々がキラキラとし始めました。その辺に、本当に小さな、でも尊い感動が落ちていることにも気づきました。


良い部分に着目することは、人を幸せにする。
嫌な部分に着目する人生は、人を不幸にする。

これが本当だとすると、カメラを持つことで、世界の美しさに着目して生きることが出来るようになったのではないかな、と思っています。


写真を撮るからにはよく撮りたい。いい写真を撮りたい。でも最初から上手いことなんていきません。

でも僕は、とりあえず何か、心が動いたから、写真を撮ることから始めました。

きっとシンプルなんです。

岸田奈美さんが文章を書くことについて、こういっています。

ちなみになぜわたしがこんなに細かく説明できたかというと、スマホのメモ帳に書き留めていたからだ。愛しいなあ、と思った。そして気がついた。わたしは忘れるから、書こうとするのだ。後から、情景も、感動も、においすらも、思い出せるように。つらいことがあったら、心置きなく、忘れてもいいように

父のときみたいに、もう忘れたりしないように。どうせ後から読み直すなら、苦しくないよう、少しばかりおもしろい文章で書こうかと。  無意識にわたしは、選択していたのだと思う。

@namikishida さんのエッセイ、家族だから愛したんじゃなく、愛したのが家族だった  忘れる才能、より抜粋


岸田さんのお父様は急逝されました。
しかも最後はケンカ別れだった。感覚も近くて、大好きな存在だったのに。

この辛さ、想像できますよね。苦しくて、辛くて。でも、愛おしいものに目を向けようと、前向きに生きようという姿勢が伝わっってきますよね。

写真も、そうなんです。
撮った写真を見返すと、その時の感情が蘇ってくる。だから撮る。前向きに撮る。

自分のちいさな(本当にちっぽけなものでいいんです)発見や感動、愛おしさを集めた写真をたくさん集めていくうちに、きっと、前向きな感情になっていける。

写真て、感動の日記。だから、お家に帰って、ゆっくりその日あったことの余韻に浸りながら、ちょっと編集してみたり、まとめてみたり、SNSにあげることで、また楽しめる。

なんていうか、だからね、寝る前に3つよかったことを日記に書くのも良いけれど、写真で、感動の日記を始めてみたらいいんじゃないかと。

星野道夫さんの旅する木というエッセイの中のもう一つの時間という短編の一節をご紹介します。

「いつか、ある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。たとえば、こんな星空や泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろ。もし愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかって?」

「写真を撮るか、もし絵がうまかったらキャンバスに描いて見せるか、いややっぱり言葉で伝えたらいいのかな」

「その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって・・・・・・その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって」

星野道夫ー旅する木
もうひとつの時間、より抜粋

自分の思い感情を表現できるなんらなんでもいい。
日々の感動に気づいて、変わっていくことが出来るなら。

写真、やってみると、きっといいことが待っていると思います。


最後に

note版の写真教室はここまで。

はじめて開催した写真教室は満足のいくものではありませんでした。
でも、また開催を考えて動いています。

リベンジです。もっともっと内容をブラッシュアップして、もっともっとお伝えしたいことが届けられるように。

僕が1番伝えたいのは、カメラの扱い方とか、設定の仕方とか、そういうことではないんです。

写真をやると、きっと今よりもきっと世界は驚きに満ちていると気づけること。そう、悩みなんか吹っ飛んじゃうくらいに。

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