正義(感)には「ま、いっか」と、スルーする余裕があっても全然良いというお話
正義(感)は人それぞれ。
最近は切ないというか悲しいというか、遣る瀬無いとでもいうか、そんなニュースが多い気がしています。
事件や争い事といったことはなんでもそうですが、人それぞれの正義(感)から生まれていると思っています。自分の正義(感)を元に善し悪しだけでなく、好き嫌いのような感情も生み出しているのが人です。
正義感も多種多様にある
時代や立場、状況、環境によって正義(感)は変わります。正義(感)は一つだけではありません。世の中にはいくつもの正義(感)があります。
正義(感)でも嫌悪感でもそうですが、対象は他人です。その他人である誰かに対して自分の正義を主張し過ぎたり強要したりすることは自分の感覚を押し付けていることとほぼ一緒となり、結果としてその誰か=他人を縛る(束縛)ことになってしまいます。
他人は変えられない。
自分の意思で変えることができるのは世界にたった一つ、自分だけ
なんて言葉を目にしたり耳にした人は多いと思いますが、正義(感)もそうです。似ている正義(感)は多くあったとしても全く同じ正義(感)はありません。同じ正義(感)を持ち続けられるのは自分だけです。
正義(感)=視野の幅
そして、僕なりの解釈になりますが正義感が強い人というのは、自身の考え方にこだわり視野が狭くなっているように感じます。
自分の考え方にこだわるあまり、他人の正義(感)や意見を受け入れられなくなっています。他人の正義感や意見というのは自分は持っていない知見であり、新鮮な情報であり、新しい視点です。新鮮な情報や新しい視点を知り得ることで人は成長していけます。他人の正義(感)や意見を知ることが僕なりの正義(感)になります。解りにくいと思うので別な言い方をすると、
正義(感)とは相手の立場や状況、環境を思い遣る/考えること
です。こういう風に正義(感)を捉えると、多種多様な人たちとので出会いで自分も自分の正義(感)も成長させていけると思いませんか?
多くの人との出会いで正義(感)も豊かに成長させていけるんです。
受け入れがたいようなことが起きたとしても時には「ま、いっか」とスルーするというか、受け流す余裕、があっても全然良いと思っています。受け入れられる度量、といっても良いですね。
さいごに
突拍子もない行動をしたり、失言したり、ミスをしたり、そんなことをしてしまった人を叩くような・責めるような行為は正義ではない、と思っています。相手の立場と自分の立場を置き換えて考えてみれば、おいそれと責められない時の方が多いと思います。
人がもっと他人に寄り添えらえる、思い遣りのある世界になっていけば良いなと思っています。
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あ、そうそう、この記事を書いていて思い出したことですが、道徳ってありますよね。道徳の本質は
目の前の人が困っていると思ったら(感じたら)手を差し伸べる
ことです。
自分ができる範囲で手を差し伸べるだけで良いんです。道徳と正義は言葉は違いますが、本質はほぼ一緒だと感じています。
今回もさいごまで読んで頂き、ありがとうございます。