私の推し遍歴
物心ついたときからヲタクだった
私には姉がいる。
姉の影響でヲタクになった。
幼少期は「モーニング娘。」
身長でかかったのにミニモニに入りたかった。
中学時代は「KAT-TUN」
今考えたら一冬の恋だった(笑)
高校時代は「AKB48」
宮澤佐江ちゃんに似てると言われすぎて。
そして
高校2年の修学旅行がきっかけでKPOPを知る。
そこから沼にハマっていった・・・
これは私がKPOPの沼から1人の推しを見つけた過程をつらつら書いていくものである。
一 その①の推しとの出会い
それは修学旅行での出来事だった。
高校の修学旅行先は「韓国」だった。
当時の私は美容にもKPOPにも興味がなかったから特別嬉しかったというわけではない。でも修学旅行は学生生活の中ではとてつもく楽しみな行事のひとつである。さらに部活が嫌いな私にとってはこの期間中はあの厳しくて辛い部活の時間がないだけでも最高に嬉しかった。
韓国について2日目。
この日は韓国にある姉妹校へ訪問するというスケジュールが組まれていた。姉妹校の生徒さんたちと交流会をするらしい。その交流会で渡すお土産を各自〇〇円以内で用意するように指示された。
私は日本っぽいものをチョイスした気がする。そこに関してはなんでもいいだろうという考えであった…(今考えたら申し訳ないことをした)
ペアの子が決まり、学校内を案内してくれた。韓国の学校って居眠りしないように立ち専用の机が廊下?教室?に並んでいたのが衝撃的だった。あと、各教室の広さ・購買がコンビニみたい。お菓子買えるのうらやましすぎる🥺!とか日本の大学並みに充実していた。
韓国って制服も可愛いのね・・・イイナ
教室に戻り交流会開始。お土産交換。
そこで相手の子に渡された1枚のCD・・・
そう、
これこそが私とKPOPアイドルとの出会い
そのアーティストとは「東方神起」だった。
その頃の東方神起の日本での活躍はやっと人気が出てきたあたりのころかな?少なくとも私は東方神起を日本のテレビで拝見したことがまだなかった。プレゼントを受け取って嬉しい反応をすることができなくてペアの子に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。でもその子は私に言う。
今、韓国で売れてる。
そしてどんどん日本にも進出しているよ。
絶対いいって思うから帰ったら聴いてみて🧏♀️
その言葉に嘘はなかった。
このアルバムこそが東方神起が日本で爆発的な人気になったきっかけであった。
大学生になるまでライブは我慢。大学生になったらライブに行こうと思ってた。
そう、思ってた・・・
「東方神起活動休止」
まさに大学受験真っ只中だった。
そんなに熱狂的ファンではなかったが、今でもあの頃の5人の姿を想像してしまうほどダメージはあった。
ー その②の推しとの出会い
無事に大学生になり、久しぶりに高校時代の友人たちと集まることになった。お互いの近況報告をしていく中で最近何にハマってる?という話になった。
この曲が斬新でクセになっちゃった
super junior「sorry,sorry」
( 以下省略 SJ)
初めて聴いたときは衝撃だった。
変なの〜とかいいつつズボズボとハマっていく音が聞こえてしまった。すぐにFacebookやmixiで近況を投稿すると、小学時代の友人Bが CDを大量に持っているらしく連絡をくれた。そこからハマるまでそう時間はかからなかった。
同じ大学にもSJが好きな友人Cがいて、今の時代でいう推し活(ライブ、聖地巡礼、グッズ集めなど)をしていた。それと同時にほかの韓国アーティストを調べては曲を聴き、ハマっていくという連鎖がおきていた。
ちなみにSJの推しは キム・ヒチョル。
圧倒的な美の中にヲタクの一面をもつ男。
メンバーの中では年上メンバーなのに、年下メンバーとじゃれあうちょっぴりお茶目な一面もある。男の美だけではない。女の美も兼ね備えている。最初にして最高の私の推しだ。
過去の交通事故の後遺症であまりダンスが踊れず、カムバに姿を出さないときもある。踊ってる姿が逆に貴重。決して手を抜いてるわけじゃない。
☝︎とにかくこれみて。
韓国には兵役制度がある。
SJのメンバーも徐々に兵役にいくメンバー、脱退していくメンバー、不祥事を起こして謹慎しているメンバーと世間を騒がしているうちにいつしかプライベートの忙しさ(社会人になった)も相まって熱狂的な推し活をしなくなってしまった。
ー その③の推しとの出会い
社会人になり忙しい日々の毎日。
気晴らしにドライブに行こう🚘!と友人たちと丸一日プチ旅行ドライブを決行!
車内に流れていた曲が運命の再会であった。
乃木坂46
20歳のとき、オーディション開催のことを知ったときから密かに応援していたアイドルだったから。受かるはずのないオーディションに応募しなかった後悔もあり、5枚目からは追わなくなった。再会はそれから4枚のあとの9枚目だった。彼女たちはAKB48の公式ライバルとしてデビューし、明らかに噛ませ犬だと思った。AKBグループにいいように使われているに違いないと。
しかし、そこに映っていた彼女たちは輝いていた。AKBに負けないくらい光り輝いていた。同年代の人たちががむしゃらになりながらアイドル活動をしている、それだけで当時の私には十分すぎる活力だった。
推していたメンバーは卒業してしまったが、今でもそのドライブメンバーと一緒に乃木坂46を応援している。友人たちに感謝したい。乃木坂46と再会させてくれてありがとうと。
握手会もライブも数えきれないくらい行った。乃木坂46でたくさん笑い合ったり泣き合ったりしたのだろう。これこそ推し活の真骨頂。
推しが卒業してから、現場も卒業した。
ー その④の推しとの出会い
この頃から仕事を正社員から非正社員に雇用形態を変え、そろそろ2人の生活が飽きたなあと感じてはいたけどこれといって家族が増えるわけではなく、以前と変わらない毎日を送っていた。
雇用形態を変えてさらに時間が増えてしまい、時間が有り余ってしまう…。お得意のSNS徘徊やネットに触れる日々。
YouTubeを見るのが好きだった。
広告で流れてきた一本の番組。
*パフォーマンス▶︎1:19〜
あの韓国で有名なproduce101が日本で開催されていたのだ。韓国でやっていたのは「IZ*ONE」が誕生したシリーズしか見ていなかった。
まあ暇だったし、見てみるか・・・という軽い気持ちだった。あの少年と出会うまでは。
とりあえず公式サイトでどうゆう人たちが出ているのか拝見してみようっと。
??
あれ?みたことある人いるじゃん!
Abema TVの某恋愛リアリティー番組に出ていた青年ではないか!彼女とは終わってしまったのかななんて思ってたっけ。でも彼、アイドル経験者で歌もダンスも上手だった。
(林くんファンの方があげてくれた動画)
林くんを応援しつつ毎週番組を観ていると、応援したい子達が次々出てくる。みんなの夢に向かって必死に頑張る姿に心を打たれてしまった。
特に応援した子をあげてみた。
▶︎中川勝就くん
やばない?横顔美人すぎるやないか。
完璧Eラインにアラサー釘付け。笑
中川くんはスタイルお化けで顔もよかったのに、ポジションバトルで存在が埋もれてしまい、当時酷評されていた死票の影響で第一回の順位発表で脱落してしまった。まだまだ中川くんの披露する歌やダンスが見たかった😭
(脱落後、別グループでデビューした。)
⇩その他応援してた人たち
この中に最も推してるメンバーがいた。
▶︎白岩瑠姫くん
くそがつくほど可愛い。
華奢な身体で立ち姿が凛としていた。元大手事務所の練習生で、自分の夢のために退所し地下アイドルとして頑張っていた過去がある。誰よりもファンのことを大切に思っている根っからのアイドル理想像のような人だった。
そんな白岩くん。思うように売れず、所属していたグループの解散が決まりアイドルを辞めようと思っていた。そんな中、親から応募してみたら?とこのオーディションを薦めてくれた。彼は最後のチャンスだと思い、このオーディションに参加したそう。初めは注目されるような練習生ではなかったが、ポジションバトルの練習風景をきっかけに徐々に人気が出始める。
そこからは鰻登りです(笑)
白岩瑠姫無双が始まりました。
伝説のハピメリ。
センターが我らが白岩瑠姫さんです。
とりあえず観てください。
この中に彼の全てが詰まってます。
見事オーディションに勝ち残りデビュー。
そのグループこそ今人気急上昇中のJO1です。
そして今私は「JAM」です🍓
毎日供給を楽しみにしているJAMです❤️🔥
*JAM…JO1のファンネーム
ー 現在の推し割合
JO1 80%
乃木坂46 10%
Kis-My-Ft2 10%
うん。ライブ行きたい。