『六番目の小夜子』について。
学校は劇場へ。どうも、神山です。
先日『劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライト』のレビュー記事を書きました。そこに【『少女☆歌劇レヴュースタァライト』は、実は恩田陸の『夜のピクニック』や『六番目の小夜子』のような青春物語だったのだ】という言及をしています。これは極めて直観的に書いたもので、何かに立脚していたわけではありませんでしたが、その後、久々に『六番目の小夜子』を読み返して、その直観はおおよそ正しかったと確信しました。
加えて、最近読んだ『ひら☆マン戦記(3)それでも僕は戦い続ける/さやわか』の以下の文章を思い出しました。学校や講師というものは、繰り返し受講生(学生)を観測している存在だったのです。
僕は、まるでループもののアニメやゲームの主人公のような気持ちでいる。この1年、何が起こるのか、僕は既に知っていて、どうすればうまくいくかもわかっているつもりだ。だが、受講生たちは、そう簡単に信じてはくれないのだ。なるべく早く信じてほしくて、毎年、最初の講義で僕は言う。
そこで、今回は学園モノの、けしてループしていないけれど、ループ作品のような時間の扱い方に着目しながら、『六番目の小夜子』について論じます。
小夜子nと小夜子n+1は永遠に
『六番目の小夜子』は、作家・恩田陸のデビュー作。ミステリー、ホラー、ファンタジーの要素を含んでいる青春小説である。NHK教育のドラマ愛の詩では舞台や登場人物など設定を変えて実写化された。本稿は原作小説について述べる。
舞台となる高校の3年生には”サヨコ伝説”という奇妙なゲームが受け継がれており、3年に1度、サヨコに指定された生徒は、その年をサヨコと気づかれずにゲームを完遂する必要がある。その高校に津村沙世子(つむら さよこ)という謎めいた生徒が転校してきた。この1年間、多くの登場人物が登場し、青春の様々な場面が描写されるが、特に重要な役割をもった登場人物は沙世子のほかに2名。主人公である関根秋(せきね しゅう)と古株のクラス担任である黒川。
秋は探偵役として、このゲームの正体について過去の”サヨコ伝説”や目の前で展開されていく事件・事象を調査、思考し、沙世子がこのゲームを終わらせる為に行動している犯人だと結論を導き出す。確かに、沙世子は何者かの手引きによって”サヨコ伝説”を知り転校を決心し、当初のサヨコに成り代わりゲームを実行した実行犯的ポジションではあった。しかし、その動機は秋が推理した「ゲームを終わらせること」ではなく、ゲーム自体を楽しむことだった。黒川が”サヨコ伝説”の黒幕ともいえる存在だったのである。生徒間でのサヨコ引継ぎ失敗などに対処し、鍵やサヨコ伝説を次の世代へ伝える役割をもち、津村沙世子へ鍵やサヨコの物語を送ったことが示唆される。秋や沙世子は高校を卒業し、東京の大学へ進学するが、黒川は高校に残りつづけるのだった。これが、ミステリーとしての『六番目の小夜子』のあらすじである。
『六番目の小夜子』に限らず、生徒と学校の時間的差異を扱った物語は数多くある。たとえば綾辻行人によるホラー小説『Another』や、はやみねかおる『亡霊(ゴースト)は夜歩く』が挙げられるだろう。両作品とも舞台は高校でなく中学であるものの、学校という場において生徒は入れ替わり続ける刹那的な存在であり、校舎、校則、伝統、伝説や七不思議といったものは3年を超えて数年、十数年と学校のなかで継承されていく永遠性をもつ存在であるという対比をテーマのひとつに置いている。『六番目の小夜子』を含め、これらの作品はそういった二つの時間の流れのなかで、登場人物が発生する事件や事象に対して調査・推理・解決に取り組む広義のミステリーである。この登場人物による解決が、作品によっては今後の学校の在り方に影響を与え、未来に同様の問題が発生しないということもあれば、その学年については事件が解決されるものの、未来において連続性をもった事件として継続してしまうものもある。そして『六番目の小夜子』はあらすじで述べたように、”サヨコ伝説”は解決されない。
黒幕が黒川という教師であることを記したが、ここに少しだけ虚偽がある。黒川は確かに”サヨコ伝説”の終了を防ぎ未来へ継承する役割のバックアップを担っている。一方で黒川はゲームの保持するかたわら、そのゲームに対して、本来登場しなかったはず津村沙世子を六番目のゲームに呼び寄せるなど、イレギュラー要素を取り入れようとする。黒川は作中で学校をコマ、生徒をコマを紐で叩く回し手に喩え、コマがきれいに回っているのを見るのが楽しいと語る一方で、流れる川に石を投げこんでみるように、変わらない学校の時間のなかでひとときの変化を与えることを楽しんでいると描写される。黒川はゲームキーパーであるが、ゲームのプレイヤーではない。ゲームが永遠に続行されることを目的として、静かにうごめきキャラクターに影響を与え続けているプレイヤーは”学校”である。
犯人が人間ではなく、非生物の”学校”であること。これが『六番目の小夜子』のホラーやファンタジー要素を支える存在である。コマの比喩もそのひとつだが、作中ではしばしば学校という場の特異性について言及される。"学校"はその磁場を維持するために、入学や進級した生徒の学園生活をドラマティックなものに味付けし、生徒がエネルギーを発しながら青春を送れるようにする。物語の終盤、卒業式を目前にした生徒たちはなにか憑き物が落ちたかのような描写が挟まれる。これは”学校”の磁場から生徒が解き放たれることで、学校へエネルギーを供給する役割から降りたことを示す。であるならば、黒川というゲームキーパーひとりがいなくなっても、誰か別の者がゲームキーパーに選出されることで、いつまでも”サヨコ伝説”は継続していくのだろう。
『六番目の小夜子』は学園生活の刹那性と学校の永遠性、その二つの時間の違いを、単なる青春小説ではなく、ホラーやファンタジー、ミステリーの諸要素によって引き立てている作品である。勿論これらの要素について気付いていても、気付かなくても、この作品は楽しく読めるだろう。生徒たちの「いま、ここ」にしかない煌めきを浴びてもよし、その生徒たちの煌めきを期待している"学校"のささやきに耳を澄ませてもよし。読者がページをめくる限り物語は繰り返され、n番目の小夜子からn+1番目の小夜子へ伝説は継承されてゆく。
k=1,2,3,4,5,6,......,n-1,n,n+1,......
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