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信じること

やほまる☻ あっきーです。


今日は「信じるってなんだろう」って話。
これを16歳で言えるのは恐ろしい…。

Q.「信じる」ってどういうことだと思いますか?

「『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、それがどういう意味なんだろうって考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて。」

「だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、その人が裏切ったとかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、揺るがない自分がいるというのが『信じられることなのかな』って思ったんですけど。」

「でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ人は『信じる』って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました。」


2020年10月9日に公開された映画「星の子」に出演した当時16歳の女優 芦田愛菜 が記者の質問に対してこう答えた。

友達からこれを教えてもらった僕は
なるほど、、、と思わず唸った。


一般的に『信じること』とは『自分の理想を押し付けて期待すること』であり、『真に信じること』とは『どんな相手でも受け入れる自分を持つこと』だと言いたいわけだ。





ところで。
僕は日常生活において「信じる」という言葉を用いることは少ないし、そういった感情を相手に抱くことはあまり無い。0じゃないけどね。

信用できない。信頼できない。といった感情の方がむしろ身近である。


芦田愛菜の言葉を見て、自分なりに『信じる』の意味を考えようとしたがそれ以前の問題だったのかもしれない。


なぜ僕は『信じる』という感情を持たないのか。原因を考えると、あれに似てると思った。


それは 悪魔の証明 である。 

有るものを「有る」と示したければ
そのものを探し出せばよい。

しかし、
無いものを「無い」と示すことは不可能である。


その人を信じることができるかという問いに対して、僕はまずその人を信じたと仮定して問題が起こるかどうかを考えるのである。
つまりポジティブな要素ではなく、ネガティブな要素を見つけ出そうとするのである。
ネガティブな要素が見つかれば「信用できない」という答えになるが、見つからない以上は見つかるまで探し続けてしまうのである。
探し疲れるまで探して、これでも見つからないなら…となってようやく信じたいと思えるのだ。


なんだか自分がすごく嫌な人間な気がしてきた。


でも、たぶん知ってるんだと思う。
自分は"その人"じゃないのだから、未知の部分があることを知ってるんだと思う。

そして、『信じること』の重みを知っているのだと思う。


そういう意味で、僕が最も信じているものは自分自身である。

だからどんなに悩んでも、寄り道しても、
自分の決めたことには全力で応えるのである。




あ、1つ例外があった。
というかこれを書きながら思ったのだが。

『好きな人』に対する『好き』という感情は、
おそらく僕の中で『真に信じること』とほぼ同義
だと思う。きっとそうである。


『信じる』までのハードルが高いわけである。

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