まずは「浅く正しい博識」であれ
やほまる☻ あっきーです。
僕には日課がある。
新聞は読まないが、ネット記事を読む。
本来なら新聞がいいのだが自身のスケジュールの都合で中々うまくいかない。
政治や経済のこともなんとか目を通すし、あまり興味のない芸能関係も一通り読む。
この習慣は大学1年生の頃からなので、もう6年目だ。
きっかけはあまり覚えていない。
でも、それまで属していたものと余りにも違う集団の大きさに身構えてのことだったと思う。
"大学という新たなライフステージで失敗は許されない。誰に対しても、どんな話にもそれなりに対応できれば上手く生きることができると思った。"
そんな動機だった気がする。
大学に入って肝心の勉強はからっきしだった。
「毎週月曜日は勉強の日だ。」なんて言って
放課後に図書館の机に座っていた時期もあった。
でもそんな風に真面目に勉強をしたところで、
返ってくるテストは僕を笑顔にしてはくれなかった。
でも、勉強面以外では充実した学生生活だった。
何よりその成功を支えたのは、
紛れもなくニュースを読む習慣だったと思う。
ニュースを読む習慣はコミュニケーション能力の強化に繋がり、悪く言えば「人に取り入ること」を容易にした。
それはなぜか。
例えば、
大人になれば仕事に就き、誰しもが『専門分野』を持つ。(もっと砕いて『趣味』としても良いだろう)
その専門分野は〈料理〉や〈アパレル〉など、大きく分けられている場合もあれば
《フランス料理》や《古着》、《有機化学》などの細分化された専門分野だったりする。
人はそれら自らの専門分野に対して、ある一定の誇りを持っていると僕は考えている。
そして、自らの専門分野に対して興味を示されることは嬉しいはずなのである。
そこを狙うことが一歩目なのだ。
「おっ?」と思わせることがまず一歩目なのだ。
僕という人間に対して興味を持たせるのだ。
僕がニュースを読んで調べて得た"浅く広く正しい知識"は、心の扉を開ける鍵だー!!なんてことは言わない。鍵ではない。
ドアのノックみたいなものだ。
それも、マナーに沿ったノックである。
誰だって自室のドアが正しくノックされ
「失礼します」なんて声が聞こえたら、
とりあえず扉を開けてあげるだろう。
その人に対して嫌な感情は持たない。
相手が扉を開けてくれて初めて、
「あの本日は…」と本題に入ることができる。
そんな程度のことなのだが、大切なのである。
まずは、浅く正しい博識になろう。
僕がニュースを読む習慣を大切にする理由はまだあるが、それはまたいつか書こうと思う。
とりあえず、本投稿で言いたいことは
人間は端から話の通じない奴を信用しない生き物だ
ということだ。
合コンで推奨される『さしすせそ』の『し』
『知らなかった〜』が通用するのは、自分よりも馬鹿な人間がいることに優越感を覚える一部の痛い大人に対してだけである。
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