偈頌:光の塊
急に目の前に 光の塊が輝き始めた
きっと心がざわついていたら
不吉に見えたかもしれない
けれどもこの瞬間は
"おはよう
今日もあなたは生きている
この世界で
脈打っている"
と聞こえた
祝福されている そんな感覚で
光の塊を見届けた
通勤中に車のバックミラーに光の塊が映っていました。後ろの車のライトがかなり明るかったのでしょう。正直びっくりしました。けれど、不吉であるか、吉兆であるかなど、別に自分で決めればいいのです。だから僕は良い知らせだと判断しました。いい悪いなどを判断するとき、心が沈んでいたらもしかすると悪いと判断してしまうかもしれません。何が起きても良いことだと思うこと自体、頭のなかがお花畑なのかもしれません。でもそのくらいがいいんじゃないかと思っています。結局はこれも訓練次第でなんとでもなるのです。何かふと起こったことを良い意味として捉える訓練。
本当は、子どもの頃からそういうことをやった方がいいのです。それは、人間は幸福より不安や不幸などネガティブなことに反応しやすいしそういうことを記憶しやすいという本能的な性質があるから余計に大事ではないでしょうか。本能的にネガティブなことに意識が向うように設計されているならば、子どもの頃からどっちとも取れるようなことは、良い方向に捉える訓練をした方がいいと思うのです。