Kyon(松元享平)

エッセイや詩など書いてます。哲学カフェをやってます。この世の表だけじゃなくて裏も知ろう…

Kyon(松元享平)

エッセイや詩など書いてます。哲学カフェをやってます。この世の表だけじゃなくて裏も知ろう。神秘的なことも。 Philosophy / Anthropology / Dialogue / Pharmacist / Psychiatry / Poet / White Magic

マガジン

  • 詩と偈頌

    今まで書いた詩や偈頌をまとめたものです。 偈頌は瞑想を手助けするような、簡単な詩のようなものです。

  • 哲学カフェの記録

    僕が奉還町4丁目ラウンジカドにて月一回開催している哲学カフェの記録を公開しています。第11回から記録を開始しました。今後どのように使っていくかは考え中です。

  • ”わたしたち”であるために~自己と他者をめぐる哲学エッセイ~

    自己、他者を考えるためのエッセイ集です。僕の中心にある仏教の倫理や哲学その他さまざまに影響を受けたものが自然に混ざっていると思います。 僕の体験を極めて“具体的に”書いています。具体的なことはいつも複雑です。慣れてない人には一見抽象的に感じるかもしれませんが、僕の試みは常に具体なのです。真剣なことを真剣に伝えようとすればするほど文体は難解になるし、表現も強くなります。けれど、僕がここで伝えたいことはこのような形式でなければいけないのです。

最近の記事

距離感という言葉は非常に危うい言葉で、距離感を保つづけようとすれば揉めることも怒りを覚えることも少ないかもしれないが、そのうちその人といることがなんとなく嫌になってしまうだろう。距離が近くなってもうまくやっていく技術について考えることのほうがずっと大切ではないだろうか。

    • 悪いことをしたことに対する許容度が社会全体で下がっていることが実は最も大きな問題なのかもしれない。清廉潔白な人間を求め続ければ、何も行動しない何も発言しない方がいい、人とも関わらない方がいいし、仕事もしない方がいい。家庭も持たない方がいいし、どこにも出かけない方がいい、となる。

      • 毎日の詩、抜粋2024年10月

        2024.10.1『見つけられない』 失われたことなどないものを見つめている それが人間だと気づくのが遅すぎた 実はそこに既にあるなんてことを 誰も言わなかったのだ たとえ口にしてもすぐに霧消してしまうことなど それでもそばで語らうあなたの声は美しい 2024.10.2『世界を取り戻す』 終わってしまえば何もないことを 体が過剰に恐れているということ この言葉がもはや何の効力も発揮することなく ただ苦しみだけが宙へ浮いている そして何事もなかったかのように 世界をただ取り戻

        • 哲学実践はケアの側面がいる。ケアの側面がないと、人は心を開いて話そうという気持ちにならなくなっていく。これは多分ケアのスキルとセンスがないといけない。言葉は容易に刃に変わる。言葉をミスで刃として使わない方法は、ケアについて知ること。

        距離感という言葉は非常に危うい言葉で、距離感を保つづけようとすれば揉めることも怒りを覚えることも少ないかもしれないが、そのうちその人といることがなんとなく嫌になってしまうだろう。距離が近くなってもうまくやっていく技術について考えることのほうがずっと大切ではないだろうか。

        • 悪いことをしたことに対する許容度が社会全体で下がっていることが実は最も大きな問題なのかもしれない。清廉潔白な人間を求め続ければ、何も行動しない何も発言しない方がいい、人とも関わらない方がいいし、仕事もしない方がいい。家庭も持たない方がいいし、どこにも出かけない方がいい、となる。

        • 毎日の詩、抜粋2024年10月

        • 哲学実践はケアの側面がいる。ケアの側面がないと、人は心を開いて話そうという気持ちにならなくなっていく。これは多分ケアのスキルとセンスがないといけない。言葉は容易に刃に変わる。言葉をミスで刃として使わない方法は、ケアについて知ること。

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        • 詩と偈頌
          44本
        • 哲学カフェの記録
          6本
        • ”わたしたち”であるために~自己と他者をめぐる哲学エッセイ~
          31本

        記事

          毎日の詩、抜粋2024年9月

          2024.9.1『広がる光景に自由を』 車通りの多い道の 脇に見える階段を登れば 河川敷が広がる そこには誰もいないユートピアが存在する ここでは何でもできると、 世間とは隔絶された時間と場所を 自らの手で探す それこそが本当のアナキズム そして自分だけのしるしを焼き付けていく 2024.9.6『流れの下に』 よい流れに乗っているときはそれでも不安定だ いずれ定着する前の 動きとうねりに 体が躍りながらも危うさを 武器として味方につけるように 新しさが波に乗るのだ だからこ

          毎日の詩、抜粋2024年9月

          毎日の詩、抜粋 2024年8月

          2024.8.1 『弱さを』 人の弱さを知らない人間ではいけない 優しさを失うなかれ 人間の身体はとてもやわらかくもろいのだ そしてしなやかな力を放つ まるで風になびく柳の木々のようにして 音にして受け流すこの風景のように 在りつづけて 2024.8.2 『海の呼び声』 美しい魚が夢に出てくる 澄んだ海を優雅に泳ぐさまが まるでこの地べたには 不自由がへばりついているかのように そして海を見つめる 波が不規則なリズムで我々に こちらに来いと呼んでいるような気がする 202

          毎日の詩、抜粋 2024年8月

          第16回哲学カフェ『純粋?不純?』

          第16回哲学カフェ『純粋?不純?』 2024.8.10(土) 18:30〜20:30 @奉還町4丁目ラウンジカド 純粋な動機や不純な動機というようなことが気になる方がおられ、このテーマにしてみることにしました。純粋であるとはどういうことなのか。例えばよく将来のしたい仕事などを語るときに「困っている人を助けたい」などの動機は純粋とされる気がしますし、稼ぐ人になりたいは不純だとされる気がします。けれども純粋であることが必ずしもいいことではなく、純粋であるがゆえに残酷なことを平気

          第16回哲学カフェ『純粋?不純?』

          質問:なぜ薬と関係ないことをするの?

          これは仮想的な質問者を想定して答えているだけなのだが、今後役に立つかもしれないのでやってみる。 質問者「あなたはなぜ薬剤師なのに薬とは関係のないことをしているのですか?哲学カフェや哲学カウンセリングなどは直接薬とは関係ないので、薬剤師ではない人がやったほうがいいのではと思ったりします。」 私「確かに、薬剤師は薬の専門家ですので、薬のことをすればいいというのは確かにその通りのようにも思います。例えば薬剤師法第一条には、このように書いてあります。 つまりは薬のことをやってい

          質問:なぜ薬と関係ないことをするの?

          毎日の詩、抜粋 2024年7月

          2024.7.1 『陰の意味』 いくつもの陰が私の近くにはある それは悪しき事柄なのだろうか それとも乗り越えるべき何かとして 暗がりを見せているのだろうか そんなことは関係なく 善も悪もない現象が目の前に現れているだけだろうか 様々に去来する思考は何かを指し示しただろうか 2024.7.3 『体調と世界』 身体の苦しみが世界を大変なものにするのであれば 体調は即ち世界の美醜を決めるということか? この水に含まれた成分こそが美しさの正体ならば 私の身体は美しさを投射する器で

          毎日の詩、抜粋 2024年7月

          哲学カフェ「美とは何か?」

          第15回哲学カフェ『美とは何か?』 2024.7.19(金) 19:00-21:00 @奉還町4丁目ラウンジカド 説明文:今回は趣向を変えて、美について。美しいもの、美しいこと、美術作品などそういうことについて考えてみたいと思います。人は何に美を感じるのか、人それぞれのように言われやすいようで、普遍的な美についてもよく論じられます。どのような条件?時代や国によらず愛され続けている作品や伝承もたくさんある一方で、趣味嗜好がよくわからず美を感じられないものもあります。人が作った

          哲学カフェ「美とは何か?」

          哲学カフェ『運がいいってどういうこと?』

          第14回 2024.6.15(土) 18:30-20:30 @奉還町4丁目ラウンジカド 説明文:前回の選択可能不可能というような話を巡るなかで運について考えてみたくなりました。そもそも運がいいとは、その人が望んだものあるいは望んでないものがやってくるというような文脈で使うことが多いように思います。思っても見なかった幸運な出来事、どうしようもない不運など。この言葉にはなんとなく自分の領域を超えたものからくるものという印象があります。それは人間が勝手にあるような気がしてるだけな

          哲学カフェ『運がいいってどういうこと?』

          “歴史“に入りこむために

          子どもの頃、歴史が苦手であった。歴史で起きたことを時間に沿って並べて覚えていなかった。説明もできなかった。問題文とそれに対する回答という名の単語の羅列しか自分のなかにはなかったのだ。大人になってもほとんど覚えていないのが、歴史だった。 しかし、ある物事には全て歴史が、存在する。例えば僕の専攻していた薬学にも当然ながら歴史が存在した。その成り立ちや起こってきたこと、変わってきたこと、重大な発見によって名前が残っていった人達。教養をつけたいと思いながら、教養ある人は全員が過去の

          “歴史“に入りこむために

          「ある学問を学んだ」とはどういうことか

          ある学問を学んだ人が、本当にその学問をきちんと学んだかどうかというのは、その領域の負の側面をきちんと知っているかどうかによって位置付けられるというふうに僕は思っている。 例えば僕は薬学をやったけれども、それは「薬学は人の病気を化学物質でたくさん救った素晴らしい学問です!」と堂々と胸を張ることではないと思っている。それはおそらく薬学を知らなくても少し薬学について調べればみんなが理解可能なことのように思う。そうではなくて、薬学がしてしまったよくないこと、薬学が社会に及ぼした(及

          「ある学問を学んだ」とはどういうことか

          毎日の詩、抜粋 2024年6月

          2024.6.1 『歩く先に』 上を向いて歩こう それは星空が澄んだ空気を満たしてくれたなかで 生きていることを知るために そのあとに 下を向いて歩こう それは地上を彩る草花が天空を投射した 美しき模造であることを知るために そして正面には友がいる 2024.6.2 『日々が歴史に』 消費者でしかない人間が 自ら関わりつくる側となること 一部の人にしか与えられない 人間の生きることの責任と力 継続していく歴史の層に積み重なる日々は 様々な違いを経てカタチとして結実する 2

          毎日の詩、抜粋 2024年6月

          僕がやってる哲学カフェは要するに即興の質的研究という感覚なんだよな。新たな視点を得るために問い続ける、考え続ける場所。

          僕がやってる哲学カフェは要するに即興の質的研究という感覚なんだよな。新たな視点を得るために問い続ける、考え続ける場所。

          哲学カフェ『自分の生き方は選べるか?』

          第13回哲学カフェ『自分の生き方は選べるか?』 2024.5.18(土) 18:30-20:30 @奉還町4丁目ラウンジカド 前置きの文章: 前回、社会における人間というテーマで話したのですが、そのなかで選択不可能なこと、選択可能なことについて考えてみたくなりました。特にそれは生き方という壮大な問いについてです。生まれてくる環境などは選ぶことができないと言われます。生まれる国籍も時代も経済状況、どんな人のもとで生きていくか選べないような気もします。一方で人生は選択の連続のよ

          哲学カフェ『自分の生き方は選べるか?』