#40 食の前での平等。Udupiのクリシュナ寺院で、千人同時多発カレーを食べてきた
インドの寺院では訪れる参拝客にタダで食事を振舞うという風習がある。一番有名なのは北西部アムリットサルにある黄金寺院だろうか。この寺院はシク教徒の総本山であり、貧しい人だろうと障害者だろうと、金持ちだろうとイケメンだろうと、一切を差別することなく一同が並んで飯を食う。人間は食事をしないと生きていけないという点で、誰もが平等だ。
Kolapurの後に立ち寄ったUdupiという街はクリシュナ寺院を中心に据えて構成された門前町で、ホテルの従業員に聞いてみると11:30と13:00の二回、食事の時間があるという。どうすれば食べられるのかよくわからないが、とりあえず行ってみることにした。
列に並び、順路に従って一通り参拝をすます。参拝エリアを抜けると「TOURIST DINING HALL」という看板があり、通路に人々が列を作っている。思ったよりわかりやすい。もっとこう、知っている限られた人しかありつけない特別な食事のようなものをイメージしていた。
お寺で食事を食べることは、神に捧げた供物を体内に摂取することでパワーをお裾分けしてもらうという意味があるのだろう。平等に誰にでも開かれた食事なので貧しい人でも食べられる、社会的セーフティネットの意味もありそうだ。だから、誰にでもわかりやすくて当たり前だ。
時間になると扉が開き、みんなワラワラと入っていく。中には広い空間が広がっており、奥の方から好きなところに座っていく。
参拝者たちが通路を間に挟みながら横並びにあぐらをかき、見知らぬ者どうし向かい合っている。修学旅行なのか、中高生くらいの団体やおじいちゃん、地元の人、遠くから来た人。
見回す限り、周囲に外国人は僕くらいしか見当たらず、向かいにいる高校生くらいの少女がさっきから遠慮なしに僕の顔面を見つめている。
ルンギーを着た僧侶が台車を押して通路を歩いてくる。まずは銀皿が一人一枚ずつ配られていく。
隣に座っている老婆が、銀の皿をボロ布で拭っている。多くの人は持参した水でお皿を一度濡らし、指で拭う動作をしていた。僕も持っていたペットボトルの水で軽く洗ってみた。
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