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#43 バングラデシュ・ダッカの実家メシと、映画『タゴール・ソングス』

インド南西部の港町、マンガロールに滞在したあと、僕はすぐにバングラデシュの首都、ダッカに飛んだ。ダッカでは、東京で仲良くなったバングラデシュ人友達の実家で毎日ベンガル家庭料理を食べさせてもらい、いくつか作り方も教わった。

たった7泊8日の短い滞在だったがベンガル人の食や暮らしを体験した。その中で、ベンガルの人々の日常の中に詩と歌が根付いていること時間の流れが日本人とは全く異なっていること、人々が家族や友人などの身の回りの人を本当に大事にしていることを身をもって受け止めた。

また、なにかの信仰の中に生きるということについて考えさせられた。日本に生きる多くの人にとって宗教というのは、自分とはあまり関係のないことかもしれない。イスラム教に対しては、ともすれば悪いイメージすら抱いているかもしれない。

身の回りには無宗教からムスリムに入信してしまった日本人もいる。曰く、「世界のどこに行っても同胞がいて大いなるコミュニティに属しているのが心地よい」とのこと。


大晦日に激しく体調を壊したりもしたが、控えめに言ってもバングラデシュの旅は最高だった。


最高だった点はいくつかある。なんと言ってもベンガル料理がおいしい。地味だが実直で、日本人の舌には合う。

また、ベンガル地方は今でこそ世界最貧国のと呼ばれているが、かつては豊富な水資源から農作物の生産が盛んで、「黄金のベンガル」と呼ばれるほど繁栄を誇った時期もあり、大詩人タゴールを輩出するなど豊かな文化や歴史がある。


あと、ムスリムの国の人々は穏やかでみんな旅人に優しい。もちろん気をつけた方がよい場面はあるが、治安は悪くない。

バングラデシュ、もう一度行きたいな。インドの隣の国なのに旅行先としていまいち人気の無いバングラデシュの宣伝も兼ねて、今回はバングラデシュの家庭料理と映画『タゴール・ソングス』に描かれていた、ベンガルの日常に溢れる「うた(歌・唄)」について書く。

「バングラデシュ」というのは「ベンガル人の国」という意味で、イギリス統治時代は現在のインドの西ベンガル州を合わせた一帯を指していた。この地域の料理は国を超えて「ベンガル料理」と呼ばれている。


おいしいダッカの実家メシ

総じて言えるベンガル料理の特徴は、とにかく川魚と米を毎日大量に食べること。油はかなり使うがシンプルなスパイス使いなので、日本人にはとても馴染む味だと思う。

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フィッシュマーケットには見慣れない魚が並ぶ

滞在中は毎日ダッカ出身の友人の実家で家庭料理を食べさせていただいたのだが、これが素朴で染みる味だった。

構成は基本的にダル(豆カレー)、魚のカレー、肉のカレー。野菜料理はあったりなかったり。それらを米と共に食べるのだが、南インドやスリランカとちがって、バングラデシュの人は料理同士は混ぜない。それぞれにちがった味わいがちゃんとあるので、混ぜないで順番に食べていくのが作法だと教わった。

当然ベンガル料理の中でも地域によって違いがあり、コルカタがある西ベンガル側のベンガル料理(町屋のプージャで食べられるような)と現バングラデシュ側の東ベンガル料理は大体同じだがちょっと違う。バングラデシュの料理は、ムスリムの国どうしだからだろう、むしろパキスタンの料理に似ていたりする。

他にも気になる違いとしては、コルカタではダル→魚→肉→甘いトマトアチャールという順番で食べたのだが、ダッカでは魚→肉→ダルという順番で、ダルを必ず最後に食べていた。バングラ人の友達に聞いてみているが、伝統的なものだと言われ、理由はよくわからない。


とある日の実家メシ。

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ラウ(夕顔)とフィッシュヘッドのカレー。ブリ大根のようで、味が染みて美味しい。少し辛めだが、魚の出汁を生かしたシンプルな味わい。

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ルイ・ブナ。ルイという川魚を揚げて、ニンニク、玉ねぎ、トマトベースで作ったグレイビーに絡めた料理。コリアンダーリーフや青唐辛子の青臭い香りも足されている。

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ゴル・ブナ。ゴルはビーフのこと。ブナは多めの油で玉ねぎ、ニンニク生姜と一緒に炒めたようなドライな仕上がりの辛めのカレー。肉はビーフかマトンが多く、たまにチキン。

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ダルは心のふるさと。豆はマスルダールを使っていた。食事の最後には必ずダルが出てきて、ご飯に染み込ませて食べる。素朴で落ち着く。2019年の大晦日はお腹を盛大に壊していたのだが、そんな時もダルとご飯だけは味方でいてくれた。

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青唐辛子とニンニクの自家製アチャール。辛くてパンチの効いた漬物だ。ベンガル人は基本的に料理と料理を混ぜて食べないが、ダルとアチャールだけは一緒にご飯に混ぜて食べていた。

そして、忘れちゃいけないシュトゥキボッタ。ボッタは材料を細かく刻んでスパイスと和えてつくる料理全般を指す言葉。シュトゥキは発酵した干し魚で、塩辛のように臭くて塩味もキツいのだが、やたらご飯に合うのだ。

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こんな風に、魚を毎日食べ、味噌汁、ご飯、香の物で〆ることや、臭いものも食べることなどが、日本とバングラデシュで共通している感覚のように思えた。カレーはご飯をもりもり食べるためのおかず。

だから、ベンガル料理は、これから流行る(断言)。

ただしバングラデシュの人たちは基本的に夜遅く朝遅い生活習慣で、昼ごはんを3時、夜ご飯を23時とかに食べたりする。そして食べたらすぐに寝る。この生活リズムはちょっと合わなかったけど。

ちなみにコルカタの実家メシはこちら↓


うたがあふれるベンガル

日本に帰ってきてから、『タゴール・ソングス』というドキュメンタリー映画を観た。ポレポレ東中野で4月18日から上映されるのだが、カレー的なご縁でなぜかマスコミ試写会に潜り込ませていただいたのだった。

(3月28日から4月3日まで、トークイベント付き先行上映があるらしいのでぜひ。)

ラビンドラナート・タゴール(Rabindranath Tagore、রবীন্দ্রনাথ ঠাকুর)。インドとバングラデシュの国歌の作詞をし、アジア初のノーベル文学賞も受賞した大詩人。音楽家や思想家、小説家、画家でもあり、各方面で業績を残したベンガルの父とも言える人である。


この映画はタゴールをただ伝記的に紹介しているようなものではない。 一世紀も昔のタゴールの詩が、歌となっていまも人々の日々の暮らしに溶け込み、人生の指針となったり、ライフワークになっている様子を生き生きと描き出している。


映画の中では、ストリートのラッパーまでもがタゴールの詩を歌っていた。アポなしの現地ロケでスカウトした出演者もいるらしく、それだけ作品は生々しい。タゴールの話をすると、道ゆく人々が我先にと歌声を披露し始める。これは恥ずかしがり屋の日本人にはちょっと考えにくい感覚である。

タゴールの歌は民衆の間に広まっているが、ただの民謡やフォーク・ソングというわけではなくて、そこには力強い哲学がある。映画の中で繰り返し使われ、最も有名だと言われる詩が「エクラ・チョロ・レ」だ。(これはインド映画に使われたカバーバージョン)

「誰 1 人耳を貸さなければ独りで歩め」という歌詞は「犀の角のようにただ独り歩め」というブッダの思想にも通ずるものがある。人生や愛など普遍的なテーマを謳っているからこそ、百年経っても古びないのだろう。

映画を観て、「タゴールは生きている」と思った。言葉は歌に乗って伝播し、日々紡がれ続ける。

そして、タゴールも毎日、上に書いたようなベンガルの家庭料理を食べていたと思うと、彼も食べなければ生きていけない、自分と同じ人間だったんだなと気がつき、変な話だが親近感が湧く。

他にもバングラデシュには、バウルという謎多き修行の民がいて、彼らも歌うのだ。『バウルの歌を探しに』という本に詳しいが、彼らにとって歌うこと自体が生きることであり、修行そのものなのである。タゴールもバウルの影響は大いに受けているらしい。バウルについてはまた改めて書いてみたい。

そんなふうに、バングラには、詩と歌が溢れている。


歌うことを忘れていないか?

日本に帰ってきて、東京のサラリーマンを2ヶ月やった。最近のパニックもまだ渦中だが、この国の人々はなんだかひどく疲れている。


東京での日々は確かにとても充実していて、毎日何もしないことが難しい。しかし、生きることなんて大したことじゃないのに、僕たちはどうでも良い事を誰かと比較して一喜一憂し、何者かにならないといけないと思わされているのかもしれない。ベンガル人の穏やかな暮らしを見て、そんなことを考えた。


歌う事は、全く役に立たない遊びかもしれない。でも役に立たないことをするというのが人間の特徴であり、豊かなことだと思うのである。僕たちは、目の前のことを楽しむ事、歌う事を忘れてはいないか。


バングラデシュは災害や政治状況のせいでいまだに世界最貧困に数えられるような国だ。しかし、タゴールやバウルの詩が心に溢れていて、人々は信仰の中で穏やかに暮らし、歌っていた。それは精神的には日本なんかよりもずっと豊かなのかもしれない。

よし、今日もダッカの実家を思い出してベンガル料理を作ろう。


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