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#21 カレーの歌を聴け(または村上春樹風にカツ・カレーを食べる)

 カレー。カレーというのは、とても考えさせられる食べ物でもあるし、そうでもないような気もする。終わらない8月のように、捉えようによっては幸せに思えるが、気づいた瞬間から不幸が始まる。カレーを食べると言うのは、そういう類のことなのかもしれない。
 終わらないといえば、今年はうんざりするほど梅雨が続いた。その長い長い梅雨のせいで、本棚のプラトンにはカビが生えてしまっていた。もっとも、そもそも哲学なんてものにはとっくの昔にカビが生えて使い物にならなくなっているけれど。

 2019年の夏のある日、僕は小田急線祖師ヶ谷大蔵駅に降り立っていた。行き交う人々は生活に精一杯で、世田谷の狭い空の下を目的もなくただ歩き回っているように見えた。一方、僕はある目的があってこの街にたどり着いたのだった。

その目的とは、カツ・カレーつまり、カラリと揚がったカツレツをカレーライスの上に載せるという至極シンプル、しかし豪奢な食べ物だ。普段の食事ではインドやネパール、バングラデシュなど南アジアの食べ物を好む僕だが、何故かこの、あまりに日本的な食べ物を定期的に食べたくなる。ちょうど、月に満ち欠けのリズムがあるように。もしかしたら、日本人であることを維持するために、僕たちは定期的にカツ・カレーを食べるのかもしれない。

 とにかく僕の今日生きている目的はとてもはっきりしていた。カツ・カレーを食べる。君がもし横にいたら、悟ったような顔できっとこう言うだろう。「限定された目的は人生を簡潔にする。」ってね。あるいはこうも言うだろう。「カツ・カレーばかり食べてると太るよ。」って。


キッチン・グリーンへの巡礼

 フィッシュマンズを口ずさみながら祖師ヶ谷大蔵駅から南方向に通りを歩くこと約5分、目的の店はすぐに見つかった。カレー店の外にかかる「営業中」の札を見るといつも安心する。これは生まれ育った家庭環境とか、そういうもののせいじゃない。もっと、カレーを食べることの業のような、根が深い何かに由来するものだ。

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