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過去を無意味にしない為の記憶旅2|小学校、それは地獄と絶望の始まり

前回の記事

の続きです。


小学校1年生 最悪の担任

普通の公立小学校に入学しました。

今思うと、これが完全に間違いであったなと。まぁこんな書き方していますが、当時僕にそんなことがわかるわけもなく。親も私立を検討したっぽいですが、なんかやめたらしいです……あぁ……

で、鮮明な記憶として、その日は授業初日だったような気がしているのですが、ランダムで割り当てられた座席で僕は一番前でした。
そして自分の名前を鉛筆ひらがな縦書きで記入するというのがあり、無の感情であったことを記憶しています。

今であれば「完全に時間の無駄で無意味だからやめろ」と言葉で意思を表明できますが、小学校1年といえばせいぜい6歳とかその辺なので、なんだこれはと思っていたような。

で、これが1年生の時の一番嫌な記憶として強く残っているのですが、なんか「日直」っていう制度というか仕組みというか教育システムみたいなのがあったんですよね。日替わり当番制でクラスのことをなんかやるっていう。

で、僕はその日連続でやることになってしまったのかなんだったのか、「なぜ連続でやらなければならないのか?」的なことを担任に言って。そしたら「いいからやりなさい!」みたいにいきなり強く言われてあまりの衝撃に家へ着いてから泣いたんだった。そうだ、完全に思い出した。

これ、日本の生産性の低さは上のエピソードに全て含まれていると今になって思います。とにかく疑問を封じ込めて思考停止で進めようとして。クソ過ぎ。

担任は虚栄心に塗れていて、生徒一人一人と向き合う姿勢が全くない「仕事がないからとりあえず教員になった」みたいな奴で、終わってました。

一度そいつが産休でしばらく期間を空けた時に代わりの人が入ってきたのですが、そういえばその人はとても良い人だったかも。

だから結局、これは俗に言う「親ガチャ」「教員ガチャ」「上司ガチャ」類のもので、僕はいきなり初手大外れを引いてしまったというわけです。

で、学校生活における1年生の頃の記憶、あとは特に何も覚えていません。脳が自己防衛的に記憶を消去したものだと考えています。
家族で自然がたくさんあるところに出かけてそれが楽しかったことは思い出として残っているから。

いや、パソコンの授業(といってもマウスでスタンプを押しまくるだけだけど)が唯一楽しかったような。そうです、なんか過去にこのnoteでも勢いでこんな長文

を書いていました。1年生ではなかったかもしれなけど。

小学校2年生 何もわからない

ここでいう「何もわからない」というのは、エンジニアの間でよくネタとして使われる「チョットデキル」あれではなく、特に記憶がないし何も覚えてない、文字通り何もわからないということです。

ね、第一回目で書いた幼稚園の方が記憶しては古いはずなのに、そっちのことの方が鮮明に覚えています。

あれ、担任は変わったんだっけな。2年連続制ではなかったはずなので……
あぁそうだ、変わったんだ。

この人になったことでごく僅かにマシになった気がしていますが、そもそもの学校制度が嫌だったので、結局何も変わっていません。

  • なぜ机の位置が席替えの時以外固定なのか

  • なぜランドセルを背負わなくてはならないのか

  • なぜ面白くもない授業を聞かなくてはならないのか

  • なぜ自由に移動してはいけないのか

  • なぜ昼休みは15分なのか

  • なぜ大体の男子は外へ行ってサッカーをするのか

  • そもそもなぜ学校へ行かなくてはならないのか。行きたいと言っていないのに。

  • なぜシャープペンを使えるのは高学年からなのか

  • なぜ授業中に水を飲んではいけないのか

  • なぜ周りに合わせないといけないのか 一人で自由にやりたいのに

今こうして書いているように詳細な言語化はできていなかったはずですが、しかしずっとそんなことは思っていた気がします。モヤモヤが募るばかりで。

今でこそ和解していますが、当時親は厳しかったので、なんかそんなことを言い出せる雰囲気ではなかったような。
他に誰にも言っていなかった気がする。

そうだ、ある時授業参観で、授業中にいきなり「姿勢が悪い!」とか子どもに向かって(僕ではない)怒鳴るやばいオヤジがいたのをなんか思い出しました。すげぇビックりした。まぁこれはその場の全員が驚いていたけれども。

3年生 これもよく覚えてない

うん、覚えていません。が、担任は変わった気がしています。この人はまぁまぁマシだったかも。

でも、上に書いたようにそもそもの学校教育制度が僕に合っていないので、これまた特に何も変わりませんでした。

漢字を何度も書かせる意味がわからないし、毎朝必ず名前を呼ばれて「はい元気です」と言わなきゃならん意味もわからないし。面倒だから体調悪くても嘘で元気と言っていた気がする。

で、この頃はサッカーが流行っていたのかなんなのか、ほぼ全て(いや僕以外100%かも)の男子が休み時間には外でサッカーをやっていたんですよね。15分しかないのに。

僕はそれに興味がないし、運動もそんなできないし、そんなことより教室で本を読むとかけん玉をやるとかする方が好きだったので、嫌でした。
で、小学生あるあるといいますか、すると女子と話すことが多くなるので、そんなしょうもないことでも他の男子からややハブられていたような。

あ、でもあれかな、1年ほど前後ズレている可能性がありますが、友達の家に行って「マリオカートWii」を遊び、めちゃくちゃ感動したことをハッキリと覚えています。スペシャルカップのレインボーロードでした。めっちゃ記憶ある。
そう、当時僕の家はゲーム禁止だった。これね、本当によくないと思う。

ゲームって総合芸術なんですよ。あらゆる感性を刺激してくれる。もちろん「クソゲー」もあるので、遊ぶ作品はじっくりと吟味する必要がありますが、これは読書や映画鑑賞でも全く同じことですよね。

おっと、今思い出したことがあります。
ある時習字用具を家に忘れてきたのですが、その時何故だか「ダジャレを言ったら貸してあげよう」と教員(担任ではない)に言われた気がして、僕は「つまようじのつまのようじ」といったことを鮮明に覚えています。

するとその人は数秒止まって困った顔をした後に習字用具を貸してくれたのですが、いや、これは今になれば確かに謎だと思っているのですが、それは「つまようじの妻の用事」って意味だったんですよ。マジです。

僕の脳内では、”つまようじ”というキャラがいて、その人には妻がいて、用事があったっていう。

これほんとに。バカみたいなこと書いてんなぁって感じですが、嘘でこんなつまらないこと書かないでしょう。

なんかそんなような感じのことをずっと考えていたような。

最後に

今回は3年生編まで。

意外なものでというか、1~3年生の学校における記憶がほとんどありません。それよりも3年以上前の幼稚園の方がかなりはっきりしています。

やっぱり、どうでもいいことは忘れようとする性質が人間にはあるのでしょうか。

色々と書き連ねてきましたが、記憶というものは後から書き換えられてしまうものだと思っているので、どこまでが当時の真実で、どこからが今これを書いている時点の僕の脳内なのかがわかりません。
これを書くにあたって、誰にも何も聞いていませんし。

ですが、なるべくありのままに感じていたこと、思っていたことは書いたつもりです。

ここから地獄は加速していきます。というか、始まります。

アイキャッチは前回に続き記事に関係ありません。

(´・ω・)つ旦