「あー、瀬奈はいいよね。家にお金あるし、音楽の才能あるし、勉強もできるし。あと、顔もいいし」
「お、どうした、そんなこと言っても何も出ないぞ?」
「何もなくてだいじょぶでーす。……『夢とか目標とかない』って言っても、なんだかんだ瀬奈には確実な未来がありそうじゃん? わたしには、何もないからさ」
ああ、またしても困らせるようなことを言ってしまった。瀬奈はとてもいい人だし、一緒にいてすごく楽しいんだけど、ふとした時に自分と比べてしまって、そしてこんなことを思ってしまう自分が、とても嫌になるのだった。
「あーまぁでも、メイクはそんなにしなくてもいいから楽だね……じゃなくて、そうだねー、うーん」
ぶどうジュースのストローを指でくるくるさせながらさせながら、まんざらでもなさそうに瀬奈が言う。初めより少し浮力を失った氷は、カランカラン、と心地よい音を立てている。
「わたしには特技なんてないし、人に自慢できるような趣味もないし。本を読むのが好きだって言っても、そんな人は他にもたくさんいるし、何か書いてみても先生みたいにはなれないし」
誰にも何も言っていなかったそのことが、口をついた。
「ん、何か書いてるの?」
「まぁ、うん、一応だけど。だけど人に見せるものでもないし、書いてるって言ってもほとんど先生の真似みたいなものなんだけど……」
「なるほどねー、そうかー。やっぱり難しいよね、何か書くのって。……私なんか国語苦手だから、結構大変なんだ。だから夕香はすごいと思う」
「うん、ありがと」
あまり深くまで立ち入ってこないこの優しさが、却ってわたしの心を静かに痛めつける。横に目をやると、綺麗に磨かれたガラスに映る自分の顔は、心なしか曇っているように思えた。対照的に、そんなことなどまるでわからないと言うように咲き誇る、薄い透明な板越しの花。それにちょこんと乗っている雫は、いつまでも見ていられるほどに美しかった。マスターがした葉水ではない。自然と降ってきたアクセサリーたちは、雨だった。
「……あのさ、わたしって何か書けると思う?」
「え、書けるんじゃないかな? だって夕香の書く感想文すごく面白いよ。いつも早く続きが読みたいなぁって思ってる」
「え、ほんとに……?」
「うん、ほんとだよ。あ、そうだ、読んだ本の感想をさ、ブログみたいなのに書いてみたら? きっと何かしらの反応があると思う」
家を出る前まで読んでいたようなものを、わたしも書いてみるのか……。変なものがたくさんあったけど、それでも一つ心に残っていたサイトがあった。そこには、『……でも、この書きかけのものを捨ててはいけない気がしている。どんなに時間がかかってもいいから、続きを書かなきゃいけない気がする。焦りでもない。ただ、淡い使命のようなものを感じるのだ……』なんてことが書かれていた。どこの誰が書いたものかはわからないけど、淡い使命という言葉が気に入っている。淡い、という言葉を辞書で引いてみると、『抱いた心情がそんなには強くない』と書いてあって、そんなに強くない使命ってなんだそれ、とちょっと笑えた。そういうものでも誰かに響くのだから、もしかしたらわたしにも書けるかもしれない。
「おーい、また自分の世界に入ってるの?」
「……あ、ああごめん。おっしゃる通りです」
「あはは、やっぱり夕香っておもしろい」
ちょっとコーヒーを飲んでから。
「うん、わたし読書感想文のブログ、やってみようと思う」
「お! いいねいいね。私にも読ませてね」
「もちろん! 教えてくれてありがとう。あと、愚痴みたいなことばかり言ってごめん」
「全然いいよ、気にしないで。元はといえば、私の方が親と色々あって電話したわけだし」
「あ、そうか。すっかり忘れてた」
それぞれICカードで支払って、お店を出る。傘をぱらぱらと叩くその雨滴は、少しばかり踊り始めてきた心に寄り添うようだった。