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私の読書方法①:読書メモ編『14歳からのアンチワーク哲学』
「労働は悪であり、撲滅可能である」とするアンチワーク哲学という思想があります。その思想について書かれた本が無料で見れる & 著作権フリーとのことで、この本を元に私の読書の方法を公開していきます(長くなるので何回かに分けます)。著作権がある作品だとあれこれ工夫する必要があるので、非常に助かりました。作者の方に感謝します。
大本の作品が読みたい方は、下記のページからpdfがダウンロードできます。メールアドレスの登録など、そういった手間も不要です。
まず、私は読書をしながら読書メモをします。Kindleで読むことが多いので、ハイライト機能を使って気になったところをハイライトしまくります。そして、読み終わった後でハイライトを読み直します。必要に応じて、ハイライトからさらにハイライトをGoogle Docに書き起こしたりします(音声入力などで)。
今回の作品は、pdfだったので元々の文章をコピペして下記の読書メモを作りました。書籍は216Pとその解説36Pなので、252Pです。その分量を「(自分にとっての)ハイライトだけ抜き出したもの」として、Google Doc 11Pに圧縮しました(ただし、書籍の1PとG Docの1P辺りの文字数が異なるので単純比較はできませんが。抜粋後の文字数は、11,373文字でした)。
このように一度読んだ本を圧縮することで、重要なところのみを読み返しやすくします。初回の通読は、内容を把握しながら読んでいるので、11Pに圧縮されたテキストを読みつつ、大本の書籍の論理などが頭の中に広がっていく感じです。なので、一読すること自体にも意味があります。なお、私にとって当たり前なことやわざわざ読み返す必要のないことは、抜き出していません。そのため、ある種、私にだけ理解できる読書メモということになります。
前置きが長くなりましたが、著作権フリーということなので、メモった内容をそのまま公開します。前述の通り私にとって自明なことや重要だと思わないことは除外してあるので、話の前提が飛んでおり、分かりづらい部分もあると思います。気になる場合は、大本の著作を読んでみてください。非常に面白い本でした。
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・本編
アンチワーク哲学は『好きなことをやって、嫌なことから逃げろ』って主張する哲学。
そうすれば、みんなが幸せになるっていうことを証明しようとしてる。
人間はありとあらゆる行為を欲望するっていう事実。
食べることや寝ること、貢献することも欲望する。
人間なんて一皮剥けば自分勝手で、ワガママで、強欲な生き物なんだ。それが現実。
→現実を冷静に見つめれば、悪い人間なんてほとんどいない。
少なくとも、刑務所に入ることを前提にすれば人を殺すことは可能。
それでも人を殺す人は多くない。それは、誰も人を殺したくないから。
嫌いなら、まず距離を取ろうとするのが普通。
殺人が起きるのは労働のせい。
趣味と労働の違いは? 『趣味』はお気楽な雰囲気やのに、 『労働』は嫌な義務感がある。
世界には、食べるために行う畑仕事や狩りなどの行為を『遊び』と同じ言葉で表現する民族がいる。
アンチワーク哲学では、『労働とは、他者より強制される不愉快な営み』と考える。
なお、好きで労働をする人は、不愉快でもないし、強制されているとも感じないため、労働とは呼ばない。
この哲学では、この労働が悪であって撲滅しなければならないと考える。
『強制されることなく好きなことだけをやる世界』がアンチワーク哲学の理想。
それを労働なき世界と呼ぶ。
暴力によって命を脅かせば命令に従わせることはできる。
逆にそれくらいのことをしないと、命令は拒否されるのが普通。
お金でも人は動かせる。
それは、生きるため。自給自足したり、炊き出しで食い繋いだりすることもできなくはない。
多くの人はお金がないと生きていけないって感じている。
ということは、お金を稼ぐために会社に入って労働をすることは避けられない。
どんな状況にあろうが理屈の上では命令を拒否することは可能。
ただ、 『拒否できない』 『強制されている』と感じていることが重要。
命令に従っている労働者たちは、転職や起業という選択肢を持っている。
でも、それが現実的じゃないから、命令に従わざるを得ないと感じている。
会社の命令を拒否して会社から支払われる給料がなくなれば、自分や自分の家族が路頭に迷って、最悪の場合は野垂れ死ぬ。
労働者は未来からスナイパーに狙われながら命令に従っている。
つまりお金っていうのは拳銃と同じ、命令に従わせるための力になる。
お金っていうのは権力そのものだと、アンチワーク哲学では考える。 = 貨幣権力説。
命令のネガティブな側面は大きい。
人には貢献欲がある。しかし、貢献欲は強制や命令によって抑圧されている。
だから『他者からの強制』という意味での労働は悪。
ティッシュを渡すという行為でも、命令されるかされないかで、感じ方はまったく違う。
お願いされたら渡したい気分になるのに、 命令されたら 『誰が渡すかボケ』 っていう気分になる。
そのため、労働も、命令されるからやりたくなくなる。
あれこれ言われるからやりたくなくなるだけで、本当なら人は誰かの役に立つことは喜ばしいこと。
人は役に立つことを欲する。でも、あらゆる行為は命令によって労働化される。
だから貢献が嫌なことだと現代人は思い込んでいる。
なお、命令されているからといってすべてが嫌になるわけじゃない。
アンチワーク哲学は『好きなことをやれ』っていう哲学。
ただし、好きなことだけ追い求めていたら好きなことはできない。
飯を食うことは事実上強制されている。
しかし、人間は生きていくために飯を食べることに納得しているから、事実上強制されていたとしてもいちいち不満に思わない。
強制されていようが、納得していれば問題ない。
強制されていると感じるのは、納得度が欠如しているから。
三歳児は『Aという行動をとるためにBという準備をする必要がある』ということが分からない。
分かっていても『いますぐAという行動を取りたい』という衝動を抑えるのがむずかしい。
欲望を一旦保留して、別にやりたくもない行為を優先することができない。
失敗を繰り返して、子どもは欲望の優先順位を覚えていく。
実際に労働に満足する人はいる。みんなが『労働したくない』と文句を言っているわけじゃない。
お金を稼ぐために労働することは、事実上、命令されてる。でも、そのことに納得をしているなら不満はなくなる。
それが社畜心理の第一歩。
社畜真理とは、『なんでこんなことせなあかんねん!』 と思わなくなって 『これは仕方ない』とか、いっそ『労働が楽しい』とまで感じるようになること。
人間が不満を抱き続けるのは意外とむずかしい。
労働のように逃げられない場合は、『仕方ない』って受け入れる。
そして『仕方ない』がだんだん快感になっていく。
現代においても個人が生きるためにはお金は必要。
社会全体としてみたときに現代の労働は必要ない。
だから納得できない人がたくさんいる。
世の中は無駄な労働で溢れかえってる。ブルシット・ジョブ。
労働が分け前を奪い合うだけの競争になっている。
労働には二種類あって、経済活動と政治活動がある
経済活動は、食糧をつくる行為など。
政治活動は、金を手に入れるための活動。たとえば営業。
営業は、100件の営業電話をかけて、一社契約できれば御の字。ほぼ無意味な仕事。
経済活動が活発になることは基本的にはいいこと(つくりすぎの問題は置いておく)。
政治活動は少なければ少ないほど良い。同じところから100回も営業電話をかけられたら迷惑。
しかし、その迷惑を実現するために多くの資源が使われている。
ただし、経済活動もすべてに意味がある訳ではない。
あらゆるビジネスではたくさんお金を稼ぐことが求められる。
理由の一つは、お金がないと不安だから。
お金を稼ぐにはたくさんつくって、たくさん売る必要がある。
売れるかわからなくてもたくさんつくる。そして宣伝して、営業して売る。
経済活動は過剰生産になってしまいがち。
この社会では政治活動をやった方が金持ちになれる傾向にある。
つまり、お金は社会に対する貢献度を測定しているというのは勘違い。
そもそも貢献度なんかを測定することが無理。
でも、お金はあたかも測定しているような見かけを生み出す。
むしろ、お金は、貢献度を測定しているのではなく、貢献度を決定していることになってしまった。
そして、『お金を稼いでいない人が、社会に貢献していない』と勘違いされるようになった。
政治活動に携わる人は、低賃金で経済活動に携わる人が生み出した富を搾取してるだけ。
政治活動が過熱するだけじゃなくて、政治活動への参加権の獲得競争もどんどん過熱している。
= 受験戦争が過熱している。
大学には、その大学を卒業したという肩書を貰いに行く。勉強をしにいく人は稀。
大学生の本音:『代筆なり偽装出席なりでその場を凌いで肩書きだけもらってあとは面接で美辞麗句を並べて大企業に滑り込めば人生安泰』。
大卒の学歴がなければ政治活動に参加できない。学歴が許可証みたいなものとして機能している。
有名大学を卒業して、政治活動を上手くやれば、金持ちになれる。
仮に社会全体を豊かにすることにはならないが、個人としてみれば金持ちになれる。
自分一人だけ椅子取りゲームをやめたら自分だけが貧乏になるから、 みんな椅子取りゲームをやめられない。
でも、その営みは社会全体としてはなにも生み出してない。なら、さっさとみんなでやめれば良い。
みんなが勉強を頑張ったらテクノロジーが発展して社会が豊かになるっていうのは幻想。
実際は、みんなが椅子取りゲームと穴掘りゲームに夢中になって、どんどん消耗しているだけ。
テクノロジーの発展は大袈裟に騒ぎ立てられているけど、実際には社会全体はたいして豊かになっていない。
このままいっても、AIやロボットで労働が代替されることはない。労働は別の方法で撲滅しなければならない。
アンチワーク哲学は、現実にお金は必要だから、お金を配ることで下記を実現する。
労働のうち、お金を集めてくる政治活動に夢中になるのは社会全体の発展には貢献しない。
経済活動にも、 『お金を稼がないといけない』という焦りのせいで、売れ残りなどの無駄が生まれているし、政治活動のためのビルを建てるような仕事もいらない。
労働者が強制されなくなれば、人は無駄な労働をやめる。
強制によって抑圧されていた貢献欲が発揮されて、自発的に家を建てたり野菜を育てたりするから、強制という意味での労働がなくなっても困らない。
アンチワーク哲学は、通常財源のベーシックインカム(BI)ではなく、別のベーシックインカム案を支持する。
「金を刷って、配る」
インフレは、需要が大きくなりすぎたときか、供給が減ったときに起きる。
いまや人間が必要とする商品の総量は頭打ちになっている。
つくっても売れないから無理やり売りつけている。
年金は、受け取る側になったら事実上のBI。
農家の平均年齢は65歳以上。年金をもらっている。
日本の農家の大半は事実上、BIを受け取っている。しかし、農業を続けている。
醜態をさらしている『いまの社会』に固執するのは、あほらしい。
BIでお金の不安がなくなるなら、人の役に立つ仕事をしたいと思う人は増えるのではないか?
哲学者は、みんなの代わりに考えて、考える必要があることを問いかける仕事。
BIがあればお金をくれる人の命令に従わなくても、路頭に迷うことがなくなる。
そのため、命令が強制的なものじゃなくなる。
そして本当にやりたいと思うことや意味があると感じることにみんなが取り組める。
BIさえあれば、不正に手を染めるように圧力がかかったら『それはおかしい!』って声を上げられる人も増える。そこまでしなくても、その場を離れる人は増える。
金儲けへ向かうエネルギーがBIで削り取られるのはいいこと。
『労働が撲滅されれば犯罪がなくなる』
BIのおかげで労働しなくても生活できることが保証された社会で、殺人事件や強盗や詐欺を誰がするのか?
犯罪率と貧困率には強い相関がある。
殺人事件の大半は家族間で起こっている。
『殺したいほど嫌いな奴がいてもその場を離れるのが普通』
殺したいほど嫌いな奴がいても、逃げられない場所の代表格が家庭。
生殺与奪の権を握ることで保たれてる絆なんかな、本物の絆と言えない。
絆は、好きに離れられる状況にあっても離れたくないと思うこと。
BIを導入すれば環境問題も解決すると、アンチワーク哲学では考えている。
金儲けのための政治活動や、余計な経済活動、それらをサポートする膨大な労働がなくなるから。
金儲けのエネルギーを弱めるBIがあれば、環境破壊のエネルギーも弱まる。
退屈な労働をしなくてよくなった上に、 環境まで守られるならいいこと尽くし。
環境を救うために必要なのは我慢やない。逆に我慢せず、欲望のままに生きることで、環境は救われる。
厨二病は、人間は怠惰で利己的でワガママやと決めつけている。
慈善事業などは、理由なんて曖昧で、適当で、後付け。 『真の理由』なんか、言ったもん勝ち。
なんでもかんでも金を『真の理由』だと認定する考えは中二病。
それに対して、アンチワーク哲学は行為の理由を別の角度から説明する。
『人間はなぜ行為するのか?』という問題についてもっと根本的な説明をする。
行為とは『変化を起こすこと』。
石は自発的に行為して結果を変えることはできない。
人間は『決定されてない』と感じている。
人間は自分の意志でなんらかの変化を起こしていると感じながら生きている。
意志とは欲望とも言い換えられる。貢献欲は欲望の一つ。
つまり、行為とは自分の欲望で変化を起こすこと。
食欲や睡眠欲、金銭欲といった限られた欲望だけではなく、多様な欲望がある。
思考の過程において存在すると仮定した方が都合のいい概念。
それぞれの欲望は事実として平等に観察すべき。
貢献欲という言葉は存在していない。
あたかも名前のついた欲望だけが真の欲望であって、それ以外を人が欲する場合は『真の欲望』を取り繕っているだけかのような印象を与えてしまう。
あらゆる行動の理由を欲望だと解釈して事実を平等に評価する。
人はありとあらゆる欲望を持つ。
しかし、食欲や性欲や睡眠欲みたいに名前のついている欲望ばかりが注目されるのはおかしい。
仕事とボランティアを比べると、後者は質が低い可能性がある。
しかし、いま労働に忙殺されてるから、ほかのことに責任感を持って取り組めていないだけかもしれない。
趣味に向ける人間のエネルギーは凄い。
多くの人は一円の得にもならないのに短い土日で職人技を磨いている。
人間の欲望は変化を起こすことを求める。
そして、人間は変化させる能力を増大させたがる。
すべての欲望は、自分の意志で変化を起こすことが目的。
人は身体や道具の使い方を学んで影響力を拡大させていく。
何歳になっても、できることが増えたら嬉しい。
つまり人間は力への意志に突き動かされている。 = 成長欲。
永遠にレベル1のままダラダラ過ごすような人生を望むことはあり得ない。
だから結局、人間はほっといてもなんらかのプロジェクトに取り組むし、スキルアップを志す。
打ち込める趣味か仕事かを見つけたらイキイキしはじめる。
そして、自分が成長することに喜びを感じるようになる。
よって、BIを配ったらみんなダラダラ過ごすっていう発想は、明らかに間違っている。
現代の労働の大半が無駄であって、やればやるだけ社会が損をする。
よって、無駄な労働をするくらいなら、ゲームしている方が偉い。
労働はやればやるだけ本人も周りも不幸になるんや。せめて本人だけでも楽しい方が良い。
どのみち人は役に立つことを望むから、社会なんか勝手に成立する。
やってることは別にやらなくても良い娯楽みたいなものなのに、それが『生き延びるため』とかなんか言って自分らを追い込んで、苦しんでるのはアホらしい。
『生き延びるため』なんて考える必要はなく、やってる本人が楽しいかどうかだけを考えるべき。
『こんなもの売りたくないなぁ』とか『こんな風に営業したら迷惑だろうなぁ』とか思いながら営業をするのはあほらしい。
けれど『これをみんなに知って欲しい!』 『これを必要な人に届けたい!』と思って誰かに伝える行為は、その人にとっての『好きなこと』。
みんなが『好きなこと』をすれば楽しいし、ちょっとくらいの苦痛は快感に変わる。
嫌な労働をしないこと、労働をやめて好きなことをすることは、無条件にいいこと。
無批判で労働を続けるってことは、無駄な労働が存在する社会を許容することになる。
本当に無駄なんやったら、未来の子どもたちには労働のない社会をプレゼントしたい。
ゆえに、「労働は悪」と言う必要がある。
それで怒られるかもしれないが社会を変えようとするなら、怒られるのは当たり前。
戦時中に「戦争は悪」というのと同じ。
支配する側は、暴力に代わる支配のツールとしてお金を作った。
お金で人に命令するのは、常に拳銃を突きつけるよりは遥かに楽。
究極的にはお金の価値は暴力によって支えられている。
お金が命令の装置として機能している。
本来は、命令よりもお願いされたときの方が人はイキイキと行為する。
ただし、断られることもある。
はじめからお金抜きにしてお願いした方が高いモチベーションで貢献し合える。
アンダーマイニング効果や自己決定理論で言われている。
人間は社会全体でお金の管理に膨大な手間をかけている。
そもそもお金がなくても人は貢献を欲望する。お金はモチベーションをさげる効果がある。
人類社会全体でお金の管理に膨大な手間がかけられている。
つまり、お金はコスパが悪い。
お金が体現する価値っていうのは他人を貢献させる力。
貨幣権力説。お金は他者を強制的に貢献させる権力。
労働者は貢献の対価としてお金を受け取る。そして、そのお金を使って誰かを貢献させる。
価値を比較するということは、 『自分はできるだけ貢献せずに、 他者を貢献させたい』とか
『せめて、自分ばかり貢献するようなことはしたくない』って考えてること。
でなければ、比較する必要がない。
もし人間にとって貢献が欲望の対象なら比較する必要はない。
損だと感じるのはな、やりたくないから。
貢献がゲームみたいに楽しいことなのなら、お金みたいなものでいちいち測定したり比較したりする必要がない。
命令によって、貢献が苦行になってしまった。
BIによって命令に従う必要がなくなったなら、人は貢献そのものの喜びを思い出す。
そして、そうなれば、お金がなくても貢献することにみんなが気付きはじめる。
いずれは、お金が必要なくなる。
当時は『奴隷制がなくなったら社会が大変なことになる』ってみんなが口にしていた。
でも実際にやめてみれば必要なかったことがわかった。労働もお金も同じ。
未来のことはわからないが、本哲学は、労働もお金もなくなった未来を確信している。
労働は悪だから、働きたくないと思うことは正しいこと。
一円の得にもならないのに、この本をここまで読んだ。
より良い世界がどんなものなのかを知ろうとした。
それはあなたが世界のために貢献したいと思っているって証拠。
社会は、一人ひとりの人間が集まってできている。
あなたが議論に夢中になる姿を見て、同じようにみんながなにかに夢中になったら、それだけで世界から労働は消えていく。
人間ってのは助け合わずにはいられない生き物。
助け合うことが好きで好きで仕方ない生き物。
それなら、労働なんかやめて好きに助け合えばいい。
みんなが必要やと思うなら、絶対に誰かがなんとかしてくれるはず。
労働をやめて、好きに助け合う。
それが労働なき世界。誰にも強制されることなく、自分の意志で好きなことを好きなだけやる。
一人でゲームする奴もいれば、一日中誰かのために貢献してる奴もいる。
でも、やめたいと思ったら、すぐにやめられる。
人間が本当に自由になったときに、缶コーヒーをつくり続けるのかどうかなんて、わからない方がいい。
だってそれが人間として生きるということ。
絶対に缶コーヒーをつくる人が現れるとわかってるなら、それはもう缶コーヒーをつくる人を支配しているのと同じ。
人間がなにを欲望するかわからない。
それで仮に缶コーヒーがつくられないのだとしても、誰かが強制されるよりはいい。
缶コーヒーがなくても、なにか違うものを飲めばいい。
缶コーヒーが飲めないと、少し不便かもしれない。
でも、誰かが命令に強制的に従わせられるくらいなら、ちょっとぐらい不便なほうがマシだ。
一回自殺した気分になってみる。
死ぬくらいなら、 ニートになることも、 大人の言うことに逆らうことも、 屁でもない。
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・解説
『社会全体の満足度』という項目が調査内容に追加
スタートの平成二一年には「満足している」と「やや満足している」の合計が三九・ 九%だった。
令和三年には同じ数字が五二・ 四%まで向上している。要は国民の半数以上が「今の生活に不満はない」と認識している。
世界に生きる人々は、自身の環境が悪くなっているのはおかしいという認知的不協和的なストレスがあるのでは?
そこから逃れるため、事実から顔を背けて満足していると思い込もうとしているのではないか。
つまり「私たちは何かを諦めてしまった」。
多くが現状に満足し(ていると思い込み)変化を求めなくなれば、その後に待っているのは「なるようにしかならない世界」。
「なるようになってなんとかなった世界」よりも「変化を求めて失敗した世界」の方に希望を見出す。そのほうが人間らしい営み。
常識には、知らないうちに私たちに当たり前を押し付け、新しい変化を阻む強い力がある。
常識に対抗しそれを覆すためには、まず疑わなければならない。それも極端に。
『アンチワーク哲学』は、現在一般的な常識からはかけ離れた突飛な主張を掲げている。
その主張が正しいかどうか、解説者には皆目見当も付かない。
しかし『アンチワーク哲学』に常識を疑うための強烈な問題提起が含まれていることには疑いの余地がない。
解説者は『アンチワーク哲学』の信奉者ではない。
主張が正しいかどうかわからないし、思想の成就のための活動に参加しようとも思わない。反論だってたくさんある。
・人間の善性を信仰しすぎてはいないか
・貨幣のコストとリターンを比較して、本当にコストの方が大きいのか
・共産主義のように(理念が完全に実現されれば良いものの)理念実現までの過程でむしろ不幸が増える可能性はないか
など
たいしてお金にもならない活動だが、かれこれ四年ほどこの活動を続けられているのは、そこに大義がある。
その大義とは「人類総哲学者計画」。
「一人一人がもっと世界や自分について考える世の中は良い」。
そのような世の中の実現に少しだけでも貢献することが大義であり、活動のモチベーション。
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・あとがき
「正しさ」の光で埋め尽くされた時代に、ほんの少しでもいいから、正しくないままでいられる影をつくりたい。
ジョン・スチュアート・ミルという哲学者は「ある問題について、自分の側の見方しか知らない人は、その問題をほとんど理解していない」と言った。
絶対的な「正しさ」はありません。大人が押し付ける常識も、この本で書かれたこともあくまで一つの解釈。
だからこそ、できるだけ多くの見方を知るべきなのだと、ミルは言いたかったはず。
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・解説・参考文献
アンチワーク哲学の目指す「労働の撲滅」とは「強制の撲滅」とも言いかえられる。
多くの人は「人間は畑仕事のような作業を苦痛に感じる」という漠然とした先入観を抱いている。
「人間は怠惰である」ということが前提とされている。
現代人はわざわざ余暇の時間に家庭菜園をしたりもする。
ニートは毎日だらだら過ごせて羨ましいという言説がある。
しかし、ただ虚しさを抱えながら時間を過ごすことは、人間にとってはこの上のない苦痛。
人間は労働とみなされるような行為すら、気晴らしとして欲望する。
逆に、自らの意志で何かを成し遂げる経験をまったく味わえないことは、不幸。
お金を稼がなければ生きていけないと誰もが感じている以上、労働には強制という側面が常に存在する。
つまり、お金は強制や命令のツールとして機能していると考えられる。
この考え方をアンチワーク哲学では「貨幣権力説」と呼ぶ。
権力とは「他者を強制する力」と定義する。
「価値」とは他者を強制的に働かせる能力。
人は支配されることすら欲望する。
つまり労働そのものを欲望し始める。
これはアンチワーク哲学では「社畜心理」と呼ぶ現象。
社畜心理が進むと自虐風自慢をする状況になる。
なぜこのような状況が起きるかといえば人間にとって支配されることが先がたい状況で支配に対して強烈な不満を持ち続けることは難しい。
現実(服従している状況)と心理(服従に不満を抱いている)が不一致のまま過ごすことは、心理学者が「認知的不協和」と呼ぶストレスを引き起こす。
両者を一致させるために、心理の方を変えている。
裏を返せば、人間にとって「この行動は自分で選択している」という実感を抱くことは根源的な欲望であると考えられる。
BIは、ピグマリオン効果(人間は信頼されれば信頼に足る人物として振る舞う傾向があること)を社会全体に適応させるシステムと言える。
全人類を信頼し、自由に行動できるお金という権限を与える。
トマ・ピケティ「あらゆる人間社会は、その格差を正当化せざるを得ない。格差の理由が見つからないと、政治的、社会的な構築物が崩壊しかねない。だからどんな時代にも既存の格差やあるべき格差と考えるものを正当化するために、格差と考えるものを正当化するために各種の相反する言説やイデオロギーが発達する」。
貢献欲が血縁以外に発揮されてしまうなら、労働を成り立たせる命令や支配にまつわるイデオロギーが崩壊する。
「人は貢献力を持たず、命令されなければ他者に貢献しない」という前提がなければ命令や支配の正当性が失われる。
アンチワーク哲学では「力への意志」を拡大解釈し、「自分の意志で世界に変化を起こすことやその能力を拡大する意欲」その能力を拡大する意欲と考える。
労働においては自分の意思で行為することが難しい。力への意志が抑圧されていると言える。
しかしかろうじて力への意志が発揮された状態を保つことは可能。
つまり「自分は納得して、望んで支配されているのだ」という風に自己正当化を行うこと。
これが「社畜心理」。
アンチワーク哲学では、自分の意志で世界に変化を起こしていると感じられているかどうかこそが、当人の精神状態に大きく影響を与えると考える。
つまり、人々が自由であることを最重要視している。
予想される反論は、「誰もが自由ならトラブルだらけになるのではないか?」あるいは「自由を恐れている人もいるのではないか?」と言ったもの。
この反論は「自由を正しくは使えるのは、知的で正しい倫理観を持ったエリートだけで、大衆の大半は自由を扱きれず彼らに自由を与えたところで困惑するに違いない」という前提がある。
アンチワーク哲学では、哲学では人は自由を恐れているのではなく、他者からの評価を恐れていると考える。
権力者の印象が悪くなれば、自分にとって不利益になる。
人は評価されることへの恐れがなくなれば、自由に振る舞い、積極的に行動し、何らかの成果を生み出し始める。
BIとは、社会全体に対して心理的安全性をもたらすシステムだと言える。
アンチワーク哲学では自由とは「自らの行動に対する納得度が高い状態」と定義する。
人が自由であるかどうかは常に「程度の問題」であり、本人の主観によって決定される。
未来を予測可能にするためには人々の行動を完全にコントロールする必要がある。
それは自己決定を否定した完全な支配を意味する。
しかし、自己決定は人間にとって根源的な欲望である。
そのため、人々が自己決定という欲望を満たすためには支配を撲滅しなければならない。
支配を撲滅すれば未来予測は不可能になる。
なお、支配が未来予測を可能にするという考え方自体が幻想であることは歴史を見れば明らか。
人間の溢れ出る力への意志を完全にコントロールすることは、暴力やお金を持ってしても難しい。
国家とは、本来予測不可能な人間をいかに予測可能な状況に閉じ込めるのかという実験を繰り返すユートピア的なプロジェクト。なお、往々にして失敗してきた。
アンチワーク哲学では「どのみちユートピアに思いを馳せるのであれば、もっと夢のあるユートピアを想像する方が望ましいのではないか」という問題提起。
BIの導入は国家権力の増大であると解釈する人もおり、アンチワーク哲学が国家に批判的でありながらBIを推奨することは矛盾であると感じるかもしれない。
しかしむしろBIは、政府の権力を縮小させることが明らかになる。
マックスウェーバーによれば、政治とは「権力の分け前に預かり、権力の分配関係に影響を及ぼそうとする努力」のこと。
貨幣権力説は、お金とは権力であると定義する。
そして、お金の分配に影響を及ぼそうとする能力をちらつかせれば人をコントロールすることが可能になるため、それ自体が権力であると言える。
BIは、権力を政治家の手から奪い取り、強制的に万人に分配するシステム。
これは国家権力の弱体化そして人々が自由に振る舞う権力を手にすることを意味する。
そうなった時には、未来を予測することは不可能。
しかし人間は信じれば信じるに値する行動をとる。
つまり予測不可能だからこそ面白いのだと楽観視する態度があれば、人々は持ち前のユニークさと貢献力を発揮し、ワクワクできる未来を実現する可能性がどんどん高まっていく。
アンチワーク哲学の基礎はボブ・ブラックによって固められている。
ボブ・ブラックは「労働によって台無しにされている人々の想像力を解放すると何が生じるのかは、誰にもわからない。何でも起こりうる」と述べている。