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シンプルを勝手に複雑に装飾しつつ、シンプルを目指す。

742回目です。φです。

はーい先日病院に行ってきました。相変わらずの頑張ってね大変だねとのお言葉をいただきまして…そうですね、しか言いようがない(笑)

治るものじゃないからなぁ、とはいえ、年々何かしらの不便さを発見していく。ひとつに対して最低限の対処だけ、という具合。しらみつぶし、とはこのことでしょうか。

「何かあると疑うこともなく、何事もなく健康で楽しめていた日々」に思いを馳せても意味はない。今を見て、できることとできないことを分けながら、自分らしく生きていくしかないのでしょう。

人生は自分の選択でできている。そしてそのときの流れ。自分の選択が流れと共に結果に辿り着いて、その行き先は誰も分からないし、予想していたものになったり、ならなかったりする。人生とは分からないものです。

だったら「叶わない」「昔は違ったのに」と嘆かず、ふらりと人生の旅を楽しんだ方が良いのでしょう。きっちりすることで人生がきっちりなるわけでもないし、気ままにやってみたことが人生のコアになるかもしれないし。

あまりにもふらふらするのはコアが無さすぎるので、自分のコア、軸を持ちつつ、流されながらも自分として意見を持ちながら生きていこう。

勝手に心療内科で最近の事実を捏造されている母親の話を聞きながらそう誓いました。「それ、誰の事?」と思いつつも、私が口出ししても帰り道から数日、数週間は嫌な時間を過ごすことは明白だし、この国において”沈黙は金”というものですから。

母親が割り込んでくる私の世界は、私にとってはそこまで大切にするものではないし、そもそも私はほとんど話していないし、私から見ても「この人私?」と思うようなものだし。ちょっと手放した世界、という具合。それでいいと思う。母親と、今こうやってnoteを書いていて色々なことに熱中している私は、出会うことがないのだから。

いつから自由な自分を家族に見せなくなったかと、まぁ物心ついたくらいからだろうし、すでに小学生の頃は見せていなかったと思う。友達と遊んでいて、母親が来たら私は無表情になってたし。友達から驚かれたし、友達と母親の間に立たされたとき私はどちらの態度にしようかと悩んだものです。結果、いつも家族に見せるものにしておいた。母親にとって私の態度が違うことは怒りを呼び起こすものであることは、同時期くらいから学んでいたから。

大学になってできた友達と遊んでいるとき、なぜか私と彼女がいる場所に母親がやってきたことがあった。迎えに来てあげようと思って、という理由だったけれど、おそらく友達を観察しに来たんだろうなぁと薄っすら感じた。迎えに来られたので帰らざるを得なくなり、帰路の車の中では私の友達の顔のことや学力、友達の家族のことについて永遠と質問された。はぐらかしたら不機嫌になって無視されたりしたけれど。

後に友達には連絡して。家族関係のことも説明したら、「分かったー」とゆるい返事で、その後もちょこちょこ気にかけてくれる。良い友達を持ったなぁ、と今でも思う。彼女とはかれこれ卒業後もやり取りする仲。

まぁ家族だから全部を白状しなければならないし、家族だから等身大の自分であらねばならない、ということはない。各々が独立した人間で、隠し事もあれば好意的でない感情だってお互いに持っている。

…と、めちゃくちゃ仲が良いですとは言えない家族と生きる私は思っています。実際どうなんだろうね。「なんでも家族に相談!」ができる人もいるのだろうとは思う。人によって異なりますね、人間ですもの。

あーあ、またそんなこと言ってるよ。心の中で溜息をつきつつ、心療内科から帰りました。生きるってシンプルなはずなのに、難しくしてしまうんでしょうね。

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