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ストイックにラーメンのスープを飲まない

 最近ストイックの言葉の意味を考えるときがある。


ストイックに勉強する。これって意外と考え込む表現だ。ストイック、つまり禁欲的、である。勉強に取り組むのは中学高校時代だとしたら、ええ成績を取りたいからやるわけで。カタルシスを得られるから他の趣味やゲームを我慢して勉強をするんだよな。だとしたら、それって本来の趣旨からさかのぼって考えて禁欲的って言えるの??だってカタルシスを得られるんだろ?エリートだ末は大臣だ〈古いw〉と言われるのが鼻が高いんだろがい。


 他のゲームや映画を我慢するのは禁欲でも本来褒められたいという欲求は我慢してない。つまり一定の欲望に向かっては突き進み、枝葉の欲望は我慢するというのがストイックの意味としていいのだろうか?じゃあ、、、


 欲望に忠実なんじゃねえか・・。当然この感想が筆者の胸の内から出る。ストイックにボウリングの投球練習をする。ストイックとはこの場合は投球練習の妨げとなる誘惑を断ち切り、ひたすら練習することだろう。だが、この場合もその禁欲はボウリングのスコアを上げて自己満足するという至上の喜びを邪魔するものを断つ、ということだろう。つまり本来の欲望はまったく我慢していない!!


 このように分かりづらくはあるが、ストイックという言葉に伏せられた第一義の欲望は誰にも止められない。あくまで第一義の欲望のための、枝葉の欲望はカットするっていう至極当然の取捨選択がある。ストイックとは選択なのか、だとしたらそれは人間の欲望を肯定したどこか仏法的な議論にも結び付くとでもいうのか??ストイックに彼女を思う。それは他の可愛い子には目もくれずひたすら一直線に彼女を思う。はたまたそれは大欲望だと言われそうだが。


 てなわけで若干しらけた考察になってしまったが、ストイックという選択について意味を捉えなおしてみた。さらばじゃ。

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