伝承と事実の交差点 - かじぃのポータル再訪紀11 帆柱石
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今回のPortal再訪紀は福岡市にある名島。
名島神社と併せると長くなりそうな予感がしたので、今回は帆柱石だけ。
名島神社はまた次回にさせて頂きます。
8月も終わりの週末。
まだまだ残暑厳しい折、バイクで出かけるには非常にきびしぃーっ!
そんなわけで16時くらいに自宅を出て、名島を目指しました。
名島に何を見に行ったか?
この連載の第8回に含紅雲母ペグマタイト岩脈の話を書きました。
歴史系がほとんどの割合を占めるこの連載の中で、地学系のこの記事はある意味この連載の別の方向の可能性を示唆しており、非常に興味深い光を放っています。少なくとも自分の中では。
福岡県にある地学系の国定天然記念物「含紅雲母ペグマタイト岩脈」。
こんなもんがあるのなら…と考えた人も多いのではないでしょうか。
そう、福岡県にある地学系の天然記念物はこれだけではないのです。
はい、全国の地学系の天然記念物がリスト化されてますよ、Wikipedia。
興味ある人は行くべき。
行ってその目で、その足で確かめるべきだと思うね!オレは!!
そのリストの中にある「名島の檣石(ほばしらいし)」。
今回の目的はこれです。
檣と書いて「ほばしら」と読むのね。
流石にこんな漢字、はじめて知ったよママン。
自宅から30分強。名島海岸に到着。
かなりキレイに整備されていて、砂浜もあり、防波堤では釣り人が釣り糸を垂れています。
砂浜の手前には生け垣。
その生け垣を囲う石垣には、こんな感じで名島という土地の歴史を思わせる写真のタイルパネルが遊歩道沿いに点々と貼り出されています。
名島って昭和初期までは発電所があったのか。
砂浜と生け垣の間には遊歩道が設けられており、散歩にはもってこいのロケーションになっています。
んん?
砂浜に国土調査の杭が……。
砂浜に刺さってるのって珍しくない???
誰かがイタズラでここに持ってきたのかしらん。
てか、誰じゃい、この砂浜火気厳禁ちゃうんかい。
なんでBBQの網が捨てられとんじゃい。
砂浜と遊歩道の終点で、浜は磯になっており、その岩場にはこんな記念碑が建ってます。
左の碑は「太平洋戦争大海戦大勝利 潮満珠潮乾珠 山本五十六 昭和十六年十二月八日」。
右の碑は「皇紀二千六百二年一月一日建之」。
昭和16年12月8日といえば真珠湾攻撃とマレー半島上陸により、太平洋戦争が開戦した日ですね。
皇紀2602年は昭和17年なので、その翌年の元旦に建てられた戦勝記念塔のようです。
その向かって右側に何が建ってたのかがとても気になりますが。
「潮満珠 潮乾珠」というのは調べてみると古事記に行き当たりました。
古事記の海幸山幸の物語に出てくるようです。
兄である海幸彦(火照命)の釣り針を紛失してしまった山幸彦(火遠理命)は、海にその釣り針を探しに行きます。
山幸彦は海の神、大綿津見神の宮に招かれ、気に入られて娘の豊山姫を嫁に貰います。
その大綿津見神に潮満珠と潮乾珠を貰い「兄が困窮し、お前を憎んで攻めてきたら、この潮満珠を使って潮を満ちさせ溺れさせなさい。潮満珠で溺れる兄が助けを求めたらこの潮乾珠を使って潮を退かせ助けなさい」と教えられます。
山幸彦は潮満珠と潮乾珠を使い、繰り返し海幸彦を悩ませて服従させることに成功します。
こうやって日本の神代に潮の満ち引きが生まれたわけですが、太平洋戦争開戦の戦勝を「潮の干潮を制御して敵を服従させる」という神代の伝承になぞらえたんでしょうね。
潮の干潮を本当に制御できたら、確かに戦を有利に進めることができるんでしょうけど、そりゃもう古代兵器だわなっていうw
まぁ、そういう冗談はさておき。
名島帆柱石。
なぜ帆柱かというと、神功皇后の三韓征伐で使った船の帆柱が化石になったという伝承が香椎宮の社伝に残っているそうです。
ここから帆柱石という名称がついたわけですが、実際はそんなわけがない。
神功皇后の三韓征伐は西暦240年代か360年代(日本史と朝鮮史の記述に食い違いがあるため説が2つある)なので、いくら古くてもその年代の帆柱が化石化するとは考えられません。
これが「伝承の歴史」。
一方で、この帆柱石は「カシ属の珪化木」だと分かっています。
カシ属の樹木の化石ですね。
漸新世前期(約3700万年前)頃の第三紀の地層から出土してる事が分かっています。
これが科学的、地学的な見地からの「事実の歴史」。
案内板の向かって左側に小径があったので、そこから入っていきます。
小径いうても、キミ、これ、狭すぎじゃない?w
マジ足元注意な。
磯の岩場を足元に注意しながら進むと、1mほどの崖の下にありました珪化木。
石柱と鎖でガッチリ保全されています。
確かにこりゃ立派過ぎとも言える珪化木。
もうちょっと近づいて見れないかな。
1m程度とはいえ、磯をジャンプで飛び降りたくはないし、かといってよじ降りるのも軍手持ってきてないし、フジツボで掌がザクロになるのもイヤだしな。
あれ?反対側からアプローチできそうな?
そう気付いて一旦戻ります。
反対側に回り込もうとすると社。
なんかちょと柵が傾いてるけど、瓦つきの立派な社ですね。
どなたが祀ってあるかまではちょっと分かりません。
ちょいと拝んで「磯でコケませんように」と祈願。
反対の防波堤側からアプローチすると、行けました。
鎖の内側に入らないように接写を試みます。
これくらいが限界かしら。
樹木の木目が見えますね。
断面。
太さは直径50cmくらいでしょうか。
年輪も見て取れます。
分断されたような形ですが、キレイに残っていますね。
遠景。
長さ的には7mほどでしょうか。
回り込んで降りる途中にあった地層。
砂岩、礫岩層なので、割と風雨や波の浸食を受けやすいはず。
下の層が礫岩層、上の方が砂岩層のようですね。
名島という地は博多湾に流れ込む多々良川河口にあり、この多々良川から流れ込んだ土砂が積層してこのような地層になったんじゃないかな。
砂岩層の部分を接写。
割と目は粗いですね。
こういう砂岩層の中に埋もれていた珪化木が風雨と波に洗われて、表出して今のような姿になったんでしょうね。
それにしてもキレイに残ったもんだと感心させられます。
「伝承」と「事実」。
このふたつは互いに相反するものですが、オレは伝承が事実と違って間違いが伝わったものだからといって、事実よりも伝承が劣っているとは思っていません。
もちろん事実は大事です。
だけど伝承も同じくらい大事。
同じくらい面白い。
なにしろ、伝承が真実だと思われていた時代もあったわけですから。
真実だと思われていたものが、ある日突然別の知識によってひっくり返る。
そういう事を繰り返して人間は賢くなって行くわけですから。
だからこそ、事実が判明した今でも「名島の珪化木」という名称ではなく、「名島の帆柱石」という伝承として残った名で呼ばれているのがすこぶるエモい。
相反する「伝承」と「事実」が交差し、併存する場所。
めっちゃエモくないですか?
「名島んがたにある木のごたぁる岩な(名島の方にある木みたいな岩あるやろ)」
「おぉ、あんね。木のごたぁる岩(おお、あるな。木のような岩)」
「知っとうな?ありゃ神功皇后ん帆柱やったげな(知ってる?あれは神功皇后の帆柱だったらしいぜ)」
「ぞうたんのごつwww そげなわけあるめぇもんwww(冗談言うなwwwそんなわけあるかwww)」
「ほなごつほなごつ。嘘やなかて(マジマジ。嘘じゃねぇって)」
「そげな古か木の残っとーわけなかろうもんwww 腐るくさ木やったらwww(そんな古い木が残ってるわけないやろwww腐るって、木やったらwww)」
「やけんが、神功皇后様ん神通力やろうもん。腐らんと残っとーとは(だから神功皇后様の神通力やろ。腐らないまま残ってるのは)」
「はー、なるほど。そげんね(はぁ、なるほど。そんなもんか)」
「そげんたい(そんなもんよ)」
とかいう会話が繰り広げられてたとか思うと、なおさらね?w
そして帆柱石の手前には、どどーんと名島神社の鳥居が。
うん、これは次回。
「名島神社と名島城跡」に続きます。
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