【歴史小説】ラブリンマン -真説 坂田金太郎- 4-決意-
その頃しょっちゅう金太を囲んでたのは、
近くの村の悪童だった。
一悟、二太という名の兄弟。
へいじとかいうひょろひょろ。
もう一人は、名前もよく知らない。
だいたいその四人が、何かと金太に絡んできてたみたいだ。
大抵は、金太の見た目をからかういじめだ。
金色の髪、赤みがかった白い肌、奇妙に光る目。
それだけでもういじめの理由には十分すぎるんだろう。
さらに、
里ではなく山の中の洞穴に母親と兄と三人で棲んでるときてる。
いじわるを言われることが多かったみたいだ。
でもそのうちの何回かは、殴る蹴るの暴行だった。
あるときなんか、
兎を追ってただ森を歩いてた金太に、
奴らはいきなり肥やしをぶっかけた。
そのあとは
「くせえ! 臭すぎるぞ、まざり‼」
「この山から出てけまざり‼ 化け物‼」
などと言われ放題言われながら、
石や棒切れを投げつけられた。
そのうちの一つが頭に当たり、
結構な量の血が出たこともある。
一週間ほど片足を引きずって歩いてたことだってあった。
それでもわたしは、
金太にきつく言い聞かせてたよ。
絶対におまえから手を出しちゃだめだ、ってね。
亀みたいに手足を固く丸め、
首を引っ込めてじっと耐えるんだ、ってね。
じゃなきゃ大変なことになるんだ、ってね。
表の気配に気づいて、
観童丸は手にしてた脱穀用の椀を置いて立ち上がり、
岩屋の外に向かった。
「おかあ。金太が帰ったみたいだ」
わたしはため息を一つついて、
着物のたもとからガマの穂で作った塗り薬の入った二枚貝をつまみ出して、観童丸に放って投げた。
観童丸はそれを空中で受け止める。
「薬を使いすぎないようにね。そいつは薄く塗らなきゃ効き目がないんだ」
「うん。知ってるよ。こいつは作るのも面倒だしな」
観童丸は頭がいいし聞き分けもいい。
まだ九つとは思えない。
二つ年下の金太のことを、
兄としてきっちり見てくれてる。
外に出ると、果たして岩屋の前の道、
ゆるい坂道の下から金太が目をしょぼつかせて、
とぼとぼと歩いてきてた。
道は、
さっきまで降り続いてた雨でぐっしょりと濡れてる。
山にすっぽりとかぶさってた重い雨雲は薄くかすみはじめて、
ほんのりと夕方の光が雲間から差し込んでた。
「金太」
観童丸が声をかけて、手を大きく振った。
兄の姿を視止めると、
金太は一瞬びくりと体を硬直させ、
口をもごもごさせた後で、また暗い目をした。
金太の肩まである白い髪も濡れそぼってた。
その間から覗く暗い目のふちは両方とも青黒く腫れてた。
唇の端も切れ、血がにじんでた。
観童丸と同じように、
褌を一つだけきっぱりと締めたっきりの体は、
手と言わず脚と言わずあざだらけだった。
「何人だったんだ? どこでやられた」
観童丸の問いかけに、金太は右手の手のひらを見せて、親指を折った。
「いつもの四人だな。ごめんな、おまえを探したんだけど……見つからなくて」
金太は観童丸のそばに立った。それからばつが悪そうに、頭の後ろをばりばりと掻いた。
「……あにいが謝ることじゃないだろ。悪いのはあいつらだ」
観童丸は広くて平らな岩の上に腰を下ろした。
「もちろんだ。……ほら。座りなよ」
金太は、しおしおと兄の隣に座った。
観童丸は小さな二枚貝を開き、
中の薬をほんの少しだけ人差し指に取ると、
金太のまぶたの横にある腫れに薄く塗った。
金太はちょっとだけ眉をしかめる。
傷はさほど悪くなかったみたいだった。
見た目は少々大げさなものの、
染みるはずの薬を塗っていても金太はうめき声一つ上げなかった。
「我慢強いな、おまえ」
「そこはあんまり痛かぁないんだよ」
「じゃあどこが痛むんだ?」
「…………」
金太はしばしじっとして、
ゆるゆると右手を動かして握りこぶしを作った。
そしてそのこぶしを、そっと心臓の上に置いた。
「……金太。それでも手を出さなかったんだな。立派だぞ」
観童丸は微笑んだ。金太はむっつりと黙ったままだ。
金太も観童丸もわかってる。
金太が同じ年頃の相手に本気を出すと、
それはもう喧嘩どころの騒ぎじゃなくなるってことを。
まず相手にえらい怪我をさせてしまうし、
もうこの穴ぐらはおろかこの山さえ追われて棲めなくなるかもしれないってことを。
金太や観童丸が自分で生きてゆけるようになったらどうせここから巣立ってくだろうから、
それまで数年ほどの辛抱だとわたしは思ってた。
観童丸は薬を腕の傷に塗りはじめた。
金太の体の表面をつつっとなぞるだけで、
細い腕を覆う皮のすぐ下に息づく太い筋肉と、
さらにその下にある鋼みたいな骨の在りかがわかる。
ぞくりとした。
(この腕で殴られたんじゃたまらないな)
金太はそれを自分でもよくわかってたからか、
兄弟喧嘩だってめったにやらなかったよ。
やむなく掴み合いになった時も、
おとなしく観童丸に殴られてたみたいだ。
そして、
喧嘩が終わったらさっさと起き上がって平気な顔をする。
殴った方の観童丸は、
何時間もかけて水で両の拳を冷やしてた。
「……金太。おまえ、ここのことは……」
「わかってるよ、あにい。ぜったいに誰にも言ってない。脅かされたけど、喋ってないさ」
「ああ。そんなら上等だ」
でも金太は、悔しそうだった。
観童丸はかけるべき言葉を決めあぐねた。
「おまえの悔しさはわかるよ」
「わかりっこないさ」
金太はすぐにきっぱりと言い返し、
兄を横目でじろりと一瞥した。
よく日焼けした観童丸の肌の色は茶がかった黄色。
髪の色は、
カラスの羽のような黒だった。
金太の持つそれとは、ずいぶん違う。
「あにい、まざりってのはなんだい?」
「……なんだって?」
「獣とのまざりは手に負えない、って言われたんだ」
観童丸は口をつぐんだ。
黙って、金太の体のあちこちに薬を塗り続けた。
「……あにい。おれ、どうしてこんなに殴られるのかな」
観童丸はいったん口をつぐんで、開いた。
「……それはな、金太。みんなおまえのことが怖いんだ」
金太は黙ってうつむいた。
ややあって、ぽつり呟いた。
「おれの赤い肌と、白い髪がかい? どうして怖いんだ」
今度は観童丸が黙り、そして静かに言った。
「おれにもよくわからないんだ。でもな、みんなとちょっとでも違うってことは、もうそれだけで怖いってことなんだと思うよ。ほら、おれ達はみんなとは別に、山に棲んでるし」
「みんなと違うとどうして怖いんだ? おれ、なんにも悪いことしてないのに」
金太が顔を上げた。
心底わからない、とでも言いたげな顔で。
そんだけ殴られてるのに何もやり返さない、
ってことも怖いんだよ……観童丸はそう言おうとして、やめた。
兄がまた黙り込んだんで、
金太も答えをあきらめた。
「あにい。おれ、あいつらを殺してやりたいよ」
「……金太」
「おれがされたのと同じように肥やしをぶっかけて、殴って、蹴ってそのまま殺してやりたい。……殺したあとの死体を、ぐちゃぐちゃに、もう顔もなにもわからなくなるくらいぐちゃぐちゃに踏みつぶして平べったい肉の板にしてやりたいんだ。そう思ってるんだ」
「やめろ、金太」
「でも……そんなことやれるわけないんだ。……じゃあ、おれはどうしたらいい? あにい、教えてくれよ。どうしたら……殴らずに、蹴らずに、あいつらに仕返しするにはどうしたら……」
金太は縋るような目で観童丸を見た。
「おれ、頭わるいからわからないんだ。あにいはなんでも知ってるじゃないか」
「それはな、金太……いまのおれ達じゃだめなんだよ。どうしようもできないんだ」
「……いまの?」
「そうだ。おれ達は、里のもんに見つからないようにひっそりとこの岩屋に棲んでる」
「どうして?」
「どうしてって……」
観童丸はしばし考えたけど、
結局わかりやすく金太に話すやり方が見つからなかった。
「それは、金太にはまだ早いよ。とにかく、里の奴らはおれらと立場が違うんだ」
「……じゃあ、どうすればその立場は変わるのさ?」
「どうすれば、か。そうだな……ふふ、じゃあ侍にでもなってみるか?」
金太の目が、きら、と光った。
「サムライ?」
「ああ。侍にさえなれば、里の奴らなんて目じゃない。金太郎さま~って頭を下げるよ」
観童丸はおどけて、金太に土下座してみせた。
でも金太は笑わなかった。
「サムライってなんだ?」
「帝に仕える強い人のことさ」
「どうすれば、その……サムライになれるんだ?」
「うーん。……おまえは強いからな。もっとうんと強くなって、えらいお侍に力を認めてもらえれば、ひょっとしたらなれるかもしれないな」
「……そうか、わかったよ。強くなりゃいいんだな。もっと強くなって、えらいサムライに会うよ。そしておれもサムライになってみせる。ぜったいに」
観童丸は金太に優しく微笑みかけた。
「そっか。なれるといいな」
「なるよ」
「簡単なことじゃないぞ。戦にも行かなきゃならないし、もし上に命令されたら憎くない人だって殺さなきゃならない。きっと、辛いぞ」
「それでもなるよ。ぜったいに。……あと、おれ、もう村には行かないでおくよ」
「そうだな。その方がいいかもしれないな」
「おれが行きたいって言っても、あにいが止めてくれよな」
「わかったよ」
薬をあらかた塗り終え、
言葉を失った二人は空を見上げた。
観童丸と金太をとりまく空気には、
少し前に上がったばっかりの雨の匂いが濃く残ってた。
それを二人は吸い、
吸っては吐き、を繰り返した。
辺りにはゆっくりと闇が忍び寄ってきてた。
肌に纏いついてくる冷たい闇の気配の中で、
金太の体だけが妙な具合で熱を放ってたみたいだ。
その熱の真ん中で、すごく小さな、
でも確かな強さと輝きを秘めた決意が息づいてた。
闇はいっそう濃くなった。
空にはいつしか星が瞬いてた。
〈続く〉