【歴史小説】ラブリンマン -真説 坂田金太郎- 22-明日へと続く道-その③
あのあと、
わたしと観童丸が何を話しかけても金太は一言も返事をしなかった。
素直な一方でもともと気難しいところもあったけど、
その夜はことにむっつりと黙り込み、
駕籠女に肘で打たれたみぞおちを何度も撫でさすりながら早々に床についたんだ。
そしてすぐに寝息を立て始めた。
夜半も過ぎた頃だったろう。
わたしは何度も浅い眠りをつなぎあわせ、
目を閉じては開け、
を繰り返してた。
目が覚めるたび、
自分が金太に母親らしいことを何一つしてやれてなかったことについて考え、
一人で呆れてた。
呆れては、
自分の情けなさにほとほと愛想が尽き、
ため息をついた。
気づくと、乾いた頬を涙が幾すじも伝ってた。
難しくない子育てなんてない。
金太は見た目こそ普通じゃないけど、
中身は至って普通の子だ。
父親に似て人一倍心が優しく、
好奇心が強く、
口数が少ないぶん色々なことを一人で考えてて、
一度こうと決めたら迷わず突き進めるが、
あちこち甘えたところもある、
どこの里にだっているような童だ。
だからこそ、
あの子が胸に抱えてる傷の深さは並大抵じゃないんだろう。
わたしはあの子にいろいろ教えたよ。
わたしが知ってることで、
あの子が興味を持ちそうなことは何でも教えた。
もちろん、
いつでも人里に出て暮らしていけるよう村人の習いについても教えてた。
でもほんとのところ、
わたしはあの子に何を教えてやれたんだ?
教えられるわけがない。
いつだっていっとう大事なことは、
自分で気づくしかないんだ。
「……金太」
少し離れた場所で眠る観童丸の、
囁くような声が聞こえた。
「眠れないんだろ、金太」
観童丸をなおも、
隣で横になって目を閉じてる金太に話しかけた。
わたしは二人に聞こえるように軽くいびきをかいた。
金太の寝息は聞こえなかった。
息を殺しているんだ。
「あにい」
「なんだ」
「ずっと胸が痛かったんだ。環雷を――殺した時から」
「……知ってるよ」
「でも、もう胸は痛くなくなった」
「胸は? 他にどこか痛むのか」
「ああ。腹が痛い。……あの人に打たれたところが」
金太はそう言って、
駕籠女の細い肘が食い込んだ辺りを愛おしげにさすった。
「……金太。俺にはわかってたよ」
「何がだよ」
「おまえが獣みたいに森を駆け、猪を追ってるのを見てた時から。おまえはそのとんでもない迅さで、いつか必ずどこかへ行っちまうんだろうってことをさ。俺はとうとうおまえに追い付けなかったもんな」
金太は黙ってる。
小さく浅く、
ゆっくり息をしてた。
灯りを消した岩屋の中は真の闇だった。
目に入る物は何もなかった。
「なあ、あにい」
観童丸が寝返りを打って姿勢を変えるのが気配で分かった。
きっと金太の方を向いたんだろう。
「あの人は強かったよ」
「そうだったな」
「あんな技、見たこともなかった」
「ああ」
「悔しいなあ。悔しいよ。……でもわかったんだ。俺さ、命を懸けて戦ってる時が好きみたいだ。猪を追ってる時もそうだ。環雷と戦ってる時もそうだった。だんだん頭が真っ白になっていって。頭ぁ冷えてんのに、体はかっと熱くなって。そうなってる時が、俺は好きみたいなんだ。そうなるともう何も考えられねえ。自分の息遣いだって聞こえなくなる」
金太の声が、
上ずるように跳ねあがっていった。
「金太、おまえだって随分強くなったんだぜ。おまえは囲んで殴ろうなんて命知らずは、この辺りにもう一人だっていやしないんだ」
「そりゃ昔と比べたら体も大きくなったさ。でも、そんなんじゃまだだめだ。それじゃ変わらないんだ、きっと。俺の、運命ってのは」
「そうか。……じゃあ、あの駕籠女とかいうお侍様が言ったことも、あながち間違っちゃいないのかもな」
「ああ。俺は侍になる。そしてあにいが言ったように、偉い侍に俺を認めさせてみせる」
「金太。おまえが自分の手で環雷を殺すっていう辛い仕事をしていなかったら、あのお侍達はここへ来ていなかった。道を切り拓いたのはおまえ自身なんだぞ。忘れるなよ」
また観童丸が姿勢を変えたみたいだ。
そして深いため息をついた。
「もう寝ろよ。明日、早いんだろ」
「……ああ」
「あ、それからな。おかあのことは気にするな。俺はずっとここにいるからな」
「ありがとう、あにい」
「勘違いするな。俺は山の仕事が好きなんだ」
「わかってるよ」
「じゃあな。俺は見送らないぞ。もう餓鬼じゃないんだからな」
それきり観童丸は黙った。
すぐに大いびきをかきだした。
金太の寝息は、
とうとう聞こえないままだった。
朝まで、一度も。
朝陽が昇る前に、
金太は起き出した。
荷物なんて言えるほどの物を、
わたし達はそもそも持っちゃいない。
小刀と火打ち石。水筒。
干し肉。丸薬を少し。手拭い。
それらを、
金太は自分でなめした革でこしらえた袋に入れ、
口紐を絞めた。
そしていつもの服を着て、まさかりを担いだ。
金太は振り返ってわたしを見た。
わたしは微笑んで、
小さく頷いた。
金太も頷き返す。
「偉い侍なんてみんなぶん投げておいで。たかがおまえのことなんて、世の中誰も知りやしないんだ」
「ああ、ちょっと行ってくらあ。……帰って来る時にゃ、俺は侍だ」
そう言って金太はにやりと笑った。
「その時まで帰って来るんじゃないよ」
わたしも同じように笑いながら答えた。
「――ただね、金太。おまえには、家がある。家って言ってもま、こんな汚い岩屋だけどさ。……だからね、おまえは根無し草じゃないんだ」
「ああ」
「務めを終えて、もし、帰って来たいと思ったら……いつでも帰っておいで」
「……わかったよ」
金太は肩に担いだ俎を旗印みたいに振って見せた。
そのまま振り返らず、
岩屋を出て行った。
道を歩き出した金太を出迎えるみたいに、
真正面から金色の朝陽が昇った。
〈続く〉