【歴史小説】ラブリンマン -真説 坂田金太郎- 30-棺の女-その①
「待て」
黒き肌の民が桶の蓋に手をかけたのを見計らい、
シュタインは声をかけた。
ぎくり、
と体を跳ね上がらせて、
二人の黒き肌の民は後方に飛びのいた。
二人はシュタインを凝視する。
その黒い顔は赤と青の塗料でどぎつく化粧されていた。
両目は、
今にも飛び出さんばかりに見開かれている。
桶から離れている方の男はくちゃくちゃと咀嚼音を立てていた。
シュタインに次いで、
イーヴァが森の中から歩み出た。
シュタインがイーヴァの方に視線をやったわずかな隙をついて、
咀嚼していた方の男がシュタインに飛びかかった。
その右手には剣鉈が握られている。
シュタインは動じることなく、
その手首を掴むともう一方の手で男の首を掴んで体を引き寄せ、
流れるような動きで男の両足を払うとそのまま背中に担ぎ、
一気に地面に投げつけた。
男は背中から地面に叩きつけられた。
一連の動きを見て、
イーヴァが口笛を吹く。
「やめろ! 戦いに来たんじゃない!」
シュタインがこの国の言葉で男達を制した。
「何が違う! いきなり投げやがって‼」
投げつけられた男は、
シュタインの腕の下でもがいた。
「そっちが武器を持って向かってきたからだ。仕方なく投げた」
イーヴァが、
桶の前にいる男に語りかけるように話した。
「あんた達、この国の言葉がわかるんだな?」
桶の前にいる男は微動だにせず、
口だけを動かした。
「……少しならな。……おまえ達は何者だ? キンノは戦士だ、やすやすと投げさせるような男じゃないのに……」
やがて、
シュタインの下にいる男ももがくのをやめた。
シュタインは縛の手を緩め、男に手を貸して立たせた。
「驚かせてすまない。私はシュタイン。こっちの男はイーヴァだ」
助け起こされた男は腕に付いた砂埃を払うと、
シュタインとイーヴァをじろじろ見ながらもう一人の男の近くへ行った。
「……私はクム。こっちは、弟のキンノだ」
満月はすでに高く昇っていた。
四人の男達は出会った時の姿勢のまま、
時を忘れて語り合っていた。
シュタインとイーヴァはそれぞれに、
二人がどこの生まれか、
今までこの国でどう過ごして来たか、
何故この国へ来ることになったか、
そして二人がどういう経緯で出会ったか、
といった辺りをかいつまんで話した。
クムとキンノは何度も小刻みに頷き、
たまにイーヴァの口から出る難しい単語について質問した。
そしてその意味について納得し、
また話の先を促した。
シュタインの鮮やかな体術についても、
山民とともに過ごした体験を聞いてなるほど、
と大きく頷いた。
次にクムが話した。
キンノはまだクムほどうまくこの国の言葉で話せないようだった。
クムが話す内容も、
シュタインらのそれと大きくは変わらなかった。
罵られ、畏れられ、石を投げられ、追われ。
生きてゆくために山へ逃げ込み、
生きてゆくために人をおどした。
顔を極彩色で禍々しく塗り、
猪の皮を被り。
畏怖の目で見られているうちは安全だ、と。
そうして畏れられているうちに化け物扱いされ、
ここへ貢ぎ物をされるようになった。
ただ、
どういった経緯でこの国へ来ることになったか、
という点に関しては二人とも言葉を濁した。
きっと名誉に関わることなのだろう、
と思いシュタインもイーヴァもしつこくは聞かなかった。
「……しかし、シュタインにイーヴァ。あんた達はすごいな。シュタインは短い期間でここまでこの国に順応できているし、イーヴァに至ってはこの国の人間よりもこの国に詳しいんじゃないか」
「それに関しては本当に色々あったんだ。そうとしか言えない。ただ、私もイーヴァも山民と出会えたことが大きいんだと思う」
山民のことを思い出すと、
シュタインの胸は痛んだ。
出会っていなければ、
あんなに辛い思いはしなかった。
しかし出会っていなければ、
自分もイーヴァもとっくに野垂れ死んでいたかもしれない。
いや、間違いなく死んでいただろう。
「……クム。キンノ。私達四人は手を組んだ方がいいと思うんだ。私とイーヴァは、それを告げるために君達を探した。そして、ここへ来た」
「そうだ。所詮異人として畏れられるなら、数は多い方が絶対に良い。大人の男が四人いれば、力を合わせてできることは圧倒的に増えるはずだ」
クムは頷いた。
先ほど見せたシュタインの強さと、
イーヴァの知識。二人の経験。
クムもキンノも持っていないものだ。
出会ったばかりではあるが、
この国へ来てまだ日の浅いクム達に選ぶ余地はなかった。
「わかった。一緒に行動しよう。しかし目立たない方がいいと思う。数が増えると目立つぞ」
それは間違いない。
これから十分に気をつけねばならない、
とシュタインは思った。
四人は改めて、
それぞれ握手しあった。
「キンノ。さっきは投げてしまってすまなかった。これからよろしくな」
「いいんだよ。それよりあのすごい技、今度俺にも教えてくれよな」
「で……取り急ぎこれだな」
クムと握手したイーヴァが、
桶を見下ろす。
「さすがにもうここを離れた方がいいだろ。誰か来たら面倒だ。……クム、この桶の中身のことだが」
イーヴァはクムとキンノに、
都での噂について話した。
「仔を産ませる為、繁く人間の女を攫う。
攫わせない為には、人身御供としてこちらからうら若き女を差し出す。
そうせねば、箆棒は山より来りて里を荒らす。闇雲に女を攫う。」
それを聞いて、
クムとキンノは目をぱちくりした後、
声を上げて笑った。
イーヴァは深く頷いた。
「やっぱりでたらめなんだな」
「当たり前だ。この国の人間と私の顔を見比べてみろ。どうだ? 似ているか?」
さもありなん。
美的感覚が違い過ぎるのだ。
シュタインがゆきを美しいと感じたのは、
目鼻立ちのくっきりとしたゆきの顔が神聖ローマ帝国の女を彷彿させたからだった。
クムはひとしきり笑い、
つぎに顔をゆがめて怒った。
「自分と姿形が違えば獣と同じ扱いだ。私達は猿か? 私達にだって選ぶ権利はある。まったく、実に無知極まりない奴らだ。この国の人間こそ野蛮そのものだ」
「まったくだ。……つまり生贄として差し出されても、毎回帰してたってことだな?」
当然だ、
きちんと話して追っ払ってる、
と言ってクムは頷いた。
「……じゃあどうしてそんな噂が勝手に立つのかなぁ? 俺達は何もしてないのにな」
キンノが心底不思議でたまらない、
という顔をして言った。
クムが、
哀しげに首を振ってキンノに答える。
「そういう話にしておいた方が何かと都合がいいんだろう。人の心を一つに束ねやすいしな」
「皆。もう話してる暇はないぞ」
シュタインが話を遮った。
そして中央にある取っ手を掴み、
一気に蓋を取った。
四人が桶を覗き込む。
果たして、
中には若い女がいた。
目を閉じ震えながら、
大きく膨れた腹の前で手を合わせている。
そして蓋が外されたことがわかったのか、
女はこわごわと目を開けた。
一目見て、
シュタインはどきりとした。
すぐさま横に立つイーヴァの顔を見る。
イーヴァも動揺しているようだった。
女は、
今もシュタインの胸に住む面影の人によく似ていた。
〈続く〉