【歴史小説】ラブリンマン -真説 坂田金太郎- 13-血闘-その②
金太は軽く振りかぶり、
俎を力いっぱい振り下ろした。
(う、腕が引っ張られる⁉)
金太をもってしても、
その鋼の塊はまだ重すぎた。
狙った肩口から大きく外れ、
俎の一撃目は地面に吸い込まれた。
どおん、
という大きな音に驚いて、
環雷は金太を噛むことをやめて、
いったん飛びのいて離れた。
その音の凄さに一悟の張りつめ続けた精神はあっけなく崩壊し、
呆けた顔のまま気を失った。
金太は力を込めて、
地面から俎を引き抜く。
めりめりめり、と音がして、
地面の表が大きく引き剥がれた。
再び環雷が飛びかかってきた。
金太が両手を真一文字に振るも、
そのあまりの重さに思ってたほど迅さが乗らず、
またも金太の狙いとは外れた場所に俎は当たった。
今度は顎を狙ったつもりだったのだけれど、
俎の鋭い刃は環雷の右肩に食い込んだ。
環雷が悲鳴を上げる。
(なんだこりゃ⁉ 持ってんのと振るのとじゃあ全然違う。
まともに振れやしねえっ)
金太は焦った。
環雷は金太から少し距離を取り、
金太の目をまっすぐに睨みつけた。
その目には、
金太がよく知ってるかつての子熊の面影は少しもなかった。
男衆に傷つけられ、
体のあちこちからは血が流れてるものの、
環雷が弱ってる気配もまったくない。
金太は冷や汗をかいた。
「……まじぃぞ」
息も乱れてる。
落ち着かなきゃ駄目だ、
と金太は思った。
木を切るためにまさかりを振る時にだってコツはある。
ただやみくもに振ってたわけじゃない。
力任せに振ったって、
木はそうそう倒れちゃくれない。
環雷との相撲だってそうだ。
力じゃない何かを使って組み合ってたんだ。
それは理じゃない。
それを教えてくれたのは環雷だった。
(重いから力で振ろう、なんて考えじゃ駄目だ)
金太は環雷の目を見つめたままで、
体のあちこちから力を抜いた。
そして環雷と相撲を取る時にいつもそうしてたみたいに、
どうどうと音を立てて流れる川を想像した。
金太の頭の中を流れる川は、
やがてその川幅をどんどん狭めていく。
いつしか水の流れは穏やかになり、
川幅は人ひとりがやっと跨げるほどになった。
環雷はいつの間にか唸るのをやめてた。
金太の息も整った。
「環雷。こっからだぞ」
風が木々を揺らす音すらも、
金太の耳には入らなかった。
ぶつかり合い、打ち、はらう。
切りつけ、避けられ、倒れる。
立ち上がり、距離を取り、引き下がる。
しばし間を置く。にらみ合う。
前に出て、ぶつかり、離れる。
そしてまたぶつかり合い、
打ち、はらう。
延々と続く。
もう何度繰り返したかわからない。
金太はまたも、
肩で荒く息をしてた。
金太はもうずいぶん前から、
重いものを手に持って振る、
じゃあなく、
その重さの先までが自分の腕である、
ってふうに思うようにしてた。
そう切り替えてから、
金太はだんだんと俎の重さを自分の体の重さの一部みたいに扱えはじめてた。
とはいえ、
もう金太の腕に残された力はわずかだった。
体中に環雷の爪痕が残ってる。
血を多く流してた。
そしてそれは環雷も同じくだった。
もはやそれは、
人間と熊との戦いじゃなかった。
どう斬るか。どう噛むか。
どうかいくぐるか。どう踏み込むか。
どう跳ぶか。どうしゃがむか。
どう躱すか。
どう抉るか。
どう斃すか。
もっと強く。もっと硬く。
もっとやわらかく。もっと高く。
もっと低く。
もっと迅く。
もっと迅く。
二匹の獣の内を支配してたのは、
そんな考えだった。
――いや。
考えなんて呼べるほどのもんでもないんだろう。
それはまるで、
閃き駆け抜ける稲光だ。
二匹の獣は、
内を駆ける稲光の美しさに魅せられ、
戦いがもたらす悦びに打ち震わされてたんだ。
刹那。
今まさに金太に覆いかぶさろうと、
後ろ足に力を入れて立ち上がった環雷が急にがくん、
と体勢を崩した。
間がずれて、
金太の放った俎の一閃が狙いから外れ、
岩舞台の端を殴った。
岩の欠片がいくつも飛ぶ。
飛んだ岩の欠片のうち、
殊更に尖ったその一つが、
体勢を崩した環雷の右目に深々と突き刺さった。
環雷の悲鳴が夜気をつんざく。
悲鳴には金太の鬨の声が被さった。
わずかな時の間だったけれど視界を失った環雷は、
己の懐の中で金太の姿を視止めた。
金太は膝を折り、
低い構えで足に力を溜めてた。
それを、一気に放つ。
地面を蹴って伸びあがった。
熊の命を取るために狙うべき場所は三つだ。
一つ目は眉間。
二つ目は、左胸の三本目の肋骨の下。
そのすぐ下に心臓があるんだ。
そして三つ目。
両手で持った俎の刃を、
環雷の首の下、
がたがたと折れ曲がってる月の輪に深々と突き立てた。
(あにい。あいつの首の環さ、まるで雷みたいだな)
刹那、
自分の言葉が頭の中で閃き、
消えた。
環雷は悲鳴を上げられなかった。
出そうにも、
穿たれた首の溝から空気が漏れて声にならなかったんだ。
金太は体中に力を入れ、
踏ん張って、
さらに深く刃を刺しこんでいった。
さすがに刃を押し込むだけでは太い首の骨を折ることはできなかったけれど、
その骨の半分がたに刃を喰い込ませることはできたみたいだった。
金太は環雷の熱い血を体いっぱいに浴びた。
〈続く〉