【歴史小説】ラブリンマン -真説 坂田金太郎- 9-まさかり-その①
あれからずっと、
金太はたたら場には行かなかった。
あの綺麗な、
鉄を打ってく作業は見たかったけれども、
どうにも環雷のことが心に引っかかって、
心おきなく楽しめないだろうと思ってたんだ。
金太は何かを吹っ切るみたいに、
狩りに没頭した。
観童丸と一緒に山を駆け、
くたくたになるまで獣を追った。
そうして岩屋に帰ってくると、
剣の修行のつもりなのか、
腕が上がらなくなるまでまさかりを振った。
汗みずくになるとそれを止めて、
晩飯を食べてすぐに寝た。
雨の日は、
ひたすら何かをこしらえてたよ。
古い綿から糸をつむいだり。
革を細く割いて、
革を縫うための紐を作ったり。
観童丸と二人で稗を脱穀したり。
干し肉の出来具合を見たり。
ともし火に使う松の木を割ったり、
麻の実をすりおろしたり。
岩屋に籠っていても、
することはいくらでもあったからね。
わたし達三人で、
そういった仕事を分けて延々やってた。
やることがあらかた終わってぽっかりと手が空いてしまったら、
金太は横になって天井を見てた。
その目は鍾乳石から滴る水滴を見てるみたいでもあったけれど、
でも実は何も見てないようでもあった。
何日かあとのことだ。
その日も雨だった。
わたしは木綿で縫い物をしてて、
金太は狸の毛皮が腐ってしまわないよう丁寧に洗って裏側を漉いてた。
そこに、
くくり罠の様子を見に行ってた観童丸が帰ってきた。
「金太」
岩屋に入るなり、
観童丸は雨具の毛皮も取らずに金太に駆け寄った。
いつになく真面目くさった顔だった。
「落ち着いてよく聞けよ」
観童丸がのどを鳴らしてつばを呑んだ。
びしょ濡れだった。
「佐吉さんの家族が……あの、村に住む嫁さんと子供だ。……二人が、人喰い熊にやられた」
金太は無言で、
観童丸の目をまっすぐに見つめたまま、
手にしてた狸の毛皮を地面にそっと置いた。
わたしも縫い物から手を離した。
「観童、確かなのかい?」
観童丸は金太の目に気おされたように逸らし、
わたしを見て頷いた。
「ああ。たたら場で聞いた」
「この雨の中を、たたら場まで行ってたのかい」
「ああ。……行くつもりはなかったんだけどな。なんか今日は森の様子がおかしかったんだよ。雨が降ってるにしても、獣の気配はまったくないし。
そしたら、騒々しい男と女の声が、たたら場の方から聞こえてきたんだ」
観童丸は見た目が普通だから、
たたら場や里の人間とも変わらなく話してた。
あの山姥の童、
とせいぜい陰口を叩かれてたくらいだ。
だから時々、
こうしてたたら場や里に降りては世の話を聞き集めてた。
「……隣に住む男は、もの凄まじい悲鳴で夜中に飛び起きたそうだ。慌てて家の外に飛び出そうとするのを、嫁さんが必死で止めたんだそうだ。あれはもう駄目だ。駄目な悲鳴だ、ってな。
でも放っておくわけにもいかない。嫁さんの手を振り払って外へ出ると、もう何人かの男が集まってた。鋤とか鍬を持ってな。……それで、その輪の中心には」
見たこともないようなばかでかい熊が、
月に照らされてた。
口には、
佐吉の三つになる息子が咥えられてた。
戸口の辺りはどこもかしこもばらばらに砕けてて、
無いも同じだった。
家の内から外にまで、
吐き気を催すくらい濃い血の匂いが漂ってた。
あまりの恐ろしさに腰が引けながらも、
男衆は大声を出しながら手にした農具で熊を追い立てた。
熊はさして気にするふうでもなく、
人形みたいな子供を咥えたままで悠々と山に帰っていった。
子供はもう動いてなかった。
家の中にも動くものはなかった。
辺り一面血の海だった。
佐吉の女房も血まみれで、
とっくに人間の形をしてなかった。
そしてその夜、
佐吉は運よくたたら場にいたそうだ。
徹夜で作業を手伝ってたんだ。
「……金太。その熊はな」
「…………」
金太は目を伏せた。
それ以上聞きたくなかった。
「その熊の口はな、端んとこがめくれ上がってたそうだ」
知らず知らずに、
金太の息は荒くなってた。
金太は上着の胸の所をぎゅっと握りしめた。
ややあって、
金太が顔を上げると、
観童丸はじっと金太を見返してた。
「……それで、いま佐吉っつあんは」
「わからん。たたら場にはいなかったよ。きっと村に戻ってるんだろう」
刹那、金太は外に駆け出してた。
「おい金太! まだ話してないことが!」
「待ちな、金太!」
わたし達の声は届かなかった。
金太が駆ける足音も、
すぐに雨の音にかき消されていった。
〈続く〉