【歴史小説】ラブリンマン -真説 坂田金太郎- 最終話-海が黄金色に染まる時-その①
酒宴は頼光の屋敷の広間を使って行われた。
貴族は何かっていうと飲んだり騒いだりする。
わたしだって、
腐っても豪族の娘だ。
昔はそういった酒宴にわけもなく何度も連れてかれたもんだよ。
土蜘蛛一掃の決起のための宴だったから、
主役は綱、貞光、駕籠女、
金太の四人だったけど、
主催者である頼光と宴席は並べられてなかった。
しかし四人はそんなこと意に介さない。
こと金太に関しては、
もうそれどころじゃなかった。
山育ちの金太からすれば新鮮そのものだ。
何しろ初めて尽くしだからね。
都も貴族も初めて、
屋敷も初めて、
もちろん酒宴だって。
夜だってのに、
昼間みたいに明るい大きな広間。
見たこともない山海珍味。
飲みきれないほどの酒。
打ち鳴らされる楽器。
歌い踊る美しい女達。
余興。囃し立てる声。
笑い声。
その騒々しさと華々しさに終始、
目をぱちくりしてたよ。
しかし何よりも、
宴に参列してる何十人もの男達。
頼光とゆかりのある侍や貴族や、
いずれにしても名のある男達だ。
彼らが一様に、
口を揃えて金太ら四人の武勲を褒めたたえるのが金太はこそばゆく、
とても嬉しかった。
そして、
いささか奇妙な気持ちだった。
金太よりうんと年上の男が次から次へと自分のそばに来ては、
口々に金太を持ち上げるんだ。
……十五歳でなんと立派な働きか。
将来が楽しみだ。
童とは思えない素晴らしい働きだ。
もはやれっきとした侍、
いや頼光殿の片腕と言ってもよいのではないか?
素晴らしい体躯だ、
綱殿にもひけをとらんじゃないか。
おお、よくよく見れば大変な美丈夫。
うむ、端正な顔をしておる。
娘の婿に欲しいくらいだ。
頼光殿より、わしのもとで働かんか?
生まれはどこだ? 両親はどこにいる?
しかしこの髪の色はどうなんだ、
これではどうにも……。
いやいやこんなものは染めてしまえばよい。
さっそく明日にでも黒く染め変えてはどうか。
いやいやこの髪色もまた趣き深いものではないか。
まあ飲め。まあ食え――。
飲みなれない酒に酔っぱらい、
金太の頭はくらくらした。
申し訳ありません、
どうも酒に弱いらしく……と言いながら金太は席を立ち、
ふらつく足で広間を出た。
後ろでは、
どうにも田舎育ちゆえに不作法で……まだまだこういった席にも慣れておらず……という、
場を取り繕う駕籠女の声が聞こえた。
金太はそのまま廊を横切り、
階段を下りて、広い庭へ出た。
そして真っ白な玉砂利の上に、
金太は直接腰を下ろした。
大きくため息をつき、
夜空を見上げる。
立派な下弦の月が出てた。
空気が澄んでるからか、
星も多く見えた。
それでも、
山で見るよりはずいぶん少なく感ぜられた。
「――感傷に浸っている時じゃないぞ。席を立つとは」
振り向かなくても声の主はわかった。
でも金太は座ったままで体の向きを変え、
横に座った駕籠女に一礼した。
「……先ほどはお力添え、ありがとうございました」
それを聞いて、
駕籠女はほんの少し目を見開いた。
「ほお、いつの間にそんな言葉を覚えた?」
駕籠女は水筒を金太に手渡した。
「飲めよ。顔が赤いぞ」
「酒ですか」
「莫迦。水だよ」
金太は筒を開け、
水を飲んだ。
冷えた水は、
酒で無駄に火照った体に染みわたっていった。
「美味いです」
「まったく。我々がここに座っていることだって、本当は駄目なんだぞ? 頼光様は寛大だし、まあ今夜は酒の席だから大目に見てはもらえるだろうが」
「そうなんですか」
「そうなんだよ。――で、傷はもういいのか」
金太はクムの刀がめりこんだ肩と、
キンノに刺された腹を撫でた。
「腸は斬られていないので。まあ痛むは痛みますが」
「頑丈なやつだな。……口の方は」
駕籠女は空を見つめ、
つとめてぶっきらぼうに言った。
「口?」
「だから――わたしがあの時ぶっ叩いた傷だよ。血が出てたろう」
今度は頬に手を当てた。
舌で頬の裏を探ってみる。
奥歯で切った傷はまだ癒えてなかった。
「ああ、こんなのは。山でもしょっちゅう怪我してましたから」
「……すまなかった」
「いえ。大事ありません」
金太は面食らった。
駕籠女に謝られるなんて思ってもみなかったんだ。
自分だって、
内からあふれ出た言葉だったとはいえ、
ひどいことを言ったわけだからね。
「私の方こそ。失礼を申しました」
「いいさ、おまえが言ったことは間違ってないよ。駕籠女の心に信念なんてなかった。卜部季武が取るべき行動を取っただけさ」
侍とはまことに身が重いな、
と言って、
駕籠女は金太から受け取った水筒に口をつけた。
金太はそれを見るともなく見て、
また夜空に目をやった。
「環雷に――止めを刺した時もそうでした。大きな生き物の、体から出てすぐの血とはあんなに熱いのかと。驚きました」
「生そのものの熱さだな。……わたしだってまだ慣れないよ。もともと侍でもなんでもないんだ。人を殺すことになんか、ずっと慣れるものかよ」
「駕籠女殿もですか」
「あったりまえだよ」
金太はさっきの酒宴での、
自分を誉めそやす貴族や侍の顔を思い出した。
次に、
幼かった自分をまざりと呼んで肥やしをぶっかけた悪童達のことを考えた。
そして拳を握り、
玉砂利を何度も軽く殴った。
その度に砂利はかさり、
かさりと微かな音を立てる。
駕籠女には、
金太の気持ちが痛いほどわかった。
「おまえ、れっきとした侍って言われてたぞ。良かったな」
「はい。でも……時に、わからなくなります。一体何が正しくて、一体何が……」
「わたしもだ。……だがな、金太。正しさとは何だ? 悪とは何だ? そんな曖昧模糊としたものについて、今は考えるべき時ではないよ。前だけを向いているべきだ」
駕籠女は水筒に栓をして玉砂利の上に寝かせ、
右手で着物の左の裾をまくった。
そこにはあるはずの左腕がない。
肘のすぐ上あたりの皮膚が強く引っ張られ、
覆うように縫い閉じられて切断面は隠れてた。
金太は瞬きもせずに、
その傷跡を凝視した。
駕籠女は少し恥ずかしげに目を伏せ、
やがて上目遣いに金太を見た。
「これがわたしの人生だ。これによって道が決められた。様々なことが、この腕によって決められていったのさ。ここにもし腕があり、まともに動いてさえいれば、母が死ぬこともなかったかもしれないんだ。この左腕は、今もわたしを殴る」
金太は黙り、
駕籠女の言葉を待った。
でも駕籠女が口を開かないんで、
聞きたいことを聞いた。
「元あった左腕を一体どうやって切断したのですか?」
「頼光様にお願いして、太刀で落として頂いたんだよ。――五年ほど前、山賊に左腕を大きく抉られて血が止まらなくなった。自分で傷を縛ったんだが、その縛り方が良くなかったんだな。傷が膿んで高熱が出た。このままじゃ体も駄目になる、と綱様に言われたんだ。……どうせ垂れ下がったまま動かない腕だ。いっそ無い方がいい。そう思ったんだよ」
金太の胸は締めつけられた。
――なんてことだ。
腕や脚を失った者は寿命が短い。
きっと駕籠女はこの先永く生きられない。
……それなのに。
「だがな。ここに腕があれば、わたしは今ここにこうしていないだろう。わたしは腕を失くし、道を切り拓いたんだ。おまえのまさかりと一緒さ」
駕籠女が微笑んだ。
金太も少し微笑み、
黙ったままで続く言葉を待った。
「なあ、金太。戦う理由なんて誰だってわからないのさ。誰もが戦いの中で、その答えを見失ってゆく。戦いが激しければ激しいほどな。――きっと、誰かのために、何かのためになどという大義名分なんて本当は必要ない。金太。おまえは、おまえのために戦えばいいんだよ」
「……私のため?」
「そうだ。おまえ自身を、坂田金太郎という人間を手に入れるための戦いだ」
そこまで喋ると、
駕籠女は一息ついてまた水を飲んだ。
金太はしばらく駕籠女を見てた。
と、駕籠女と目が合った。
駕籠女は少し顔を赤くして、
なんだよ、
何あほづらしてじろじろ見てるんだよっ、
と言った。
金太は少し微笑み、
いえ別に何も。
ありがとうございます、
と言ってまた空を見た。
下弦の月はより高く昇ってた。
白く輝くその巨大な弓から放たれる矢ならば、
天空を切り裂いてどこまでも高く、
ひょっとしたら星の彼方までも飛んでゆけるのかもしれない、
と金太は思った。
「駕籠女殿」
「……なんだよ」
「駕籠女殿は何故矢を射るのですか」
ややあって、
駕籠女はきっぱりと答えた。
「殺すためじゃない。信念をつらぬくために射るのさ」
〈続く〉