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【歴史小説】ラブリンマン -真説 坂田金太郎- 13-血闘-その③
最期の力を振り絞って一声嘶くと、
環雷は腕を払い、
懐にいる金太を横薙ぎに吹っ飛ばした。
金太はもんどりうって転がり、
すぐに起き上がる。
その手には俎は握られてなかった。
環雷の首に深く突き刺さったままだった。
環雷は動かなかった。
風も止んでる。
聞こえるのは金太と環雷の荒い息の音だけ。
月の光が、
うるさいくらいに環雷を照らしてた。
そのまま音もなく、
環雷はぐにゃりと横倒しになった。
体中から力が抜けたみたいだった。
それを見た金太の膝の力も抜け、
その場にぺたりと座り込んでしまった。
急に強く吹いた風が草原を鳴らし、
その音で金太は目覚めた。
はっとして周りを見回す。
何も変わったところはない。
ごく短い間、気を失ってたみたいだった。
金太は深くため息をついた。
両手と両足に力を入れ、
何とか立ち上がる。
手も足も痺れて、
まるっきり力が入らなかった。
体が自分のもんじゃないみたいに重かった。
もう戦えない。
まだ環雷に力が残ってたならば、
自分は間違いなくやられる。
次の一撃を、
自分は避けることができないだろう。
金太はそう感じてた。
そばに立ち、
環雷を見下ろした。
荒い息をついてる。
俎はまだ環雷の首に突き刺さってた。
金太はかがみ、それを引き抜いた。
と、
あまりの重さについ取り落としてしまう。
金太の腕にはもう俎を持つ力も残されてなかったんだ。
首から重い鋼の塊が取り除かれたことで、
環雷の息は少しだけ楽そうになった。
身じろぎもできないまま環雷は、
岩の欠片で潰されていない方の目だけを動かし、
金太を見た。
(あそこで環雷が体勢を崩してなきゃ、俺はやられてたかもしれねえ)
いや、
きっとやられていたはずだ。
そう思い、
金太は環雷の後ろ足を見た。
右後ろ足に、
輪のようにぐるりと傷が一周してた。
見覚えのある傷だった。
その傷から血がたくさん出てた。
「……そうか。おまえ、これが痛くて」
やっぱり、
あの時のくくり罠の傷は深かったんだ。
金太は環雷のそばにしゃがみ込み、
首元の毛を優しく撫でた。
「……ごめんな。俺がもっときちんと傷を治してやってりゃあ。
そしたら……」
環雷はかりそめの狩人から逃げおおせていたかもしれない。
矢に傷つけられることもなかったのかもしれない。
そしたら、
環雷は狂っていなかったのかもしれない。
(金太。全部おまえが悪いんだよ)
どこかから声が聞こえた気がした。
環雷の顔を見る。
目を見開いたまま、
環雷はこと切れてた。
目ははや、
どろりとした灰色に濁り始めてる。
顔中血だらけで、
わらってるような口のめくれが、
金太の目に初めて恐ろしげに映った。
金太は環雷の濁った目を見つめ続けた。
しばし呆けてて、
後ろから近づいてきてる者にもすぐに気づけなかったんだ。
「……今の話、どういうことなんだ?」
いきなり背中から声をかけられ、
金太の体は跳ね上がった。
振り向くと、
そこには泥にまみれた汚い鎌を持った男が立ってた。
「……佐吉っつあん……」
佐吉はこの数日でげっそりとやつれてたけれど、
その目の底には力があった。
「なあ、金太。……今の話、一体どういうことだよ」
金太は呆然としてた。
どうして佐吉がここにいるのかもわからなかった。
人喰い熊を狩るため、
男衆に交じって追ってきたってことにも考えがゆかなかった。
「おまえ今、確かに俺がもっときちんと傷を治してやっていれば……って言ったな。
……それ、どういうことなんだよ……」
言うべきことを思いつかない。
やっと一言「佐吉っつあん」とだけ、
金太の口は動いた。
でも声にはならなかった。
「思った通りだ。やっぱり人喰いは、おまえの熊だったんだな。
あ、あの。あのど畜生のくそったれ熊は。おまえの熊だったんだなっ⁉」
「……佐吉っつあん、俺は……」
「おまえが育てたようなもんだよ。
……だってそうだろ、おまえが罠からそいつを助けてなかったら、そいつは人を食わなかった。そしたらそいつは化け物にならなかったんだ!」
「佐吉っつあん」
金太はごくり、とつばを呑んだ。
のどと口はからからだった。
「……違うんだよ」
「一体何が違うってんだ⁉」
佐吉は金太を怒鳴りつけた。
目には涙があふれていた。
「ええっ、言ってみろ金太! 何が違うんだ? 一体何が違うんだ? いったい……一体、何が……」
佐吉は嗚咽した。
持ってた鎌を取り落とし、
両手で顔を覆った。
また風が強く、
続けて吹き始めた。
嗚咽の狭間に佐吉が何事か呟いた。
けれど、
風が草原を揺らすざっ、ざっ、という音で金太の耳にはうまく届かなかった。
かろうじて聞き取れたのは、
「おまえもそいつと同じだよ」という言葉だった。
「……え。佐吉っつあん、いま何と言ったんだ?」
金太は佐吉のもとへ一歩踏み出した。
「近づくなっ‼」
佐吉はまた怒鳴った。
その剣幕に、金太の足は止まる。
佐吉は手負いの獣みたいな目で金太を睨みつけた。
「化け物め」
〈続く〉