【歴史小説】ラブリンマン -真説 坂田金太郎- 13-血闘-その①
迫り来た第一陣を、
環雷はその爪と牙と力でなぎ払った。
何が起こったのかもわからず死んだ者もいれば、
大怪我を負って倒れ伏した者もいた。
しかし男どもはひるまなかった。
大の男が大切なものを守るために、
また大切なものを奪った奴を斃すために集まったんだってこと。
さらに、手にしたかりそめの武器の光と松明の光が、
男衆の気持ちをぼんやりとした膜のようなもので覆ってた。
まるで麻の葉を吸った時みたいに、
男衆の心は大儀に酔って痺れてたんだ。
しかしその痺れも酔いも、
環雷の強大すぎる力を前にやがて醒めてゆく。
四人がなぎ倒され、
その爪で引き裂かれると、
男衆の勢いは失われた。
失われつつも、
雄叫びを上げて気力を振るい起し、
わずかな隙をついて環雷の背中に平鍬の刃先を叩きこんだ強者もいた。
環雷がもの凄い悲鳴を上げる。
憎き人喰いの悲鳴に鼓舞されて、
手にした柄付きの鎌が、
鋤が続いてその背に振り下ろされた。
何本かは肉に食い込み、
何本かは固い毛の上を滑り落ちて地面を叩いた。
苦悶の声を上げ、
環雷は駆けながら爪を振るった。
先頭にいた男の首が、
人形のそれのように簡単にもげて宙を飛ぶ。
辺りには、
人間と獣の血と肉と悲鳴と怒号が入り混じった。
そんな阿鼻叫喚の地獄を、
大木の陰からこっそり見てる一人の子供がいた。
子供といっても十五歳くらいか。
あの、
かつて金太を囲んで虐めてたうちの一人。
たしか一悟とかいったね。
ぶるぶる震えながら成り行きを見てたそいつは、
親からしっかり釘を刺されてたにも関わらずくだらない好奇心に負けてこの場に顔を出したことをすぐに後悔した。
怒りに燃えた環雷と、
ばちっと目が合ったのさ。
その刹那、
一悟は大量に小便を漏らし、
ひきつけを起こしたみたいにのどをひくっと痙攣させた。
と、それを合図とばかりに環雷が男衆の群れの中に走り込んだ。
急に向きを変えた環雷に驚き、
男衆のかたまりはわっと二つに割れる。
環雷が突進した先には一悟がいた。
「ぎゃあああああっ」
あまりの恐怖に一悟が獣みたいな声を上げた。
環雷は一悟の叫び声など気にも留めず、
その腰帯を咥えると、
一悟を顎の下に軽々とぶら下げた。
男衆は泡を喰った。
「なっなんだ⁉ ――なんで餓鬼がここにいる⁉」
「茂作んとこの餓鬼だ。ついて来やがったんだ‼」
環雷は大きく吠えながら、
そばの大木に体をぶつける。
どしん、と腹に堪える嫌な音がして、
環雷の体のあちこちに刺さってた刃物はいちどきに抜け落ちた。
そして周りの男衆を睨み回すと、
一悟を咥えたまま山の斜面を一気に駆け上がった。
「逃がすな、追うぞ!」
そういったものの、
急な斜面を降りるならまだしも、
駆け上がる四つ足には人間じゃ絶対に追いつけない。
まして男衆は戦いに疲れ切ってた。
環雷との距離はどんどん開いてく。
「ちっくしょう。あいつ、まだ全然参ってやがらねえっ」
「餓鬼が喰われちまうぞ!」
「尾根を回り込もう。挟み撃ちにすればまだ……」
しかし、
もうほとんど環雷の姿は見えなくなってた。
傷を負ってるとは思えない迅さだった。
月を隠した雨雲も、
わずかに環雷の味方をしてたんだ。
追ってくる気配を、
環雷は感じなかった。
歩調を落として、
それでも無意識に人間が歩きにくそうな藪をかき分け、
苔むした岩場を跳びながら進んだ。
振り返ると、松明はずいぶん遠い。
完全に引き離したことがわかると、
環雷の歩みはさらに遅くなった。
やがて獣道を抜け、
竹がおい茂る緩やかな藪も抜けると、
急に開けた場所に出た。
環雷は咥えたままだった一悟を乱暴に地面に落とした。
一悟はとうに腰を抜かしてて、
その場にへたり込む。
叫びすぎてのどが涸れ、
ひゅうひゅうって音しか出せなくなってた。
顔色は恐怖から異様な緑色になって、
口からは白い泡が零れてる。
小便だけじゃなく、糞も漏らしてた。
そこは家が十軒くらいなら楽に建ってしまいそうなくらい広かった。
真ん中に、
すっぱりと平らに切り取ったみたいな大きな岩。
幅が一段くらいはありそうな、
舞台みたいな岩だ。
岩の前に影が立ってる。
細長い影が。
影は環雷をじっと見て、
薄っすら口を開く。
「……俺、おまえが好きだ。村の奴らは嫌いだ。
だから……だから考えたけど、わかんなかったよ。俺達とおまえ、どっちが正しいのか。俺、頭悪いからさ。――でも」
環雷が低く唸った。
刹那、
夜風が強く吹いて黒い雲を散らした。
天頂の月が、
岩の前で立つ影の腕に、
顔に光を投げかける。
その顔を見て一悟は仰天した。
「き――金太?」
一悟ががさがさにひび割れた声で問いかける。
その声に応えるように、
鋼の塊は浴びせられた月光を禍々しく跳ね返した。
「これ以上おまえに人を殺させねえ……!」
環雷は一声吠え、金太に飛びかかった。
〈続く〉