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【歴史小説】ラブリンマン -真説 坂田金太郎- 23-その瞳に映るもの-その①

シュタインが山民の隠れ里を出てから丸一週間が経とうとしていた。

一人っきりだった。
大きな朽ち木の洞の前に座り込み、
小さな焚火で干し肉を炙っていた。
炙りながら、
水筒に入っている水を一口飲んだ。
そして少し口の中に残った水を、
炙っている干し肉に吹きかけてその表面を湿らせた。
こうするとやわらかく焼き上がる。

水場はこの洞のすぐ近くにあることを知っていた。
綺麗な湧水だ。
だから、
シュタインはもう一週間もこの場所から動いていないものの、
水の心配はほとんどしていなかった。
むしろ持たされた食糧の方が心細くなってきている。
今のシュタインの能力なら一人で狩りをしても、
食糧となる兎程度なら十分に捕まえられるはずだった。
といって食べられるものがまったく無くなってしまわない限り、
狩りなどとてもする気にはなれなかった。
どうせ食欲もない。
白奴火からあんな言葉を浴びせられては。

この大きな洞のある木。
ここからだと隠れ里がよく見える。
ここも白奴火から教えてもらった、
里の人間だけが知る秘密の場所だった。
 

その日は朝から妙に里がざわついていた。
あちこちからぼそぼそと小さく話す声が聞こえる。
どれも小声で、
かつ早口だったので、
今では簡単な会話なら交わせるほど言葉も覚えていたシュタインも理解ができなかったのだ。
ただ、
その言葉の端々にはイーヴァの名が混じっていることはわかった。

良い気分ではなかった。
イーヴァが里を出て行ってずいぶん経つ。
里を裏切るような形で、
里の人から恨まれながら出て行ったイーヴァだったが、
いまだ里の人の話にはこの名が出るのだろうか。
それとも、
イーヴァに関する何か新しい話題でも出ているのだろうか。

「シュタイン」

呼び止められて振り返ると、
白奴火がいた。
いつも険しい顔をしている白奴火だったが、
その日は殊更、
顔に緊張の色が浮いているように見えた。

「話がある。少しいいか」

シュタインは曖昧に頷いた。
そして無言のまま白奴火について歩き、
白奴火の家に上がった。
白奴火の家に入るのは初めてだった。

「ここなら邪魔も入らん。一人者だから何のもてなしもできないが」

白奴火は板戸を閉めきり、
囲炉裏の前に腰を下ろした。
家内は薄暗い。

『これでいい。見えるか』

白奴火が手話を繰った。
見える、
とシュタインは手話で応じる。

『ではこちらで話そう。聞き耳を立てられたくない話だ』
『何があったんだ。イーヴァのことか』

白奴火は頷いた。

『都に出している物見が今朝帰った。その者の話だ。今 ある山賊団が都を騒がせているらしい。その山賊の特徴なのだが どう考えてもそいつらは山民だ。恐らく首領はイーヴァ。そしてイーヴァとともに出て行った六人だ』

シュタインは一瞬眩暈を覚えた。
鼓動が速くなり、
息が乱れた。
混乱する頭で何とか考え、
ようやく手話を繰った。

『確かなのか?』
『その特徴を鑑みると 可能性は高い。山賊団は七人いるらしい。数も合う』
『特徴って?』

白奴火は顎に手をやって視線を泳がせ、
少し考えてまた手話を繰った。

『森の中を獣のように駆けるのだ。神出鬼没で いつどこから現れるかわからない。土の中から急に現れたりもするそうだ』
『七人全員が?』
『そうだ。そして一刀のもと 旅人の命を奪う。すべてが急所を一突きだ。何人もやられている。もはや 山民の者と考える方が自然だろう』

シュタインは頭に手をやった。
その目で見るまでは信じられなかった。

――あのこころざしの高いイーヴァが?
帝のやり方に異を唱えながらも、
この国のこと、
この里のこと、
そして虐げられた民のことを考えて出て行ったイーヴァが何故山賊なんかに。
呆然としているシュタインを見て、
白奴火は手話を繰った。

『あいつは帝のやり方が気にくわなった』

シュタインはどきりとした。
自分の考えが見透かされているように思えた。

『いくら理想が高かろうが 帝のやり方に異を唱えようが しょせん奴は異人だ。頭は良いが その異人が首領になったところで たった七人で一体何ほどのこともできるものか。愚かな男だ』

異人。
またこの言葉が出た。
シュタインの胸中にはさざ波が立った。

『イーヴァは早々に 己の限界を知ったのだろう。普通の暮らしもできない。里にも戻れない。生きてゆくため 残された道は数少なかったのだ。おまえ シュタインから何か聞いていなかったか?』
『本当に知らないんだ。彼が出ていった後 ずいぶんあちこちから問い詰められたが』

白奴火は黙ってシュタインの目を見た。
ややあって、
また手話を繰る。

『おまえが思っているほど簡単な問題ではない。帝は怒っている。山賊退治を 山民の若衆に命じているんだ』

ぎゅっと胃が絞られるようだった。
気分が悪くなった。
が、白奴火は手話を止めない。

『無理もない。おまえ達の一族から出た狼藉者は おまえ達で処分せよということだ』
『責任を取れということか』

白奴火は頷いた。
そして、やや目の力を緩めた。

『この話はまだ里の者には正しく伝わっていない。噂が立っているだけだ。だが この話がおおやけになれば 必ず里の者はおまえにも責任を求めるだろう。そうなったら とても俺には皆を止められない。止めること自体が筋ではない』
『わかった。もう言わなくてもいい』

シュタインは白奴火から目を逸らし、
力なく囲炉裏の中の灰を睨んだままで手話を繰った。

『私はここを出て行くよ』

白奴火は深く頷き、
こうべを垂れる。

『おまえならわかってくれると思っていた。すまない』
『白奴火が謝ることじゃない。立場上当然の判断だ』

しばらく白奴火は黙っていた。
ややあって音もなく立ち上がり、
板戸の隙間から外の様子を伺った。

『物見よりの通達は 明日には公表される。そうなってからでは遅いかもしれん。シュタインには悪いが 今日の夜には発ってくれ』
『今日の夜だって?』

シュタインは驚いたが、
白奴火に冗談を言っている様子など微塵もない。

『誰にも挨拶できないのか』
『当然だ。誰にも告げずに立ち去るのだ。イーヴァの噂を聞きつけて 皆からの私刑を畏れて夜逃げしたということにしよう。そうすればおまえに追手は掛からない』

シュタインはため息をついた。
確かにそれが丸く収める手なのかもしれない。
白奴火が逃亡の手引きをしたことが皆に知れては、
もう山民同士の信頼関係など崩壊してしまうだろう。
外から来た者にこうして誰よりも早く内情を漏らしている時点で、
白奴火もすでにかなり危険な橋を渡っているのだ。
……だとしても。

『ゆきにだけ。お願いだ。ゆきにだけは最後の挨拶をさせてほしい』

白奴火は首を振った。

『駄目だ。たとえ誰であろうと 一人だって例外を出すわけにはいかない。自分の立場をよく考えるんだ。おまえはもはや 皆に不穏分子と呼ばれてもおかしくないんだぞ』
〈続く〉



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