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【歴史小説】ラブリンマン -真説 坂田金太郎- 17-イーヴァと山の民-その③

何日かが過ぎた。

ある夜、
シュタインはざわめきで目が覚めた。
この国に流れ着いてからずっと、
どこか緊張した状態で眠りについていた。
あの小屋にいた時でさえ、
心から安らいだことなど一度もなかった。
ほんの少しの物音でも起きていた。
それでも悲喜院に来てからは、
一人ではないという安心感からかよく眠れるようにはなっていたが、
その夜は様子が違った。

異変に気づき、
勝手に覚醒した。
妙な臭いが部屋の中に充満しつつある。

「シュタイン!」

突然木戸が開いて、イーヴァが顔を出した。

「起きてるか。火事だ! ここを出るぞ」
「火事⁉」

シュタインは飛び起きた。

「どうして火事が」
「考えるのはあとだ。とにかく荷物だけ持って出るんだ。急げ‼」

荷物といっても、
ここに来た時にはすでに水筒と小刀しか持っていなかった。
枕元にあったそれらをあたふたと身に着けた。

イーヴァの跡を追って廊下に出ると、
はや煙と熱に包まれた。
悲鳴と、
何かを指示するような声が飛び交っている。

「シュタイン、こっちだ。正面はもう火に包まれている」

イーヴァに誘導され、
シュタインは西向きの窓へ向かった。
他の避難民達もそちらへ流れている。
窓から庭へ飛び降り、
そこからさらに低い塀を越えて敷地の外へ出た。

二人が振り返ると、
本堂からはすでに火が大きく上がっていた。
山門の周囲にはたくさんの避難民や僧がいる。
そのほとんどは火の手からうまく逃げきれたようだった。
僧達が手分けして、
川から汲み置いている水で火を消そうとしていたが、
それはシュタインの目にはまったくの徒労と映った。
イーヴァは悔しそうに、
燃え続ける寺院を見ていた。

「イーヴァ、どうして火が出たんだ」
「禁忌を犯したんだろう。避難民が院の近くで火を焚いたんだ。この国の建物は木造だからな。あっという間に燃え広がったんだろう。だから火は禁物だったんだ」
「そんな……」

イーヴァはため息をついた。

「これで俺達は宿無しだ」
「焼き出された者達はどうなるんだ」

イーヴァはかぶりを振った。

「さあてね。どこの院も人でいっぱいだろうから、俺達を受け入れられる余裕はないだろう。皆それぞれに生きていくしかない。這ってでもまた自分の貧しい村に戻るか。都に行って浮浪者にでもなるか。もしくは連れだって山賊にでもなるか……」
「ひどすぎる。そんな選択肢しか残されていないなんて……」
「これも現実だ」

イーヴァが険しい目でシュタインを見た。
そのままイーヴァは顎に手をやり、
何事かを考えていた。

「まあ待て。手がないわけじゃない」
「……何か考えがあるのか?」
「ある」

イーヴァは大きく頷いた。

「俺のいた村へ行こう」
「村?」
「ああ。俺が十五歳でこの国へ流れ着いて、そこから十年以上住んでいた村だ」

シュタインは、
火に炙られて赤く照り光るイーヴァの顔をぼんやりと眺めた。

「初耳だな」

イーヴァは苦笑した。

「出会ってそう日も経っていない。言っていないことだってあるよ」

それは確かにそうかもしれない。
しかし、それにしては……。
シュタインの表情を見て、
イーヴァは口を開いた。

「……言っていなかったのには、実は理由がある。まずは、おまえが信用できる人間かどうかを確かめる必要があったんだ。俺が育った村……いや、場所と言った方が正しいかもしれないな。……その場所のことを、おまえに教えていいかどうかを考えていた」

シュタインはイーヴァが言っている意味をいまいち飲み込めなかった。
シュタインの相槌を待たず、
イーヴァは続けた。

「だが、おまえは信じるに値する人間のようだし、もう四の五の言っている状況でもなくなった。シュタイン。一緒に俺の育った場所へ行こう。ここからなら、そう遠くはない」

何故イーヴァは、
自分が育った村を場所と言い換えたのだろうか。
そこが少し気にかかった。
しかし他の避難民同様、
自分に選択肢がないことはシュタイン自身が最も理解していた。
 


イーヴァが育った場所。
二人でそこへ向かう道行き、
イーヴァはまだシュタインに話していなかったことを少しずつ語った。

十五歳の頃。
イーヴァは唐から渡った船に、
商人であった父親とともに乗っていた。
イーヴァはいずれ父の跡を継ぐつもりで、
早くから商人としての勉強を始めていた。
渡海も大いなる勉強のうちの一つだったのだ。

そして件の嵐に遭い、
父親とイーヴァ、
そして父親の助手の男二人は小舟に乗って何とか海岸に漂着した。
シュタインと違ったのは、
経験豊かな商人であるイーヴァの父親は唐の言葉と、
ほんの少しだけこの国の言葉が話せたということ。
そして小舟には、
少しだが水と食料が載せられていたことだった。
しかし漂着した海岸は岩場で、
近くに人家の一つもない。

まずは人に会うこと。
経路としては、
やはり港を目指して海岸線を選んだ。


越えねばならない山に踏み込んで、
最初の夜のことだった。
四人は峠近くに建っていた、
朽ちかけた社をねぐらに決めた。
そして夕食を終えた頃、
にわかに戸口が蹴破られ、
三人の盗賊が押し入ってきたという。
こちらも大人の男が三人いたとはいえ、
盗賊は刀で武装していた。
組み合いにはなったものの、
瞬く間に大人三人は斬り殺された。
イーヴァは、
大振りした盗賊の刀がえぐった板敷の破れ目から縁の下へ潜り込み、そこで息を殺した。

と、盗賊の一人が板敷を引っぺがして探し始める。
こちらが四人だったことを知っていたのだ。
そこでイーヴァは暗い縁の下を這って進み、
一歩足を踏み外したら真っ逆さま、
という崖下に身を潜めた。
そして盗賊が捜索を諦めて去った後もそこを動かず、
夜明けを待って社に戻った。

もちろん、
息のある者は一人もなかった。
父親を含め、
三人とも身ぐるみを剥がれていた。
荷物もすべて奪われている。
父親の目には涙が残っていた。


父が最期に思ったのはなんだったのか。
何が父の涙を誘ったのだろうか。
あまりにも無念だ。
父はこの国に希望を抱いて渡海してきたというのに。

イーヴァは父親の遺体に取りすがり泣いた。
泣き続けながら、
苦労して三人の遺体を社の近くに埋葬した。
さんざん泣いて泣き止んだのち、
不条理な暴力を行使した盗賊に対する怒りと、
あんな盗賊を生まざるを得なかったこの国に対する怒りがイーヴァの心に生まれた。

(あの盗賊ども。必ず見つけ出して殺してやる)

そんな誓いを立てるも、
わずか十五歳の異国人の少年に何ができるわけもない。
草の根を噛み、
木の蔓から水分を貰い、
イーヴァは何日も山をさすらった。
そうしていると、
またあの盗賊団が自分の前に現れるかもしれないと思ったのだ。

イーヴァの上着のポケットには、
狩人のものと思しき古い矢じりが入っていた。
木に突き刺さって放置されていたものを見つけたのだ。
盗賊を一人でも見つけたら、
刺し違えてでもその矢じりを胸に突き立ててやるつもりだった。


しかし、
盗賊団とは一向に出会わなかった。
そうこうしているうちにイーヴァは衰弱していった。
やがて歩けなくなり、
とうとう巨大な木の下に座り込んでしまった。
体はからからに乾き、
胃も腸も空っぽになっていた。

イーヴァは死を予感して、
目を閉じた。
もう故郷のことすら考えられない。
ただひたすらに悔しい、
という思いだけがイーヴァの頭の片隅にあった。
やがて、ふっと気を失いかけた。
その時だった。
 


話の途中でイーヴァは言葉を切った。
歩みを止め、
辺りに気を配りだした。
もう太陽は山の端に姿を隠そうとしている。

「……どうしたんだ、イーヴァ。何か――」

話しかけたシュタインを手で制した。
イーヴァの顔が緊張している。

「近づいて来ている」
「……何がだ。獣か」
「いや……人間だ」

突如、
金属がぶつかり合う音がやかましく聞こえた。
あっという間にシュタインとイーヴァは、
ぼろぼろの鎧と刀で武装した集団に囲まれた。

「……盗賊だっ!」

シュタインは青くなった。

「つけられてたのか?」
「いや違う。たまたま近くにいたんだろう。俺達が話しながら歩いてたから、聞きつけてこっそり忍び寄ったってとこか」

シュタインにはイーヴァの落ち着きが謎だった。
血錆びの浮いた刀をぎらつかせている盗賊は、
全部で八人いた。
めいめい手にした刀以上に、
男達の目はどんよりした光で鈍く輝いている。
シュタインとイーヴァは、
身に着けた物以外は何も持っていない。
しかし襲う気なのは間違いない。
身ぐるみを剥ぎ、
何の迷いもなく殺すのだろう。
イーヴァの父親を殺したように。

シュタインの足は震えた。
この盗賊達の目には、
きっと自分達の姿かたちの異様さなど映っていないのだろう。
彼らが見ているのは、
ただ獲物が持っている荷物。
それのみだ。
狩人が追いつめた猪の肉と皮を見ているように。
そこには純粋な殺意だけがあった。
混じりけのない殺意を向けられ、
シュタインは怖気づいた。

「大丈夫だ。安心しろ、シュタイン」

――安心しろだって?
一体何が大丈夫なんだ?
自分が持っているのは小刀だけだ。
こっちは二人っきり。
まさかこいつらに勝てる気でいるのか?

「こいつらは本当に突然現れたから、俺も気づかなかったんだ。つけてきていたわけじゃなかったからな」

――イーヴァ、一体何を言っているんだ?

「俺が近づいて来ていると言ったのは、こいつら盗賊のことじゃない」

頭上の木々が、かさりと音を立てたようだった。

「もうそろそろ里の縄張りだからな。現れる頃だろうとは思っていた」

また、
頭上の木々がさわさわと音を立てる。
何の音だろうとシュタインがそちらに視線をやった。
何もいない。
視線を下ろし、また盗賊達を見た。
どきりとした。
自分達を取り囲んでいる八人の盗賊のその真後ろに、
ぴたりと影が寄り添っていた。

影も八体。
暗くなってはいたが見間違いではない。
黒装束だった。
頭巾まで真っ黒だ。
まさに八人の影のようだった。

「……まったく、来るのが遅いぞ。危うく盗賊にやられるところだった」

イーヴァが影に向かって言った。
異変に気づいた盗賊の頭目らしき男が、
振り向こうとする一瞬前。
音もなく、
影の手にした短刀が盗賊の首を真一文字に切り裂いていた。
それとほぼ同時に、
八人全員が真後ろの影に首を切り裂かれていた。
無駄の一切ない見事な手際だった。
盗賊達は一言も発することなく、
どさどさ、
と音立てて折り重なった。

斃れた盗賊達の首に手を当て、
全員が死んでいることを確かめると、
黒装束達は素早い動きで一塊になり、
頭目と思しき男の前でひざまづいた。男は頭巾を取る。

「……やっぱり白奴火しらぬいだったか。久しぶりだな」

イーヴァが嬉しそうに言った。
白奴火と呼ばれた頭巾の男はむっつりとした表情でイーヴァを見た。

「戻ったか、イーヴァ。……で、どうだったんだ。諸国漫遊の旅とやらは」
「積もる話は山ほどだ。戻ってきた理由についても話したい」

この国の言葉がわからないシュタインは呆気にとられていた。
展開のすべてがシュタインの予想から大きく外れていた。
わけもわからずただ呆けているシュタインを、
白奴火がじろりと睨む。

「そっちの男は」
「これが戻ってきた理由の一つだ」
「信用できる男なのか」
「俺がここまで連れて来ているんだ。とにかく、まずは里で休ませてくれないか。もうじき陽が暮れる」

ふん、と白奴火が鼻を鳴らした。

「……白奴火様。盗賊どもの死体は如何しましょうか」

黒装束の一人が白奴火に尋ねた。

「川の下辺りに並べて晒しておけ。武器を以て我らの領域を侵すとこうなるのだ」

ぼんやりと黒装束を見ているシュタインに、
イーヴァが話しかけた。

「彼らが山の斜面に棲んでいるというただそれだけの理由で、農民や都の人間からは〈坂民さかたみ〉と呼ばれている。さんか、と略されたりもしているようだな。十三年前、父親の仇を討てずに死にかけていた俺は彼らに拾われ、命を救われたんだ」

イーヴァの言葉を白奴火が聞き咎め、吐き捨てるように言った。

「今その男にサンカと言ったろう。その呼び名を出すんじゃない。俺達を無暗と畏れている里の奴らが勝手につけた名前だ。その名を聞くと腹が立つ」

次いで、シュタインの目の奥を見つめるように告げた。

「俺達は山民やまたみだ」
〈続く〉




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