見出し画像

【歴史小説】ラブリンマン -真説 坂田金太郎- 2-洞穴より-

岩屋……といっても何もない洞穴なんだよ。

入り口は、
大人の男が背を屈めなきゃ入れないくらいの高さしかないけど、
一歩中へ進んだら天井は高く広がってる。
高さは大人の身長の倍はあるだろうね。
そこは四、五人が車座になれるくらいの広さがあって、
その先にもうひとつ小さな部屋がある。
ちょうどひょうたんを寝かせてるようなかたち、
と言ったら想像しやすいかもしれない。

そのあちこちに、
岩壁のくぼみの形を利用してともし火が据えてある。
夜になるとまったく光は差し込まない岩屋だったけど、
その油を使ったともし火のおかげで、
なんとか暮らしていくことはできたよ。
二つ目の部屋の先からは急に道が細くなって、
そのままずっと奥まで続いてる。
光だって届かないくらい深い。


そんな何もない山の中の岩屋で、
たった一人、わたし一人で挑んだ出産だ。
別段、卑しい生まれでも育ちでもない、
まっとうな人生を送るはずだったわたしが、
一体どうしてこんな暗い洞穴で、
それも一人で子を産まなきゃならないか。
それについては、
おいおい知っていってもらうことになるだろうさ。
今は先を話すよ。

子を産んだのはこれで二度目だったけど、
一度目とは比べ物にならない辛さだったね。
雨雲が厚く重く垂れこめると、
左足の付け根から腿の裏側にかけてしんしんと痛むのは、
その二度目の出産の時の影響なんだと思うよ。
……ただ、ほんの少しも後悔はしていない。
このたった一人の出産を、
わたしはとても誇らしい心持ちで挑んだんだ。
……何故かってそりゃ、
あのひとの子を生むことができるんだからね。
誇らしい心持ちにもなるさ。


わたしは、
血まみれで泣いてる赤ん坊を抱いて、
岩屋の奥に行った。
岩屋の奥には、
鍾乳石から滴る水が溜まってる場所が二つある。
そのうち一つの水場を飲むために使って、
もう一つは体を洗ったり野菜を洗ったりすることに使ってたんだ。

わたしは這うようにして水場にゆき、
綿みたいになってしまった腕に無理やり力を込めて、
赤ん坊をゆっくり水に浸した。
そうして、
冷たすぎない水を少しずつ体にかけてやりながら、
改めて赤ん坊をまじまじと見た。
そして三つのことに気がついたんだ。

一つ目は、その肌の色だ。
異様なほど、赤みが強かった。
生まれたばかりの赤ん坊は、
赤というよりも灰色がかった紫色に近いもんだ。
でもその子の肌の色は、
桜色をうんと濃くしたような色だった。
そんな色の赤ん坊を見るのは、わたしも初めてだった。
体を清めても、その不思議な色は変わらなかったよ。

もう一つ。その子は巨大だった。
普通の子の、二回りほどもあったんじゃないかな。
こんな大きなものが、
自分の狭い股の間から出て来たことに何より驚いたね。
でもまあ、大きいのも当然だ。
その子は十五つき以上、
お腹の中にいたんだからね。

もちろん苦しんだ分だけ、
例えようもない愛情は芽生えたよ。
でもその時の素直な感情は、なんて肌の色だ。
そしてなんて大きさだ。だったね。

最後の一つ。
赤ん坊の頭には、
すでにうっすらと髪の毛が生えていた。
その髪の毛の色が、
夕焼けを映す小波のような金色だったんだ。
 
そうそう。もう一つあったんだよ。
こぼれ落ちそうな瞳の色は、黒くなかった。
お日様が西の山際に落ち込んでゆく時間の空が見せる、
燃えるような赤と沈み込むような青の、
ちょうどはざまのような色だった。
あんな色を、一体何色と呼んだらいいんだろう。


わたしも顔を拭いながら水をがぶがぶ飲んだ。
そしてよろよろと立ち上がって、
取っておいた割ときれい目の木綿で赤ん坊をくるんだ。
そのまま、赤ん坊と一緒に岩屋の外へ出た。

夜空には大きな満月が出ていたよ。
月明かりが眩しいくらいで、近くの、
遠くの山々をくっきりと照らしてた。
……そう、赤ん坊の髪の毛の色に似た、
白みがかった黄金の月だった。
そんな月明かりの下でも、
赤ん坊の肌はやっぱり赤く見えた。
岩屋のともし火に照らされて赤く見えていたわけでもなかった。

やがて赤ん坊は月に気づいた。
女王みたいに夜の空を支配する、
その黄金の巨大な塊を、
やっぱり不思議そうにじっと見つめていたよ。
それから、
自分自身の視線に導かれるみたいに、
短い両手を空の黄金へと差し出そうとした。
……と、左手が木綿のふちに引っかかってうまく出せない。
何故か思い通りに動かない自分の左手に気づいて、
赤ん坊は月から左手に視線を移した。

そして左手が木綿のふちにかかってることを知るや、
そのまま左手を無理やりに上へと突き出し、
あっけなく木綿を引き裂いた。
着物に使うような分厚い木綿だ。

一瞬、呆気にとられた。
そしてすぐに、
その木綿がまだ新しいものだと思い込んでただけで、
実際は洗いを繰り返された代物であったのかもしれない、
と考えた。
その一方で、
この赤ん坊は将来とてつもない運命に翻弄されるのかもしれない、
という予感もあったんだ。

赤ん坊は、
ついに自分の思惑通り、両手を月に向けた。
月はさっきより、
いくぶん光を増していたようだ。
神秘的な光景だった。


とにかく、そうして生まれたんだ。
彷徨い続ける運命に抱かれて。
〈続く〉



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?