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【歴史小説】ラブリンマン -真説 坂田金太郎- 7-金太と佐吉-その②
わたしは金太にたたら場にはあまり行ってほしくなかった。
けど、
家族三人っきり山で一生を終えるわけにもいかない。
だから、
わたしや観童丸以外の人間に触れることだって本当は必要なんだ。
そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、
金太はわたしや観童丸に黙ってこっそりとたたら場に行ってたみたいだ。
金太はそこで、
佐吉という男に相撲を教えてた。
「……佐吉っつあん」
金太は藪の中から、
もっこで鉄石を担いで運んでた佐吉だけに聞こえる小声で呼び止めた。
声に気づいた佐吉は振り返り、
しばらくきょろきょろと辺りを窺った後、
藪の中に金太の顔を見つけて微笑んだ。
「……金太ぁ。しばらくだな」
これもまた小声だ。
二人の逢瀬は、
たたら場にいる佐吉の仲間達には内緒だった。
「すまねえ。おかあと観童がさ、あんまりここには行くなって……」
金太は手に持ったまさかりを佐吉に見せた。
「そうだろそうだろ。樵仕事のふりして来たんだな……あ、ちょっと待ってな。この鉄石だけ運び終えたら、もうすぐに昼飯だからさ。そこに居てくれよ。な」
「ああ。待ってるさ」
「あ、金太。あんまり頭を出すなよ。誰かに見つかっちゃうからな」
「わかってるよ」
にんまり笑うと、
佐吉は駆け足で鋼造職人の元へと向かった。
佐吉はたたら場でも一風変わった男だった。
歳は三十半ば。
たたら場で働いてる男らしい、
がっしりした体を持ってて、割合に色男だ。
佐吉が働くたたら場は小高い山のてっぺん辺りにある。
一つの村くらいの大きさだ。
そこを一本道で下った所にある集落には、
佐吉の女房と三つになる息子が住んでた。
いったん女衆がたたらを踏み始めると、
それは何昼夜にもわたって続くから、
そうなると佐吉はやむなくたたら場に泊まり込み、
女房と息子のいる家を何日も空けることになった。
それが寂しいかと言うと、
もちろん寂しいには違いないけれど、
この仕事が好きだから耐えることができるそうだ。
しかし好きだからと言っても、
佐吉はただの手子だもんでさほど大事な仕事を与えられてるわけじゃない。
せいぜい重い荷を運ぶくらいのもんだ。
それでもこの仕事が楽しいと言ってしまう辺りが、
この男の一風変わってるゆえんだ。
佐吉は、
自分が鉄造りに直接関われてるわけではなくとも、
こんなふうに物がどんどん生まれてる所が何とも言えず好きなんだ。
そんな佐吉だから、金太とも馬が合ったんだろう。
何度もこっそりとたたら場を見に来てた金太を見つけ、
佐吉から声を掛けた。
おまえも鉄が好きなのかい? と。
佐吉はその日も同じように、
もっこで鉄石を運んでた。
繁みの中から、
もくもくと煙が上がる煙突をそっと眺めてた金太は、
突然声を掛けられて驚いた。
そしてあわてて逃げだそうと背中を向けた金太を、
佐吉は呼び止めたんだ。
「おいおい、何も逃げることはないだろ。俺が怖いのかい?」
金太は大急ぎで、
藪にあった大きな葉っぱを使って金の髪を隠しながら、
恐る恐る佐吉を見た。
佐吉は金太を見て、朗らかに笑ってる。
「……あんたこそ。俺が怖くねえのかい」
青く光る目で、金太は佐吉を見つめた。
「うん?」
佐吉は金太をじろじろと見た。
「ははあ。聞いたことあるぞ。さてはおまえだな。この山の奥に、金の髪と赤い肌を持った鬼みたいな童がいるって噂の主は」
「俺は鬼じゃねえ」
金太は目に力を込めた。
それを見て、佐吉は慌てて言った。
「ごめんな。そういう噂を聞いたってだけだ。その噂の主を初めて見て、ちょっと珍しかっただけだ。悪かった。俺はおまえのこと、全然怖くなんてないんだよ」
佐吉はばつが悪そうに頭をばりばり掻いた。
金太はそれを聞いて、
目に込めた力を少し緩めた。
「……本当に怖くねえのかい?」
「ああ。怖くない」
佐吉は微笑んだ。
「綺麗な色の髪の毛だなあ。そんな綺麗な髪、初めて見たよ」
金太は面食らった。
……黒くもないこの髪がきれいだって?
佐吉の言ってることがわからずに、金太は黙り込む。
「……まあとにかくさ。降りてこいよ、お前。もうちょっと近くからちゃんと煙突が見える所に連れてってやるからさ」
にこにこしながら手招きする佐吉に促されて、
金太は藪から姿を現し、
土手を滑り降りて佐吉の前に立った。
金太は鞣した黒い革でできた袖なしの上着と、
膝までの短い袴をはいてる。
肩には、これも黒い猪の毛皮を外套みたいにぐるりと巻いてた。
「大きいんだな、おまえ。本当に童かい? いま何歳だ」
「……十四だ」
「十四だぁ? まるっきり大人みたいな体してるな。名はなんていうんだ?」
「金太」
「金太か。よろしくな金太。俺は佐吉だ」
そう言って佐吉は、
金太の肩をぽんぽんと叩いた。
金太は、
わたしと観童丸以外の人間と話したことなんかほとんどないんだ。
他人とはつまり、
金太に石を投げ、
金太を畏れる存在でしかなかった。
だから佐吉のこの馴れ馴れしさは不思議でしかない。
狐につままれたみたいな顔のまま、
金太は佐吉に腕を引かれて、
佐吉の言うちゃんと煙突が見える場所に行ったんだと。
そこから二人の付き合いは始まったんだ。
「金太。しばらくぶりだけど、おまえ体は鈍ってないか?」
佐吉はにやにや笑いながら大きく四股を踏む。
「佐吉っつあん。俺はずっと森で狩りをやってんだぜ。鈍るわけねえだろ」
金太も不敵な笑みを浮かべながら、佐吉と向き合って四股を踏んだ。
「……っしょいっ!」
佐吉が突然金太に体ごとぶつかった。
でも金太と佐吉の予想通りに、金太はちっとも動かなかった。
佐吉だって腕っぷしには自信があった。
たたら場の仲間達と相撲を取ることもあったけれど、
そこでも負け知らずだった。
金太よりも腕が太く、体が大きい男だって何人もぶん投げてきた。
それなのに。
(一体こいつの体はなんだ。中に鉄でも入ってんのか?)
動かないんだ。
いや、動かないっていうんじゃなく、
動かそうとするこっちの力を感じて、
その力をどこかに逃がされてるみたいな。
金太は体がすごくやわらかいから、
岩みたいに堅く重い感じじゃないそうだ。
やわらかいのに、ただ、
足だけが地面にしっかりと縫い留められてるみたいな。
金太との相撲には、不思議な、
不気味な手応えのあやふやさがあった。
そして、
佐吉が押し疲れて少し力を弱めた刹那、
金太の体が今までとは打って変わって、
今度は岩みたいに固く重くなる。そう感じた時には遅い。
宙を舞ってることにすら、
佐吉は気づけなかった。
舞っていたんだろうが、
いつの間にかふわりと地面に寝かされてる。
力づくでぶん投げられた、
って感じはまったくなかったんだ。
「ほい、佐吉っつあん。これで俺、十四勝目だ」
「……腹が減ってたからだ。飯を食ったあとだったら、今日は負けてなかったかもしれん」
「こないだは満腹だったから動きが鈍くて負けた、って言ってたじゃねえか」
「ちえっ」
佐吉は仏頂面で、
殊更ゆっくりと立ち上がった。
立つとわかる。
投げられたのに、
体のどこにも痛みはなかった。
「……金太。おまえは本当に相撲がうまいんだな」
佐吉はほとほと感心した。
「俺はどうやったらもっと相撲がうまくなると思う? おまえのその……力の逃がし方っていうか、なんていうか……力を込めずに相手を投げるって一体どうやるんだ?」
そんなことを佐吉に問われても、
口下手な金太に説明なんてできない。
金太は真面目な顔をして腕を組み、
うーむと考え込んだ。
「佐吉っつあん。前も言ったけど俺、佐吉っつあん以外の誰とも相撲を取ったことがねえんだよな。だから、それはよくわかんねえんだ。勝手にできちまうんだよ」
「ああ、そうか。そう言ってたな」
佐吉は思い出した。
金太が熊と相撲を取ってたことを。
山で育ち、
里にもめったに降りない金太は、
子熊が遊び相手だったんだ。
罠にかかってた子熊を助けだし、
傷の手当をしてやってるうちに、
いつしか友達みたいになっていった。
いつもそばには観童丸がいるものの、
やっぱり金太も寂しかったんだね。
熊は成長が早いから、
子熊といってもすぐに背丈は金太と同じくらいになった。
そうなると目方は金太よりもずっと重い。
金太と子熊はふざけて、
よく取っ組み合いをしてた。
わたしはそれをはらはらしながら見てたよ。
だって相手は、
いくら懐いてたとはいえ野生の獣だ。
牙だって爪だって持ってる。
金太の体がいくら大きくて、
普通の子よりもずいぶん力が強かったとしても、
ふと野生の本能が目覚めないとも限らないだろ?
実際、
子熊がちょっと力を込めただけで、
金太はあえなく地面に押さえつけられてたよ。
金太はそのたびにひどく悔しがって、
体を鍛えた。
重い荷物を背負ったまま山野を駆けまわったり、
大きな岩に体をぶつけたり。
でもたぶん金太は獣と組み合ってくなかで、
何か人間離れした戦い方というか動きというか、
力の使い方を体で覚えていったんだろう。
獣の体に秘められた力は、
人間ではどうにも計り知れないもんがあるからね。
犬だろうが猪だろうが猿だろうが、
本気で人間を殺す気で向かってきたなら、
人間は丸腰じゃあ勝てないだろう。
熊なんて言うに及ばずだ。
そんな熊と、
多少の怪我をしながらも毎日のように組み合ってた金太だったから、
人間では相手にならないのも当たり前だった。
まあそんなことを金太が理屈でわかってるわけもないけれどね。
「そうだったそうだった。くくり罠から助けた子熊とな。……まあなぁ、熊って強いからなあ、おまえも強くなるはずだよ。人間相手じゃもう誰も勝てないな。村の奴らなんかじゃあ、とてもとても……」
佐吉の言葉に対し、金太は吐き捨てるように言った。
「へっ。相撲どころか、村の奴らは俺に触れることすら気味悪いんだろうよ」
金太の突然の剣幕に、佐吉はしどろもどろになった。
「うーん、まあ、そんな奴らばっかりでもないよ、村の連中も」
「興味ねえよ。大嫌いだ、村の奴らなんか。みんな死んじまやいいんだよ!」
金太はきつい目で佐吉を睨み、すぐに佐吉の慌てた表情を見て後悔した。目を逸らして、取り繕うように言った。
「……村人じゃあ相手にならねえよ。せめて侍じゃなきゃ……」
「お侍?」
「ああ。俺はいつか侍と相撲を取りてえ。そして俺の強さを認めさせて、俺を侍にしてもらうんだ。だからもっと強くならなきゃいけねえんだよ」
佐吉は感心したように頷いた。
「そうか……おまえ、そんなことを考えてんだな……」
「笑うかい?」
「笑わねえよ。おまえくらい強けりゃ、夢じゃないかもな」
佐吉はにっこりと笑った。金太もつられて、少し照れながら微笑んだ。
「……そういえば金太。おまえは里のもんと話さないから知らないだろうけどな。今、熊の話が噂になってるんだ」
金太は怪訝な顔をした。
「熊の噂?」
「ああ」
佐吉はぐびり、とのどを鳴らしてつばを呑んだ。
「最近、この辺りに恐ろしい人喰い熊が出るんだ」
〈続く〉