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【歴史小説】ラブリンマン -真説 坂田金太郎- 8-変貌-

そいつは体にずっと違和感を覚えていました。

一体いつ頃から、
その違和感は芽生えたのか。
そいつは考えてみました。
といっても獣のこと、
人間のように思考を巡らせ論理的に考えたわけではありません。
自身が体験した場面を、
場面ごとに切り取るように思い出しただけです。
 

自分があの、
大好きな黒い実をたくさん食べていた時。
突然、自分は大声で追い立てられた。
あの岩穴に棲む、
白い毛の生えた、
強い奴に似た姿だった。大勢いた。
自分は驚いてしまい、
わけもわからず怯えて逃げ回った。
戦えば勝てる気もしなくはなかったが、
その二本足の獣はとにかく大勢で、
大声で吠えたてていたので怯えてしまっていた。

自分は逃げ回った。
不思議だった。
あの白い毛の奴とは遊びで何度も組み合ったりもしたが。
今自分を追っている奴らは、
また全然違う奴らだった。
白い毛の奴と形は似ているのに、
全然違う。
毛が黒い。
殺意を真っ向にぶつけられていた。
こんなにも純粋な、
ぎらぎらとした殺意を向けられるのは初めての経験だった。
だから恐ろしかった。

鳥のような、
大きな甲高い音で追い立てられる。
木をぶつけ合うような音も聞こえる。
右後ろ足の古傷が痛む。
いつかの罠にかかった時、
こさえた傷だ。
ずっと走っていられない。
いっそこのまま戦ってしまおうか。
振り返りかけた。

そこで急に思い出した。
この峰を越えると、
あの白い毛の奴の岩穴だ。
そこまで逃げてしまおう。
あいつなら助けてくれるかもしれない。

希望を感じた瞬間だった。
頭に鋭い痛みが走った。
それまで感じたことのない種類の痛みだった。
足の裏を怪我した時などは足全体が痛くなって済むが、
その痛みは違った。
まず頭の中心に刺すような痛みが走り、
じわじわと頭全体に広がった。
そして体の中心、
背骨の周りがしびれるように痛み始めた。

足元がふらつき、
その場に倒れこみそうになったが、
わずかに恐怖心と、
そいつらへの怒りが勝った。

自分は猛然と吠えながら、
山の急な斜面を駆け上がった。
どこからそんな力が沸いてくるのかわからなかった。
それまで自分が感じたこともない力だった。
そしてまた、
味わったことのない迅さだった。

どんどん駆けた。
まだまだ走れた。
奴らの声は小さくなっていき、
やがて聞こえなくなった。
自分はどうやら逃げ延びたらしい。


その後の場面はほとんど思い出せなかった。
最後に覚えているのは、
自分の耳の下から頭の真ん中辺りまで深々と突き刺さっていた細長い棒を、前足と大木で挟んで苦労して抜き取った場面だった。
血がたくさん出て、体が冷えた。
幸運にも、
へばっていた場所は水場だったから、
水だけは飲み続けることができた。
その後は覚えていない。

そうだ、あの頃からだ。
あの頃から、
自分の体はおかしくなったのだ。
 

そいつは気づきました。
自分は、
狩人に矢で射られたのだということに。
しかし矢によって脳を損なったそいつは絶命することなく、
奇跡的に息を吹き返しました。

やがて傷が癒え、
傷によって痺れていた体の調子も戻ってくると、
そいつは何か、
熊とは少し異なる獣になっていました。
木の実や小さな動物では、
体の内から湧き上がってくる衝動を抑えることができなくなっていたのです。

(もっと肉を。もっと大きな獣を)

それだけを考え、
そいつは大型の獣を襲い始めました。
そして内から湧き起る狂暴性に呼応するように、
そいつの体は異常に大きく肥大してゆきました。
脳の一部に深く突き刺さった矢が、
一体そいつの体と心にどんな変調をもたらしたのか。
真相を知る由もありませんが、
事実そいつは日一日と怪物化していったのです。

時折、
射られた辺りに激痛を感じました。
そんな時、
そいつは痛みに身悶え、
暴れ狂いました。
周りの木々をへし折り、
あてどなく駆け回りました。
たまたま近くにいた哀れな猪は、
あっという間にその爪で引き裂かれました。
そして肉塊となった猪を、
そいつは貪り食いました。

いつしかそいつは、
動きの迅い獣を襲うことが億劫になってゆきました。
無理もありません。
その頃、
そいつは一般的なツキノワグマの二倍近い大きさにまでなっていましたから。
単純に体が重いのです。

(もっと駆けるのが遅くて弱い、楽に捕まえられる獣はいないか)


その問いに対する答えをそいつが見つけるまで、
さほど時は食いませんでした。
〈続く〉



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