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【歴史小説】ラブリンマン -真説 坂田金太郎- 31-慈悲の刃-その①

金太達四人は馬に跨り、
どこまでも続く荒地を渡ってた。

遥か遠くに山々の連なりが見える。
地面は乾き、ひび割れてた。
灰色の雲が厚く垂れこめ、
風はびょうびょうと鳴りながら金太の耳元をものすごい迅さで後ろへと飛び過ぎていった。
時折巻き上げられる砂粒は、
四人の顔を容赦なく打つ。
その度に四人は目を閉じて、
風と砂が行きすぎるのを待った。


最後尾を行く金太は落ち着き払ってた。
二番手を進む綱が振り返って金太を見、
向き直って先頭にいる貞光に話しかけた。

「一体あいつに何を仕込んだんだ?」

貞光は、
それが義務であることを深く悟ってるんで正面から目を動かさない。
前を見据えたままで綱に応えた。

「は。何、と申されますと」
「たったの五日で様子がすっかり変わってしまっている」
「何ほどのことも。ただ少しはらを座らせただけのこと」
「肚を座らせた?」
「左様で。綱殿もご指摘されたように、あれの膂力はもはや大人の男となんら変わりませぬ。むしろ手練れの侍にも見劣りせぬほど。荒削りではあるものの、体術のような動きすら身についております。だからこそ必要なのは心の鍛錬」
「生きるか死ぬかの追い込み、とおぬしはあの時申したな」
「覚悟と申した方がよいかもしれません。金太に未だ足りていないのはそこかと」

綱は再度振り返り、
金太を見た。
綱と目が合った金太は、
小さく頷きながら目を伏せた。
これは早々に大きく化けるかもしれんな、
と綱は思った。


辺りがすっかり暗くなった頃、
砂地へ出た。
さらに進むと、
ごくわずかな水量の川があったので、
四人はそこで野営することにした。

先頃、
金太が貞光に鍛えられてた横で駕籠女はたくさんの岩魚を釣ってた。
食べきれなかったそれらで作ってた干物を使って、
四人は簡単な夕餉を取った。
干物を炙るための焚火を駕籠女が熾して、
干物が頃合いにあったまるまでの間、
金太は貞光に散々絞られた。

何度組みにいっても、
わけがわからないうちに金太は貞光にさばかれ、
転がされ、
気づくと地面に接吻してる。
貞光は、
金太にまったく掴ませなかった。
着物の襟を掴む、
までもいかないんだ。
掴みにいった手を弾かれ、
体当ての勢いを殺される。
その鮮やかさは、
駕籠女の遥か高みにあった。
まったく何という練度だ、
と改めて金太は感心した。

「体当ての数を競っているのではない。もっと集中しろ」
「は。集中、ですか」
「堂の暗闇を思い出せ。あの時おまえは、どんな心持ちだった。わしが斬りこんだ時、何故おまえは身をかわせた?」

金太は思い出した。
そういえばあの時は、
暗闇だったゆえに瞳に映るものをどうこうしよう、
という考えはなかった。
もっと体全体で見ようとしたというか……空気を感じようとした。
そして、
避けようなんて気持ち自体が少し希薄だった。

金太はその時の雰囲気をなるべく意識に呼び覚まそうと、
まずは体の力を抜いた。
途端に貞光の岩みたいな拳骨が飛んできて頬骨にぶち当たり、
金太は真後ろに転がっていった。

「まだだ。成っておらず」

貞光は拳を握ったり開いたりしながら言った。
金太の目の裏には星がいくつも散っている。

「貞光。金太。もういいだろう、焼けたぞ」

いいところで綱から声が掛かる。
貞光と金太は稽古に見切りをつけて、
焚火にあたりに行った。
金太は頬をさすりながらため息をつき、
駕籠女に手渡された岩魚の串に噛みついた。


空の高いところではまだ強く風が吹き、
猛烈な勢いで雲が飛び退っていった。
雲が動くたびに、
月で出たり入ったりしてた。
山々まではまだ少し距離がある。
辺りは相変わらずの荒地で、
砂と土と石と枯れかけた草以外、
目に入るものは何もない。

「明日の昼までには山に入るだろう。奴らが棲む山だ」

そう言って、
綱は金太の方を向いた。

「心しろ。金太、おまえはまだ人と戦った覚えがないだろう」
「……ありません。命のやり取りって意味では」
「無論その意味だ。我ら三人はもちろん、頼光様もおまえには期待している。が、何度もおまえを試すほど悠長に構えてもおらん。この戦いで良い結果を出せなければ、金太、おまえはお役御免だ。家に帰ってもらう」

金太はごくり、
とつばを呑んだ。

「おまえはかりそめの侍であるということを忘れず、存分に働けよ。わかったか」
「は。……あの、綱殿。一つ伺いたいことが」
「言ってみろ」
「奴らは何故土蜘蛛と呼ばれているのですか?」
石窟いわむろを住処としているからだ。常は外にいるのだが攻めようとするとその穴に引っ込む。そこが、あの虫の土蜘蛛に瓜二つなのよ」

綱の話に頷き、
駕籠女が口を挟む。

「他にも、彼奴らは自分が掘った穴の中に何日も籠って獲物を待ち伏せたりするらしい。その様もまるきり土蜘蛛だ。まさに異形のなせる技だ」
「そうなのですか。……何日も」

金太も狩りをしてたからよくわかるんだ。
気配を消し、
森とひとつになって獲物を待つことのむつかしさがね。
獣は気配に敏感だ。
だから、
その気配とか匂いなんかを隠すために土の中に何日も籠る、
っていう土蜘蛛の執念には金太も恐れ入った。
底知れない、
決して踏み込めない力の在りように戦慄したんだ。

黙り込んだ金太を勇気づけるように綱が言った。

「まあ、そうは言っても大したことはない。所詮、森で獣を相手に鍛えた強さだ。我らの敵じゃない。……だが無論、それは侍ゆえの話。民からすればおそれの対象だ。金太。我々は頼光様の刃である以前に、民の牙でなくてはならんのだ」
「民の牙、ですか」
「そうだ。以前、おまえは戦い続ける運命とともに在る、と駕籠女に怒鳴られたろう。覚えているか?」

金太は頷いた。
忘れるわけがない。
駕籠女に打たれたみぞおちを、
金太はまたさすった。

「金太、おまえは力も普通じゃないんだ。そんな人間が侍になるということはもうそれだけで、牙を持たない民のために戦わなければならぬ、ということだ」
「……は。綱殿」

返事をした金太を、
綱はじっと見つめた。
でも結局何も言わず、
自分の持ってる岩魚の串に向き直った。
そして噛みつこうとし、
味が薄いことに気づいて、
少し味噌を擦り付けた。

民の牙。
頼光様の刃。
その二つの言葉は、
いつまでも金太の胸に居座り続けた。
岩魚を二串食って良い具合に腹が満ちても、
まだ胸には何かがつかえたままだった。
 


その日、
山は静寂に包まれてた。
いや、
ついさっきまではざわざわしていたのさ。
だが、
殺気立った男達が現れたことで急に静かになったんだ。
貞光が聞き耳を立てる。
他の三人が固唾を呑んで見守った。
しばらく半眼で空を睨んでた貞光は、
ややあって綱に頷いた。

「――どっちだ」
「尾根伝いに、東へ回って逃れたかと」
「よし、追い詰められる。俺と金太は回るぞ。貞光と駕籠女は山道をこのまま登れ。道を突き当たったら馬を捨てて足で追い詰めろ」

貞光と駕籠女は頷いて、
すぐに馬で山道へ駆けた。
綱と金太も馬を走らせ、
山道の反対側へぐるりと回った。

「これ以上は馬では無理だ。金太、走るぞ」
「は。綱殿」

二人は下馬して、
獣道に近い荒れた藪の中を尾根へ向かった。
全力で駆け続けてると、
やがて金太の迅さがどんどん上がっていった。
金太はその時、
すでに胴と籠手と手甲、
そしてすねあてだけは与えられてて、
さらに俎を手に持ってたけれど、
そんな重さなんて金太はまったく意に介してなかった。
かえしで足首に結わえつけたわらじ履きの足で、
かつて狩りをしてた時みたいに大樹の幹を蹴り、
枝を掴んで跳んだ。
森にある全部を使って駆けた。

「金太、俺にかまわず先に行け!」

綱が後方から叫ぶ。
金太は少しだけ振り向いて頷くと、
さらに迅く森の奥へ進んでいった。

「あの図体でなんという迅さだ。まるで志能備しのびよ」

綱が呆れはてたように呟く。
そしてついて駆けることはとても無理だと悟って、
諦めて歩き始めた。


金太は前しか見てなかった。
でも森を駆けてる時の金太は研ぎ澄まされ、
周りのことが手に取るようにわかった。
ゆく先を雀が二羽、
山鳥が一羽飛んでる。
右手、
かなり先に牡鹿が一頭、
草をんでる。

そして左手。
いま俺と同じ迅さで駆けてる奴がいる。
俺と同じくらいの背丈、
同じくらいの足の長さ。
狩人じゃない。
まして農民であるはずがない。
この迅さで駆けられる人間の方がまれだ。
つまり、土蜘蛛だ。

ざざっ、
ざざっと断続的な音を立て、
土蜘蛛はもう金太のすぐ横を駆けてる。
息が切れてることもわかる。
金太がちらりと横を見た。
影が見える。

ふと、
土蜘蛛と金太を隔てる木々の連なりが切れた。
金太は一つ大きく息を吸い、
跳ねると右前にある大樹の幹を蹴ってそのまま左へ跳び、
駆けてる土蜘蛛の横っ腹めがけて痛烈な足刀蹴りを見舞った。
〈続く〉



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