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【歴史小説】ラブリンマン -真説 坂田金太郎- 31-慈悲の刃-その④

依然、森の中は静まり返ってた。

「……駕籠女。わしらは先に山を降りる」
「……は。貞光殿」

綱が一つ咳払いをした。

「あとは任せたぞ、駕籠女。金太を連れて降りてこい」
「わかりました。綱殿」

綱と貞光はちらりと金太を一瞥し、
さっさとその場を離れてった。
駕籠女は着物の裾で顔を拭い、
涙の跡を消した。
そして金太を見た。


金太はまだ呆けた様子で、
クムの亡骸を見降ろしてた。
口の周りは反吐まみれ、
全身血まみれ、
傷だらけで嫌な臭いを放ってた。
駕籠女は金太に近寄り、
懐から布を出して金太の顔をそっと拭った。

「……血ぐらい自分で拭け。ひどい顔だぞ」
「……駕籠女殿」
「ありがとう。命を救われたな」
「…………」
「わたしの小太刀を、返してくれるか」
「……小太刀? ……ああ、これ……」

金太は呆然としたままで、
小太刀を握った右手を駕籠女に差し出した。
が、
右手は強く握られたままで開かない。

「……あ、あれ? 変だな、手が……」

手放そうとしても、
金太の手は強張って言うことを聞かなかった。
放そうと力を入れれば入れるほど、
さかしまに小太刀を強く握りしめてしまう。
金太は焦った。

「く、くそっ。こいつ……なんで離れねえんだ⁉ くそっ!」

やがて小太刀からばきり、
って鈍い音が聞こえた。
とうとう金太は小太刀の柄を握り潰してしまったんだ。

「…………」

駕籠女は黙ったまま、
まだ小太刀を強く握ったままの金太の指を、
右手一本で何とか解きほぐそうとした。
でも、
小太刀は一向に金太の手から離れない。
やがて金太の手は小刻みに震えだした。

「申し訳ありません、駕籠女ど――」

金太が詫びようとした刹那、
駕籠女は金太の頭を掴み、
自分の胸にぎゅっと押し付けた。
駕籠女はそのまま金太の頭を強く抱きしめた。

「……駕籠女殿……?」
「だいじょうぶだ、金太」
「…………」

駕籠女の体から放たれる甘やかな薫りが、
金太の鼻をふわり、
とくすぐった。

と、
金太の手からゆっくりと力が抜け、
小太刀は土の上に落ちた。
強く握り続けてた金太の掌には、
小太刀の柄に使われてた木の欠片が、
棘となっていくつも突き刺さってた。


「……もうやめるか……?」

駕籠女は蚊の鳴くような声で、
金太の耳元で囁いた。
金太は思わずぎゅっと目を閉じた。

「いまやめても、誰もおまえを責めないよ」
「…………」

なお頭を抱きしめようとする駕籠女の手をそっと掴み、
金太はゆっくり解きほどいた。

駕籠女はばきばきばりばりばり、
という奇妙な音を聞いた。
ややあって、
それは金太が歯を強く食いしばる音だってことに気づいた。

「……駕籠女殿。残っています」
「え?」
「まだ。……私には、やることが」

金太は壊れた小太刀を拾い上げ、
やや躊躇ったあと、
おずおずと駕籠女に手渡した。
そしてまないたを抜いた。
そのままのろのろとした動きでクムの死体のそばに行くと、
その右手首の関節の真上に俎の刃を乗せ、
体の重みを掛けて手首を切り落とした。
金太は駕籠女が見守る中、
キンノにも同じことをした。

しるしを。……持ち帰る必要があります」
「……金太……」
「駕籠女殿がいつかおっしゃった通りだ。……どうやらこれは本当に、私の道を切り拓くために在ったようですね」

金太は俎をしばし感慨深げに眺め、
ややあって鞘にしまった。
そしてまっすぐ駕籠女を見つめた。

その目は疲れに落ちくぼんでたけど、
瞳は澄みきってた。
駕籠女も、
正面から金太の目に応えた。

「……いいんだな?」
「無論です。私は侍になるんだ。そのためにここまで来た」
〈続く〉



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