【歴史小説】ラブリンマン -真説 坂田金太郎- 21-別離-その②
輪の中央に、
見覚えのない男がひざまずいている。
全身に殴打で受けたらしき傷があった。
後ろ手に縛られている。
縄の先を持っているのは、
屈強な若衆だった。
シュタインは、
そばで息を呑んでいるゆきに尋ねた。
『あれは?』
『間者だと思います』
『間者だって?』
『ええ。ごくたまにどこかの豪族や侍などが ここに間者を送ってきます。間者であることを悟られて 若衆に捕えられたのでしょう』
『一体何のために送られてくるんだ?』
『それは 誰がその豪族などに指示を出しているかによります。まずここの場所を知っている人間なんてほとんどいませんから。ただ単に この里を自分のものにしようとしているだけかもしれない。それとも 勅命かもしれません』
『着ているものからすると 他の里の者に見えるけど』
ゆきは物憂げに首を振る。
『偽ってそう見せているだけです。体つきや顔つきからして 明らかに村人ではありません。あんな程度の変装で 山民の男衆を騙せるはずがないのに。だから あれは勅命の間者ではないのかもしれません。何か他の目的があって ここへ』
びゅっ、
と空気を裂く音に次いで、
ごつりと何かがぶつかる音が聞こえた。
間者の男が両膝を着いた辺りのすぐそばに、
握りこぶしより一回り小さい石が転がっていた。
群衆の誰かが投げつけたのだ。
間者の左目の上の額から血が噴き出した。
シュタインはどきりとした。
かつて自分が追われている時、
農民に投げつけられた石が当たった場所と、
それはまったく同じだった。
自分の左目の上に触れてみる。
痛みこそはもうないものの、
そこにはしっかりと瘤ができてしまっていた。
腫れが硬化し、
粉瘤のように定着してしまったのだ。
ぞっとするような、
不気味な軟らかさと生温かさを持った瘤だった。
(これではまるで角だ)
「××? ×××××、×××××××××!」
間者は悲痛な表情で何かを叫んでいた。
しかしシュタインには聞き取れなかった。
『何と叫んでいるんだろう?』
『命乞いです。ですが 無駄でしょう』
『誰に命じられてここへ来て 何を調べようとしていたのか聞こうとしないのかい?』
『しません。間者からどんな答えが返ってこようとも 間者が何を調べようとしていても 山民が間者に与える罰は変わらないから』
『彼はどうなるんだ』
ゆきは間者をぐっと睨みつけたまま、
口を閉じてへの字に曲げていた。
また誰かがどこかで「はやく殺せ」と叫んだ。
その一言に呼応するように、
あちこちから「殺せ」という叫びが起こった。
シュタインは振り返る。
周りには、
自分達がここへ来た時の倍ほどの人数が集まっていた。
やがて「殺せ」は伝播し、大合唱となった。
「殺せっ。殺せっ」
「殺せっ。殺せっ」
皆憑かれたような表情だった。
女も、
小さな子供も「殺せ」の唱和に参加している。
ぎらぎらと輝く太陽は山民達に強い光を投げかけ、
その熱を孕んだ怒りの陰影をくっきりと浮き彫りにした。
ゆきと一緒に山から里を見下ろしていた時と、
天気の良さはまるで変わっていなかった。
だからこそ、
シュタインの目にはより異様な光景に映った。
群衆の熱が、
唱える声が最も高く昇りつめた時。
縄を持っていた屈強な若衆の山刀が、
勢いよく横薙ぎに振られた。
おおーっ、
と皆が歓声を上げ、拍手をする。
指笛を吹いている者もいた。
切り落とされた首は、
さほど派手には転がらなかった。
横向けに二回ほど回転した後、
持ち主の膝の近くで綺麗に直立した。
〈続く〉